周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

松尾大社関係未翻刻文書

*ワードやエクセルの文章をそのままコピペしただけなので、きちんと表示されていない部分も多々あります。そして、今後それを改善するつもりもありません。

 

 永享九(一四三七)年四月十七日付八木彦九郎百姓職得分売券

                          (『東百』エ一四三)

 

「八木方植松(端裏書)寺領作職売券 永享九 卯 十七」

  永代    売渡申    百姓職徳分事

        合壱段者在所植松之内 字横枕也[        ]

        四至  限東□□ゑ 限西堀川ヨリ五反目

            限南信濃小路ヨリ三反目 限北唐橋ヨリ二反目

  右件田地者、八木彦九郎相伝私地也、然ニ現銭貳貫文仁

  限永代正覚院御坊仁売渡者也、於本所役者、本米壱石

  装束       正月餅代五十文人夫一人松尾祭礼

  之時百文出之、残百姓徳分者、十三合升ニ三斗也、若此下地并

  土貢等三ヶ年中ニ相違事候者、於売主在所、雖為何色、見

  逢仁高質物此直銭仁相当之程、可被押召候、如此契約

  申上ハ親類并他人妨努不可有者也、万一天下一堂御徳

  政行共、更以不可変改申者也、仍為後日亀鏡売状如件、

       永享九年丁巳卯月十七日   久国(花押)売主八木彦九郎

                    弥百姓六(略押)

 

 

 享徳三(一四五四)年四月十三日付寺崎法橋玄雅名主職売券案

                           (『東百』シ五七)

 「売券案(端裏書)」

  永代売渡申東寺領山城国上桂・上野庄東

  田井田畠名主職之間事

    合東田井分者

  右彼名主職者、相副玄雅法橋相伝之証文、直銭

  漆拾貫文仁、永代所売渡申実也、但以前契約申

  田地之残也、彼東田井者、依為興行之在所、荒野不作

  等在之、其内御子田并佃畠同茶木本除之、且御忠節

  之段、無其隠者哉、然則現作分一町者、松尾・梅宮井料可有

  其沙汰候、其余者為興行之地之間、本所役六斗外者万

  雑公事無之、此上者溝事者為名主役可有其沙汰候、

  然者、本所名主成水魚之思、更以不可有其煩、万一向後

  我等子孫亦違乱之輩出来之時者、於 公方可被止其

  妨者也、仍為永代証文売券之状如件、

     享徳三年甲戌卯月十三日      玄雅寺崎法橋判

 

 

 天文二(一五三三)年十二月二十八日付松尾十穀慶林作職売券

                           (『東百』や九二)

 

  売渡申 松尾櫟谷社神田作職事

   合壱段小者在所者東ハ西ノリシケ西ハ櫟谷社北者比小路南ハ七条限字号神田 

        但田地五段之内□西貳当月十日土貢十三合升仁一石三斗定也

 

  右田地者、西七条北尾与八重政 為櫟谷社

  造営料新寄進之下地也、委細者寄進状

  見之訖、雖然有神託感□之子細、為社頭

  造営直銭拾貳貫文仁限永代東寺廿一口

  方江売渡申所実正也、万一於此田地違

  乱煩申輩在之者、任寄進状之旨、於

  公方様及御沙汰可有御罪科候、又可被

  蒙 大明神御罰者也、仍為後代寄進

  衆并在所衆加判形売渡申所之状如件、

    天文二年十二月廿八日   慶林(花押)売主松尾十穀

                 重政(証人北尾与八花押)

                 □右(花押)同北尾次郎左衛門尉

                 信吉(印)神主梶原神五郎