『前ニ同』
去十六日、於二佐東府要害城戸口一、忰者山田源三良〈切疵左肘右膝口〉、下人
与四郎〈切疵二ヶ所左膝〉、粉骨之次第、弘中々務丞興兼注進之趣、令二披露一
訖、忠節尤神妙之由、所レ被二仰出一之状如件、
(1522) (吉見興滋)
大永二年十一月廿九日 備中守
『無印』
兵庫助
『在判』
民部少輔
『興豊在判』
(宣家)
石井九郎三郎殿
「書き下し文」
去んぬる十六日、佐東府要害の城戸口に於いて、忰者山田源三良〈切疵左肘右膝口〉、下人与四郎〈切疵二ヶ所左膝〉、粉骨の次第、弘中中務丞興兼の注進の趣を、披露せしめ訖んぬ、忠節尤も神妙の由、仰せ出ださるる所の状件のごとし、
「解釈」
去る十一月十六日、佐東府要害の城門の入り口で、被官の山田源三郎〈切り傷は左膝と右膝口〉と、下人与四郎〈切り傷は左膝に二ヶ所〉とが、力の限り奔走した事情について、弘中中務丞興兼が注進した内容を大内義興様に披露しました。忠節を尽くしたことはいかにも感心なことである、とおっしゃったところである。
「注釈」
「佐東府要害」─未詳。佐東銀山城のことか。
「忰者」─室町時代の上層農民でかつ武家の被官であった者。侍の最下位、中間の上に
位置し、若党や殿原(地侍)に相応する身分であった。かせにん。かせきも
の(『日本国語大辞典』)。