周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

構造主義入門

J.B.ファージュ著、加藤晴久訳『構造主義入門』大修館書店 1972.8.1

 

*単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。

 また、誤字・脱字の訂正もしていません。

 

第一部 モデル

《構造》の概念は、ある体系内における《関係》の概念と緊密に結びついている。構造とは、ある言語の二つ(ないしそれ以上)の特徴の間の相互依存関係のことである。

構造とは、「ある現象が他の現象に依存していて、それら他の現象との関係があって始めて、それがいま現にあるところのものであり得るというように、互いに連帯関係にある諸現象によって形成されるある全体」である。あるいはまた、「内在的な相互依存関係の自立的総体」である。

記号論とは、意味作用を行うもろもろの《形態》(音声による言語に属する形態であれ、また身振り、イメージ、服飾のような、他の言語に属する形態であれ)を対象とする学である。

意味論とは、意味される《もの》(より正確にいえば、事物の心的表象、さらに言い換えればいわゆる《観念》)を対象とする学である。

 

 第一章 記号論

  一 と

人間は相互のコミュニケーションを行うために、何世紀もの時間をかけて、徐々に、多数の音をつくり出してきた。これが言語活動である。言語活動には物理的、生理的、心理的、個人的、社会的など、様々な側面がある。ソシュールによれば、分析が可能となるためには、秩序を見い出す必要があるが、この秩序は、言語活動のうちに言語を区別することによって、明らかになる。

 

⒜言語─言語は言語活動のコード化された社会的側面である。それは、人

    間の間の広汎な契約、取り決めに基づく社会制度である。他者に

    理解してもらおうとするならば、個人はそのような集団的取り決

    めを変改することはできない。逆に、それに従わなければならな

    い。それゆえに言語は固有の実体性、自立性を持っており、その

    進化は極めて緩慢である。そのような言語の実体性を確保し、保

    障するのが、一連の規則である。言語は真のコードcodeである

    というのは、こうした理由からである。(ルール)

⒝言─言は個人の行為、つまりある人間が他者に語りかけるという具体的な行いである。言はある種の《表現の自由》、変葬の自由を持っている。というのは、各個人は、語と文を操作する彼独特のやり方を持っているからである。しかし、この自由は厳重な監視つきの自由である。言は、記号を創造するよりは組み合わせるのである。共通のコード、つまり言語に基づいて組み合わせるのである。(個人的用法)

言語と言は、言語活動の相容れない二つの側面として対立するのではなく、互いに他を包含しあう関係を保っている。言行為は言語に先行し、徐々に言語を構築する。しかしその言行為は、共通の在庫から素材を引き出し、集団的な規則に従う(この在庫と規則とが言語を形成する)。それゆえに、別の観点からすれば、言語が言に先行するとも言えるわけである。いずれにせよ、記号論は組織されたもの、つまり言語のみを対象とするのである。

ところで、言語と言との中間に、ソシュールが予見しなかった第三の要素、すなわち慣用(あるいは個人言語)が存在する。例えば、ある地方の言習慣、ある作家の《文体》、ある時代、ある集団の《エクリチュール、文字・字体・書法》などである。(集団とか影響力の大きい人、公人のスタイル)

 

二 記号表現と記号内容

言語は記号の組織された体系である。記号は二つの側面を持つ。一つは知覚できる、耳に聞こえる部分であり、これを記号表現という。もうひとつは、記号表現の内に含まれている、それに担われている部分であり、これを記号内容という。

ソシュールは記号表現と記号内容の関係が契約によるものであるという。記号と異なり、象徴は、記号表現と記号内容との間の動機付けのある自然的関係を含んでいる。例えば、水は、純粋さ、一新、生命などの象徴であるといったふうに。《記号》においては、記号表現と記号内容が(契約によって)正確に重なり合うのに対し、《象徴》においては、記号内容は、その多様な豊かさゆえに、記号表現の外へはみ出る。

他の区別として、信号(例えば交通信号の赤/青)は観念よりは行動に照準を合せていた、即時的な反射を誘発する。それに対し記号は、たとえ一瞬であれ、反省に訴える。

また指標は(点から成る)不完全な痕跡であるのに対し、記号は充足しているのが普通である。例えば探偵小説では、もっぱら指標に基づいて謎ときが行われるわけだが、これらの指標は後で振り返って考え直したときにはじめて記号になるのである。

 

⒜ 記号表現

──第一次分節は語彙を分ける。つまり語(《記号素》)に関わる。語はそれぞれ《意味》単位を形成する。要は単語のこと。

──第二次分節は、アルファベットをわける。個々別々では、それらの単位は何も意味しないが、《語》─これが意味作用の能力を持っている─を形成するために必要である。

この二重分節の理論は、組織された体系、つまりコードを持つ言語活動と、それを持たぬ言語活動を区別するために極めて重要である。二重分節はコード、言語の基礎をなすものである。二重分節を持った言語活動は言語の名に値する。

その反対に、コードのない、体系のない言語活動がある。《言語のない言語活動》である。写真とか映画のがその例である。映像はそれぞれ、相似や暗示によって、いくつかの記号内容を指示する。しかし映像を構成する要素を体系化することは不可能である。例えば、白は必ずしも<善>を意味しないし、黒は<悪>を意味するとは限らない。

 

⒝ 記号内容

──記号内容は正確にいえば《もの》自体ではなく、むしろ《もの》の心的表象、つまり《観念》である。

 

⒞ 意味作用の関係

──記号は、記号表現と記号内容から成る全体である。この二つの要素の間に意味作用の関係が成立する。表現と内容の間の緊密かつ同時的な関係がある。

 

⒟ 価値

──記号表現と記号内容によるコミュニケーションを可能ならしめるために、言語がどのように組織されているかが、この価値概念によって、明らかになる。

ある記号の価値はその位置から生ずる。言語とは、そのうちで、様々な記号が相互に他の記号に対して位置付けられている体系である。ロラン・バルトは時計の文字盤、針が通過した《》のたとえを用いている。それぞれの《スポット》は、それに先行するスポットと後続するスポットに対する位置から、自分の価値を得る。二本の針が12と30の《スポット》に接したとき、《12時30分です》という文と同価値の時間的発話がつくり出される。この発話が有意的であるのは、12と30のスポットが他のすべてのスポットに対するそれらの位置によって持つ価値のおかげである。スポットの総体は意味の在庫を形成するが、バルトはこれに《記憶》という示唆的な名を冠している。言語は組織された記憶である。

 

三 結合要素群と体系

12時30分45秒です。この発話は二種の関係を含んでいる。

第一の関係──12時、30分、45秒は相互に同時的に接続している。このような顕在的な(現存的な)関係を統合要素群の関係という。

第二の関係──12時は11時と13時の間に、30分は29分と31分の間に、45秒は44秒と46秒の間に位置する。時間(分、秒)の系列は《記憶》の関係(不在的関係)をなしている。これらの関係を、同系列要素群または体系の関係という。

 

結合要素群──「らばは 材木を 運ぶ」

同系列要素群──「らば ろば 牛 馬」

 

統合要素群の単位を得るためには分割(ex.主語、述語、目的語、副詞)と呼ばれる操作を行わなければ成らない。体系[同系列要素](ex.馬、牛、豚、ロバ等の家畜)の単位を位置付けるためには分類を行わなければ成らない。

 

⒜ 結合要素群

─最も普通の例は、《文》と呼ばれているところの語の連続、あるいは連鎖である。したがって、統合要素群がはなされた言葉とほとんど同じものであることがすぐ分かる。意味単位を得るために分割する必要が生ずる。

この分割を行うために、言語学者が、置換(表現(記号表現)の次元に、ある変化を人為的に導入し、そして、その変化が内容(記号内容)の次元に相関的な変化をもたらすか否かを調べる作業である。)と呼んでいる人為的な検証を試みる。

記号表現の変化が記号内容の変化を惹起するものならば、意味単位が得られたことになる。

 

 私は   頭が 痛い。⇨(非置換)⇨ 頭が 痛む。

  ⇩   ⇩  ⇩(置換)

 あなたは 足が 重い。

 

⒝ 体系

体系とは、さまざまな対立関係が相互に連接する場である。それらの対立は同系列要素群と呼ばれている。ここでの単位は弁別的である。ソシュールによれば、つまり偏差(差異)であり、この偏差が言語の機能と意味作用を可能にするものなのである。

 

「二側面対立」─この対立関係は二つの項についてのみ働く。

「多側面対立」─他の項と共通の要素を持っている対立。

「比例的対立」─共通のモデルに従う関係。

 「孤立的対立」─他と共通の≪型紙≫が一つもない関係。

─以上がアルファベット上における偏差

 

「与奪的対立」─一方が特殊な指標によって特徴付けられている(有標で

        ある)、場合によっては例外的でさえあるのに対し、他方

        の項は無標であるような関係である。銭≪有標≫(卑語)

        であるが、お金は≪無標≫である。(言語に他の意味合い

        が付与されている場合と、それ以外の場合のことカ。)こ

        のような区別は普通の言語に比して特殊な性格を誇示す

        る文学的言語の研究に極めて有効である。

「等価対立」─与奪的対立と異なり、この種の対立は二項いずれも特権的

       価値を持たず、両項は同等の重要性を与えられている。例

       えば、牡猫/牝猫などの対立。しかし、慣用によって、一

       方が他方に対し有標である場合も少なくない。

 「恒常的対立」─私は働く/私達は働く。

 「消去可能な対立」─彼は働く/彼らは働くのような対立。

 これまでの所、関与的対立、つまり意味を生み出す対立関係を分類してきた。そして、通常、意味作用になんら影響を及ばさない非関与的対立もある。しかし、例えば、演劇で、南フランス人をパリの人に対して際立たせるようにわざと発音の違い(綴りは同じ)を強調する場合、重要な役割を果たす。これらの非関与的対立は、結合変異体と呼ばれている。

 

 

四 デノテーションコノテーション

構造分析が、第一次言語、ないしは基礎言語とよばれているものを越える事象を解明し、体系化しようと努める際に、大きな役割を果たす区別である。

 

デノテーション=基礎言語、または第一次言語。

コノテーション=≪装飾的≫言語、または第二次言語。

 

「ウィスキー・ペリエ

デノテーション─酒

コノテーション─エレガント

 

五 対象=言語とメタ言語

 

ファクター─①factor(要因)

 ≪言語≫  ≪メタ言語

       ②郵便配達人

 

第二章 意味論

 

一 基本的構造

            『共通軸』  /  『意味素』

  国道/地方道   ≪route(道)≫ / ≪国/地方≫

  大/小    ⇨ ≪丈≫     / ≪大/小≫

  少年/少女    ≪sex(性)≫  / ≪男/女≫

 

二項はそれらを結合する共通要素、軸を持っている。これを意味論的軸と呼ぶ。同時に二つの項は、この軸を境にした際を持っている。

この共通軸をはさんで連結する二つの項は、それら相互の差異を示す要素を持っている。この要素、示差的特徴をと称する。これが意味論上の最小単位である。

 

 中性項(二極のいずれでもない)を含む構造─大/中/小

複合項(両方のいずれでもある)を含む構造─午前/日中/午後

 

二 意味素分析

 

語彙素─多数の意味素を包含している意味作用の単位

意味素群─さまざまな意味の≪総和≫の内部での用法のそれぞれが、意味素

     の≪個別的≫なコレクションである。

 

≪用法≫─木の頭→梢/探す頭→誘導弾頭/頭のてっぺんから足のつま先まで

≪意味素≫─先端性+突出性+垂直性+連続性

≪用法≫─軍団の先頭→司令官/企業の先頭→首脳/〜の先頭に立つ

≪意味素≫─先端性+突出性+垂直性(階位制上の)+不連続性

≪用法≫─章の冒頭/隊列の先頭/橋頭堡

≪意味素≫─先端性+突出性+水平性+不連続性

 

以上の≪頭≫のコレクション(意味素群)、つまり個別的用法のうちに、先端性+突出性が常に見い出される。この不変要素を意味素核と名付ける。

この核に属さない意味素、例えば連続性や不連続性は可変意味素である。

この核に属さない意味素のなかに、二つ(ないしそれ以上)の系列にあらわれるものがある。例えば垂直性と水平性である。これらを分類素と称する。これは語彙素とそのさまざまな用法を親近性(あるいは遠隔)の程度に従って分類する役割を果たす。二つの語彙素が共通の記号内容の小単位(分類素)を多く持っていればいる程、それらの親近性は大きい。

 

三 陳述の水準と権能

同位態─陳述の整合性の概念

 

⒜ 実際的水準「ライオン」⇨「ネコ科の肉食大哺乳動物(専門用語)、

               毛は薄茶色(記述的用語)」

        ─この水準で、他の種と科に属する動物からライオンを区別

         することを可能にする。

   神話的水準「あの男はライオンだ」⇨「寛大」

    (隠喩) 「あの男はヘビだ」  ⇨「狡猾な」

        「あの男はサルだ」  ⇨「いたずらな」

 

⒝メッセージの主辞と賓辞

 

賓辞の二つのモデル

 

   モデル  機 能 的  修 飾 的

水準     (動的)   (静的)

 実際的   作 業 的  指 標 的

 神話的   神話形成的  神話作用的

 

ex)1.オオカミが小ひつじを食べてしまう。⇨実際的水準+機能的モデル

                     =作業的世界

  2.オオカミの毛は灰色である。⇨実際的水準+修飾的モデル

                 =指標的世界

  3.卑怯者はオオカミと一緒に吠え始める。⇨神話的水準+機能的モデル

   (大勢に従い始める)         =神話形成的世界

  4.人間は人間に対してオオカミである。⇨神話的水準+修飾的モデル

                     =神話作用的世界

 

  • 規則

 

一 内在性の規則

≪内在的言語学≫に対立するものとして、起源、影響、伝播などの問題を扱う≪外在的言語学≫がある。

『言語』─機能と意味作用の内的法則、対立・連合、両立性と非両立性な

     どを研究する。

『映画、テレビ』─映像、セリフ、音響効果、音楽の内的構成の規則と、

         物語の構成法則を対象にする。

『新聞』─新聞のの規則、叙述の法則、割り付けの≪文法≫を対象

     とする。

要するに、内在性の規則は、分析が対象の内側に位置し、機能を研究すること、そして世界観的な考察はすべて放棄する(他の諸方法に委ねる、形而上学的、社会学的、統計学的etc)ことを要求する。

 

二 関与性の規則

言語学における関与性は、情報を運ぶ要素だけである。

 

三 置換の規則

置換可能なものはすべて分類可能なものになる。

 

四 両立性/非両立性の規則

置換の項は結合の有効・無効を明らかにする。対立の体系に属するものと結合要素群に属するものを区別することを可能にする。

「結合要素として非両立的なものは体系として連合している。結合要素として両立的なものは、必然的に別々の種の体系に属している。

 

革靴/サンダル/スリッパ─統合要素としては非両立的。これらを同時に

             履くことはできないから、同一の種に属し、

             同一の体系に入る。

上衣/ワイシャツ/ネクタイ─統合要素として両立する。しかし同一の種

              には属さない。

 

生成文法─話し手が文法的に正しい文を述べ、かつ弁別し、また文法的に

     正しくない文を弁別する言語能力を持つよりどころとなる規則

     を研究する。これには、凝った文体や分かりやすい文という概

     念とは必然的な関連はない。

 

五 統合の規則

 

    男性 ←   性   →  女性

(意味単位) (意味論的軸) (意味単位)

 

この場合、共通の軸(性)が統合の機能を果たす。

 

   「構造A」 ←  統合軸  → 「構造B」=止揚された社会構造C

ex.(国人一揆)  (農民的剰余)  (土一揆) (惣国一揆

 

七 機能規則

 ロマン・ヤコブソンの六つの機能

(a)表現機能(送り手)

  ─送り手に集中する表現機能あるいは感情機能は、話題に対する主体の態

   度を直接的に表現することを目指す。

(b)訴え機能(受け手)

 ─メッセージが受け手に対しより大きな効果を発揮するように、メッセ

  ージに特徴を持たせる。

(c)詩的機能(メッセージ)

 ─第一次言語(基礎言語)を知覚可能な芸術にかえるところの具体的な

  手法とか記号のすべてを包括する。すなわち、メッセージそのものに

  作用する≪芸術的≫処理のこと(修辞法・文彩)。

(d)場の機能接触

 ─送り手と受け手の接触を維持すること、その接触が正常に保たれてい

  るかどうかを検証することを目的とする。例えば、「もしもし、聞こえ

  ますか」がそれである。直接的な呼びかけの他に、言語活動において

  完全に冗漫(くどくど長たらしい)なもの、聞き手の注意を惹き付け

  ておくための手段を全部含んでいる。

(e)指示機能(文脈)

 ─文脈(コンテクスト)を、すなわち送り手と受け手が参照することが

  できるような、知覚された、あるいは想像された世界を指向させる。

  構造分析は言語活動のうちの世界への指示機能を研究するのであって、

  被指示物の実在性を研究するのではない。記号内容はほぼ全面的に

  指示機能を担っている。記号内容はすぐれて、現実の模写である。

(f)メタ言語的機能(コード)

 ─言語を対象として作用する。この機能を通して、送り手と受け手は、

  双方が同じ語彙、同じ文法、同じコードを用いているかどうかを検証

  する。

 

機能の三つの側面

意味の遊戯

 ボーイ「ビール(ビール、棺桶の両義あり)はどなたで?」

 客のひとり「死人(ブリッジのダミーをいう)のだよ」

 

─地口はまさに、連結語(ビール)を用いて、二つの意味、二つの異なる同位態にかける遊戯である。

 

定義は、いかにしてメタ言語的機能が陳述の展開をひき起こすかを明らかにする。定義とは、展開しつつある定式、つまり、それ自身の意味とより小さな単位の意味とが同価値であることを措定する定式であるからだ。定義は単純なものから、複雑なものへ進むわけである。辞書は定義を蒐集した書物である。

 

命名は定義と逆の方向の運動である。複雑なものから単純なものへと進む。定義が展開によるのに対し、命名は凝縮によって行われる。

 

命名の形式

派生─ろくろ、ろくろ師、ろくろ細工場。

借用─専門用語でよく用いられる方法。例えばギリシア語からの借用。

定義の定着─例えば、縫う機械→ミシン。

比喩的命名─派生とやや似た機能をする。例えば、木の頭→梢。

転位による命名─ある意味論的領域から他の意味論的領域への移行、ある

         いは借用によって機能する。例えば、ニグロの頭→焦

         茶色。

 

具体的であり、かつ個人間の活動である言が開放性を特徴とする、すなわち、あらゆる創造、予想外なものに開かれているできごとであるのに対し、言語は閉鎖性を特徴とする、すなわち、少数の規則に基づく体系ないし構造なのである。

 

結語 展開

 

一 無意識/意識

認識は真の様相、すなわち私の恣意の属性と一致する様相を選別することである。新カント派が主張したように、私の恣意がに対して不可避的な強制力をおよぼすからではなく、むしろ私の恣意自体が一つのであるからだ。言語の法則は精神の無意識的な、その意味で非反省的、非歴史的な水準を指示する。このような無意識は、フロイト的な衝動とか欲望の無意識、象徴化の力を持つ無意識ではない。フロイト的よりはカント的な無意識、範疇的な・結合的な無意識である。完結した秩序、あるいは秩序の完結性であり、ただ自らはそうと自覚しないだけだ。

構造構造主義的な研究は、現代哲学者の実に多くが取っている安易な反自然的態度を乗り越え、自然/文化の重大な問題を新たな視角からとらえなおすのに役立つだろうということである。自然/文化の問題とは結局のところ無意識/意識の論争によって提起された問題であるからだ(人間の意識的活動を、無意識的・根本的規則の≪考古学≫のうちに置きなおす自然主義的な方向、近親相姦の禁止、食物の加熱、第二次分節等のように、自然から文化への移行が行われる水準を捉える方向)。

 

二 コード(規則)/意味

無意識/意識の問題と密接な関連のある第二の問題は、コード化(規則)化された体系の構造と《解釈学》との関係という問題である。解釈学とは現象学で、人間にとっての意味の解読、自己と存在の理解に連なる解読の事である。

 

三 構造/実践

第一次構造と第二次構造、社会的・経済的現実と言語の間に、どんな関係があるのかという問題である。

人間と自然の根本的関係、文化の問題である。生産活動と人間の言語はともに原初的なものであり、相互に還元することは出来ない。人間は、労働する存在として、また話す存在として、自然から離脱する。それは人間がこの世界を制御するとともに解釈する、この世界に名を与える使命を担っている。