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史料紹介という修行

朽木未翻刻文書4

  『朽木未翻刻文書』四

 

*ワードやエクセルの文章をそのままコピペしただけなので、きちんと表示されていない部分も多々あります。そして、今後それを改善するつもりもありません。

 

 文明六(一四七四)年十二月二十九日付中興近江朽木郷年貢請取状(五三四)

 

   納申  御要脚事

    合肆拾貫文者

   右為朽木郷御年貢去年

   所請取申如件、

 

    文明六年十二月廿九日中興(印)

      清水又三郎殿

 

 文明七(一四七五)年四月十二日付中興近江朽木郷年貢請取状(五三六)

 

   納申御公用之事

    合拾貫文者

   右為朽木郷御年貢

   文明五年分請取申所如件、

 

    文明七年卯月十二日中興(印)

 

      清水又三郎殿

 

 文明七(一四七五)年六月四日付中興近江朽木郷年貢請取状(五三五)

 

   納申御公用之事

    合拾貫文者

   右為朽木郷御年貢

   文明五年分請取申所如件、

 

    文明七年六月四日 中興(印)

 

      清水又三郎殿

 

 文明七(一四七五)年八月二十四日付中興近江朽木郷年貢請取状(五三七)

 

   納申御公用之事

    合拾貫文者

   右為朽木郷御年貢

   文明五年分請取申所如件、

 

    文明七年八月廿四日 中興(印)

 

      清水又三郎殿

 

 文明八年二月十四日付中興近江朽木郷年貢請取状(五三八)

 

   納申御公用之事

    合貳拾貫文者

   右為朽木郷文明五年分

   請取申所如件、

 

    文明八年二月十四日中興(印)

 

     清水殿

 

 文明九(一四七七)年四月二十二日付若狭鳥羽庄名代官職請文案

                      (六六〇・福井県史八〇六│一五)

   請文事

   若州鳥羽庄金輪院知内大御乳人」様江為契約分切米貳佰捌拾石之事、御」代

   官職依被仰付候、御月宛引替申候」、但二月ヨリ八、

 一、毎月捌貫可上申候、

 一、此外自然御用脚之事者、連々可致祕計候、

  • 御年貢来秋納所次第仁、十二月上旬中仁」可皆済申、任御補任之旨、毎事不可如在

   候」、萬一無沙汰儀候者、一段可成御催促者也、仍為」請文状如件、

     文明九年丁酉四月廿二日

 

 文明十(一四七八)年正月晦日付富倉藤久利米借券(六一四・『福井』八〇八│二五)

  状」

  借用申米之事

   合九拾壱石七斗六升三合者

  右件米者、鳥羽庄御年貢之」内お、當秋石別六わり」加二利平一、御さん用候て、

  めさるへく候」、仍御借状如レ件、

  文明十年正月(花押)

  

 

  文明十二(一四八〇)年十二月日付松蓋寺北谷坊快暹田地売券(一〇一八)

 谷快暹永地証文」

  永代売渡申年貢米事

   合八畝者 在四条三里卅四坪北縄本也定米三斗六舛五合御常供舛定

  右雖為快暹相伝之私領、依有直用」、能米二石八斗仁売渡」申処実也、本証文壱通相

  副遣者也、万」一此年貢米相違子細候者、北谷坊候領之も」相当之程可被召押候、然

  上者末代無相違」可有御知行者也、仍永代放券状如件、

 

    文明十二年庚子十暹(花押)

 

 文明十三(一四八一)年十一月二十四日付若狭瓜生庄千代房名半名坪付注文

               (七八七、一〇二四チェック・福井県史八〇八-二七)

 房名坪付」

    瓜生庄千代房名半名坪付之事

     合壱町壱反者内

 壱反斗代壱石四斗 在所上吉田上

 三反斗代四石二斗 在所石橋町

 壱反斗代壱石四斗 同貝鼻

 壱反斗代壱石三斗 同杉谷

 貳反斗代貳石八斗 同中村

 貳反斗代貳石八斗 同瓜生関下

 壱反斗代壱石四斗 在所同クホタ

    已上壱町壱反

    年貢拾五石参斗之内

    公方之年貢六石五斗

 残八石八斗之内壱石参斗代壱貫文

             長夫銭

 七斗八舛代六百文帰夫銭、已上貳石八舛

 此外諸公事入目貳石貳斗貳舛

 定徳分四石五斗

   文明十三年辛丑十一月廿四日大夫

 

 文明十三(一四八一)年十一月二十四日付吉田五郎大夫田地売券

               (一〇二四、七八一チェック・福井県史八〇八-二六)

 永代売渡申瓜生庄千代房名之事

   合半名者田数壱町壱反者坪付別紙在之 

右件名田者、雖為吉田五郎大夫相伝私」領、依直用代物拾伍貫文仁限永代朽木」正宗

                 (ママ)     (紛)

寺江売渡申処実也、本証文者」正長元年己巳歳廻禄之時令分失之間」、不能相副申候、然

間以新券文地下之」名主為末代請人加判仕之上者、無」相違可有御知行者也、猶以此名

 田相違」子細候者、自瓜生庄内上下荷物雖」何ケ度候、相当之程押可、此外」

 違乱煩申輩出来候者、為 公方御」沙汰堅可有御罪科者也、仍永代」証文状如件、

              郎四郎(花押)

   文明拾参年辛丑十一月廿四日郎大夫(花押)

              務(花押)

 

  文明十四(一四八二)年四月八日付松蓋寺円隆坊源純田地売券(一〇二五)

 

  永代売渡申田地之事

    合壱段者在七条二里十四坪字花木町自南四反目御供田名  年貢外定徳分五斗

  右件田地者、雖為円隆坊之領、依有」直用、能米三石田中御常供升定仁岩神殿江限永代」売渡申

  処実正也、雖本証文可相副」申候、依有類地、先東源法印譲状之」目禄之破裏、以

  新券文師弟加判候て」売渡申候上者、末代無相違可有」御知行者也、然上者於末代兎

  角」此下地違乱煩申輩出来候者、為」公方様堅可有罪科者也、仍永代」売券状如件、

            蓋純(花押)

    文明十二二年壬寅卯月八日 弟子 源朝(花押)

 

  文明十九(一四八七)年五月九日付近江高島安主名春成引付(八〇〇)

  安主名春成御参候引付事

   合

  二百六十文 鯉四代   正月廿三日

  二百五十文 鰈八代   同日

  三百二十文 鮒十二代  同廿五日

  四百文   鮒五十二代 三月日

      已上壱貫二百卅文

  三貫七百七十文     五月九日

      并已上五貫文

  文明十九年五月九日   花押)

 

 延徳三(一四九一)年十一月八日付道万山売券(朽一〇三九)

 

   永代売渡申山之事

    合南ハ小谷之前の松木をさかい北ハ大くちのはなおのほりへ

     下ハ大くちをさかい

  右件山者、雖レ為二道万先祖相伝」之私領一、依レ有二用要一、代貳百文ニ」永代大通庵住

  持宗恩書記」方へ売渡申処実正明白也、」若万一号二子孫一違乱申者」出来候ハヽ、為二

  公方一堅御罪科」あるへきものなり、」仍為二後日一永代売券状如レ件、

     延徳参年辛亥十一押)

 

 享禄四(一五三一)年四月二十四日付坊城俊名書状案(七二一)

 

     御請文□□

  御状之旨委細披見候、仍巷所」代官職事、福井兵部丞相□□」有取沙汰之由承候肝要

  候、三ヶ年之」儀、雖為御法事候、御態々条如御案」文調進候、将又二荷両種送事」、

  目出令祝着候、猶委冨田可被申候」、恐々謹言、

 

    四月廿四日     俊名

    佐々木民部少輔殿

 

 天文三(一五三四)年二月十一日付わかさ畠売券案(『朽』一〇六六)

    」

 永代売渡申畠之事

     公方公事者大豆一升二合

   合在処者九郎開ニ在之   加地子

    東ハ岸南道西ハ地類北ハ道

                七升

 右件畠者、雖レ為二わかさ先祖相伝一、依レ」有二要用一現銭一貫文限二永代一 」書記方へ売

 渡申処実正明白也、」此上者於二乱煩申物有間」敷候、仍為二後日一永代売券」状

 如レ件、

 

 天文三年二月十一日 わかさ在判

 

  年未詳八月二十九日付連乗坊快秀書状案(六二九)

  就今度扱之」儀従山中被仰由」自山崎殿・永田備中殿」之状有之由承候間」、

  相違存候、此状者□」田中左京亮殿為御扱」我等ニ御使被□」殊ニ三ヶ条之儀さへ」

  其方無御同心候」事、中左京亮殿」御□□儀間、為御」□□□□候、恐々」謹言

  八月廿在判

  宮川蔵人助殿

  蕨野源介殿

    御宿所

 

  年未詳十月十日付菊亭代官秀元書状案(七一五)

 

  本庄内安主名佃事、□」御用□□以前古帳面之通」被注出候、至所務之儀者」、無存

  知候之由可申旨候」、恐惶謹言、

   十月十日   秀元在判

  佐々木越中守殿

  飯尾三郎左衛門殿

 

  年未詳十月二十日付快□書状(六三八)

 

  急与申上候□□」御沽脚□證御□候て」案文可有候、毎年」反銭被□候て、当分」達

  成候、興聖寺殿へ」□此由申□候、一段与」被仰候て始終無事」[  ]其子細可申

  候」、[  ]事其沙汰可被申候、恐々謹言、

 

   十月廿日  快□(花押)

 

   飯四殿

   与次郎殿御宿所

 

  年未詳十二月七日付内藤賢高書状案(六二三・福井県史八〇六│四七)

          内藤修理亮

    粟屋右京亮殿粟屋左京亮殿御奉行所   賢高」

  去月廿九日御奉書、今月六日申剋委細」拝見申候、仍鳥羽山門領年貢内大御乳」人

  様江参御切米、私さまたけの様ニ被」御奉書成下候、驚入存候、自私申候儀、去月」

  金輪院阿弥陀院江寄進之儀を、金輪々申定子細候て、催促致候處ニ、代官清

  水」難渋仕候間、使ヲ一両人付催促致候、更ニ他方へ」ハ不点札候、是も自佐々木越

  中方より以」支證被申候儀候間如此候、幸金輪院在京」御尋候、尚々御不審子細候者、

  御尋付書可申」上候、返々大御乳人様江参御切米付違乱為申」事候ハす候、就切米事、

  自朽木方御奉書御」申候て、此方へ承候をも我々催仕、大御乳人様」参候御米

  もめされ候に、如此申掠不謂」被仰候事驚入存候、以此旨預御披露候者」、可畏入候、

  恐々謹言、

 

    十二月七日          賢高在判

   粟屋

   粟屋

    御奉行所

 

  年月日未詳鳥羽庄年貢算用状(八五三・『福井』二・八二一│五五)

   之の事

      合貳百八十石之内納請取分百拾八石五斗三升七合五夕

 一、十八石七斗 十月廿八日   の四人ニ申候、

 一、一石三斗六升        内時ふんニ四分、

 一、二斗六升二合        をきまいの分、

 一、五斗二升          納ますのうわまい、たゝしこれハ次郎殿よりくたり候舛之定、  

一、二石七斗          むく川の人分之かへにれん/\ニまいる、うんちんなし、            

                (運賃)(麻生)

 一、十七石七斗 十一月二日    あさう之人分ニわたし申候、け用一石二斗とも、    

 一、二石八斗五升        白金弥次郎ニ御下行、代二貫之分、    

 一、五升            内時の人ふのさけの代、

 一、一石五合          内白金弥次郎ニわたし申候、代七百十之分、      

 一、五斗            内弥次郎ニ御下行、

 一、一石四斗二升十一月廿日    内弥次郎一貫文之分、

 一、二石            はとり兵衛門大下行、

 一、一石五斗          まつい左衛門大郎方へ御下行、

 一、一石三斗之内三り候   けいさうすへ御下行、

 一、五石            ひゆき方へ御下行、とはのうりかいの定、

 一、三斗四升八合        白金弥二郎借申候、

 一、七石二斗一升五合   内七斗一升五合ハ舛さいふあいのこる

                 六石五斗のかさをへら方へわたし申候、うけとりあり、十二月廿三日、    

 一、一石            まこ大郎方へ御下行、

 一、一斗八升六合       代百卅二文之分、

 一、三升            内人ふのろせんとてまこ大郎方へわたし申候、代廿文、 

 一、三斗一升六合        さんしの代ニ御下行、代二百廿文之分、御使まこ大郎御申候、        

 一、二斗五升七合        ふり一之代なり、百八十文之分、

 一、三斗八升六合五夕      かとのふの代二百四十文之分、

 一、一石三斗三升九合      御の代ニまいる、

 一、一石            ニまいる、

 一、二石八斗          ふん一ニ御下行、

 一、七斗            内二郎衛門ニ御下行

 一、一石九斗          けいさうす之御下行、九月廿八日自内十二月三日そのほか八月御出候時まての分、

 一、一石九斗六升        人ふの下用九月十二日ヨリ十二月廿日まての分、            

 一、四斗六升          御の弥六ケ用、十四日之分、

 一、九斗一升五合        人ふのかへ□たさい□への人やとい候御時之酒手之代、         

 一、二石五斗八升        二郎衛門ケ用、八月十七日ヨリ十二月廿六日まての分、 

 一、三貫四百廿三文分米五石四斗八升      しゆせん方の御借物二十貫文内ニ返弁、けいさうす御そんち候、 

 一、百五十文分まい二斗四升       内使ひこらうふんのわひ事の時酒二との分、    

 一、二石            けいさうすへまいる、

 一、六百八十文分一石一斗一升       御せんの代御下行、

 一、六百廿四文分まい一石三斗       こ大百まいの代ニ御下行、

 一、七十文分まい一斗二升      代ニ御下行、

 一、百八十文分米三斗一升        ふりいこんの代ニ御下行、

 一、二百文分米三斗三升        かとのふの代、

 一、五百文分米八斗□升        やまのいも・かつをうヲをひいまの代ニきた村方の時わたし申候、  

 一、八百廿文分米一石三斗一升三合    わちいの米一石之分、

 一、一石三斗          阿かふのかへにれん/\に進上、御うけとりあり、       

 一、一斗六升五合 十一月五日   しい一斗之分、

 一、一貫八百廿五文 十一月廿六日  御ちうもんあり、きた村方へわたし申、        

 一、三貫二百文分米五石一斗二升□合十一月廿六日  御さうしせん内人ニわたし申候、御うけとりありたゝしし二郎方ニアリ

 一、六石五斗一升九合 十一月廿六日 御うけとりあり、内人ニわたし申候、

 一、百五十文分まい二斗四升 九月廿八日  御つほなさの御たいく□んニけいさうすハまの御しんめいへ御まいり候、

 一、四百五十文分七斗五升   十月四日   きた村方あり、

 一、一斗二升           けいさうす御かり、たゝししゆとくの方のけ用、  

 一、二貫五百文分米四石   十二月三日    けいさうす御のほりの時、のほせ申候、      

 一、一石四升           こんりんいんへたのもしのかけあゐ、御うけとりあり、         

 一、二百文分米三斗二升        こんりんいんへけいさうす御出時のたるせん、           

 一、一石六斗二升         きた村方の下用りやうとの分内ろせん共に、      

 一、四百文分米六斗四升        納人之十二月けかうの時之ろせん、うけとりあり、          

 

※文明九年カ

 

  年月日未詳正宗寺寄進田地所当米注文(八五四)

 

   正宗寺寄進申田地所当米之事

    合

 斗

 同 壱斗

    同 三石参斗

 斗

    同壱石七斗

 古賀南庄□□方□□□原在之 

  三段半田壱段小 同三石三斗

 

 

  年未詳殿様御具足代渡分注文(八六二)

 

  殿様御具足代河副方へ渡分

 十貳貫六百八十七文 永正十三年夫替候て渡候

 十貫文       飯田方より渡候

 三拾貫文      七郷より出之渡候

    已上五十貳貫六百八十七文

  残而七貫三百十文 河副方へ可渡候