周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

石井文書(石井英三氏所蔵)19

    一九 安藝国賀茂郡寺家村石堂村篠村打渡坪付寫

 

 一藝州賀茂郡〈寺家村・石堂村・篠村〉

  御再檢打渡坪付

  田数〈四町五反三畝廿歩米・米三拾壹石壹斗六升〉

  畠数〈壹町三反九畝十歩・代貳貫七百三十八文目銭共ニ〉

  屋敷七ヶ所〈壹反七畝廿歩・代壹貫三百八十六文目共〉

  并三拾五石貳斗八升四合代方共

       八月慶長四十一日

                     内藤弥左衛門『在判』

                       (就貞)

                     藏田東市介『同』

                       元徳

                     三輪加賀守『同』

                       (元續)

                     兼重五郎兵衛『同』

        (勝家)

      石井孫兵衛尉殿

 

*割書は〈 〉、その改行は ・ で記しました。

*書き下し文・解釈は省略しました。

 

 「注釈」

「寺家村」─現東広島市西条町寺家。西条盆地北部、米満村の南に位置する。北東に竜

      王山(575・1メートル)、西に団子山(329・1メートル)があ

      り、米満村から南下した黒瀬川村内平地部を流れ、途中で東に向きを変え

      て御園宇村に至る。

      地名は建武三年(1336)三月八日の桃井義盛下文(熊谷家文書)に見

      え、「西条郷内寺家分地頭職」が熊谷直経に預け置かれた。室町・戦国時

      代は大内氏の治下にあり、応仁の乱鏡山城の攻防に功のあった毛利豊元

      が寺家などを与えられ(文明七年十一月二十四日付「毛利豊元譲状」毛利

      家文書)、永正六年(1509)には神保信胤が宍戸四郎次郎から買得し

      た「寺家村内国松名四貫文」を大内氏から安堵されている(千葉文書)。

      当村南西部にあって近世吉川村の飛郷となった国松が国松名の遺称であろ

      う。大永三年(1523)八月十日付安芸東西条所々知行注文(平賀家文

      書)には「寺家村 三百貫 諸給人知行」で、うち三十五貫が阿曾沼氏知

      行とある。阿曾沼氏のほかに鏡山城城番蔵田房信の知行分も三十貫あった

      が、同城落城後は尼子氏方に寝返った毛利氏に与えられ、毛利氏から粟屋

      元秀に宛行われた(「閥閲録」所収粟屋縫殿家文書)。また同年同じく元

      秀に与えられた「黒瀬右京亮給ともひろ名・もりとう名」(同文書)は当

      村内に小字友広・森藤として残る。大内氏滅亡後、毛利氏は出羽氏や児玉

      氏、石井氏らに寺家内の地を与えた(「閥閲録」所収出羽源八家文書・児

      玉弥兵衛家文書、石井文書)。

      団子山南麓に鎮座する新宮神社(旧村社)は大同二年(807)の勧請と

      伝え、伊邪那美命など十四神を祀る。毛利元就・隆元父子が永禄三年(1

      560)願文を捧げ二〇貫の地を寄進している(磯部文書)。六日市付近

      にあった賀茂社が消失したので合祀したと伝え、「芸藩通志」は「熊野新

      宮賀茂社」と記す。元就が賀茂社に奉納したという鏡が現存。村北部の郡

      八幡神社(旧村社)は伊邪那岐命など十六神を祀る。もと福原神社と称し

      たが、明治四二年(1909)村内の郡八幡神社・雨乞神社を合併し、翌

      年改称したという。もとの郡八幡神社賀茂郡総鎮守社だったのでこの称

      があると伝える(『広島県の地名』平凡社)。

「石堂村」─現東広島市八本松町正力。黒瀬川の河谷に位置し、北は篠村、南は米満

      村、西は飯田村に接する。天正十四年(1586)正月十一日付蔵田秀信

      下地売券写(石井文書)に「正力財満孫右衛門尉殿」とある。慶長四年

      (1599)八月十一日付安芸国賀茂郡寺家村石堂村篠村打渡坪付写(同

      文書)に石堂村の名がみえるが、当村西端に石堂の地名があり、飯田村北

      東部にも石堂谷・石堂山があるので、戦国末期に当村の西部から飯田村東

      部にかけて石堂村と称する村があったことが知られる。その頃当村は志芳

      庄内村から来住した石井氏や賀茂郡に蟠踞した財満氏の勢力下に入った。

      村の木部にある城福寺は石井氏の菩提寺で、天正十三年石井勝家の弟の僧

      住道が再興したと伝える(広島県川上村史)(「正力村」『広島県の地

      名』平凡社)。