周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

永田家・宝鏡寺文書

 『永田一馬氏所蔵文書』(東京大学史料編纂所架蔵写真帳)

 『寳鏡寺文書』(東京大学史料編纂所影写本)翻刻

 

*ワードやエクセルの文章をそのままコピペしただけなので、きちんと表示されていない部分も多々あります。そして、今後それを改善するつもりもありません。

 

「永享七(一四三五)年十月二十五日付近江守護六角満綱遵行状写」

                      (『永』・七ページ・七三)

 

 山門根本中堂造營料所近」江国音羽庄事、御施行如此早」任被仰下之旨、可

 沙汰付護正院」兼全代之状如件、

 

  永享七年十月廿五日 沙弥

 

  能登中務入道殿

  田中式部丞殿

 

※小風山門論文史料一覧参照。

 

「寛正三(一四六二)年十二月日付朽木関代官職四分一補任状」

                      (『宝』巻三・三四ページ)

 

  補任  朽木関四分壱事

  右當関者、高嶋之雖非枝関三条殿」御知行之時、始而此在所御知行在之由」

  被申之間、以別儀年中陸貫文可被致」取沙汰、雖然十人衆根本此買取在之」

  處、三条被召放彼衆久為空」年罷過之由被申間、今面々仁代官職」

  被仰付之上者、於後々縦雖有望申」輩、永不可有相違所也、仍補任状如件、

 

             土屋蔵人

   寛正参年十二月 日     □□(花押)

                (同右) 

     古川殿         □□

 

 「長享元(一四八七)年閏十一月十日付室町幕府奉行人連署奉書」

                       (『宝』巻一・七八ページ)

 

  近江国高嶋郡朽木関事、早」退違乱之輩、任当知行之旨、可令」全関務之

  由、所被仰下也、仍」執達如件、

 

               (飯尾清房)

   長享元年閏十一月十日  前加賀守(花押)

               (松田晴秀)

               丹後守 (花押)

     南御所雑掌

 

 「長享二(一四八八)年六月十八日付田中貞信林寺御関代官職請文」

                          (『宝』巻三・五五)

 

  南御所さま御りやうたかしま」はやし寺御関一所御くよふの事」、三季分

  四月十日いせんに貳百疋」、八月十日いせんニ貳百疋、十二月十日」いせ

  んに貳百疋、都合六百疋分」うん上候へく候、もしふさたい」たし、けた

  いの儀候ハヽ、なんときも」御代官おしとめらるへく候、一こん」の子細

  申へからす候、仍御うけ文如件、

 

   長享貳         田中四郎兵衛尉

     六月十八日          貞信(花押)

 

      戸津殿

 

「長享二(一四八八)年九月十七日付室町幕府奉行人連署奉書」

                      (『宝』巻一・八一ページ)

 

  近江国高嶋郡朽木関壱所」御代官職事、被仰付佐々木」朽木之處、令上表

  之間、被補任」別人云々、任御当知行之旨、弥」不可有相違由、所被仰下

  也、仍執達如件、

 

              (松田長秀)

   長享貳年九月十七日  丹後守(花押)

              (松田為規)

              散位 (花押)

      南御所雑掌

  「南御所雑掌      丹後守長秀」