周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

モーリス・パンゲ その2

  モーリス・パンゲ『自死の日本史』(講談社学術文庫、2011)

 

*単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。

 また、誤字・脱字の訂正もしていません。

 

第5章「歴史の曙」

P170、(殉死)ときによれば彼らは主人を愛するがためというよりも、自分たちの勇気と忠誠心を誇示するために死ぬのだった。自分のしたことが、後世、人を感動させ人の称揚を得んがために、彼らはこの世から消えてゆく。ただひとつの身振りで、彼らは悲しみを極め、ヒロイズムの頂点にわが身を置く。有無を言わせぬかたちで、彼らは、自分たちの至純の感情を明らかにする。愛しもしないで愛を語るものを、自分の感動を行動のなかで生きもしないであれこれ吹聴するものを、彼らは軽蔑するように教えられていた。ただ一つの行為が、どんな長い言葉よりも、自分たちの気持ちをよく語ってくれると、彼らは考える。なぜなら、言葉は人を欺くことがあるけれども、行為は決して人を欺かないからだ。

 今生最期の行為、その後にはいかなる行為もあり得ない行為、その行為が絶対的な誠実さの表れであることを、彼らは疑わない。それが彼らの信念なのであった。あるいはそれは幻想であるかもしれない。自殺というものの実態は複雑であり、それが含んでいる兆候的側面ゆえに、額面通りには受け取れないものだということ、自殺者が意図すること以上に自殺という行為は多くを語るものだということ、それを私たちは知っている。

(殉死の目的、自死の意図を取り違えないこと。言葉をそのまま受け取ることには限界がある。だから、行為の分析が必要。しかし、行為の分析そのものが言葉を用いるという矛盾に遭遇する。そして、行為を価値づけるのも言葉。死んだ後には何もできない。だからこそ、その行為を遂行したことに凄まじい決意を読み取ってしまう。そのことを自死遂行者は知っているから、自死を遂行する。自殺者の行為は、当人の意図や目的を越えて、第三者に影響を及ぼす。)

 

 

第6章「暴力の失効」

P173、(殉死の禁止令)したがって、たとえまったく石的に行われる場合であっても、殉死は好ましからざるものであるとされ、ついで禁止されなければならなかった。そのために朝廷は、600年前に初めて埴輪を作らせた時と同じように、人道的な感情に訴えた。

 だが本当の理由は政治的なものであった。中庸であることを宿命づけられている国家は狂信を警戒しなければならなかったのだが、絶望と狂熱の感情から生まれるこの行為は、国家の目から見ればどことなく狂信の匂いのするものになっていた。献身的自己犠牲の行為は、それが有益な場合もあるのだから、いっこうに差し支えはない。しかし死んだ人間のために死ぬこの殉死というのは、つまらない虚栄心を満足させることにしか役に立たない。費用と効果との間に計測可能な関係を打ち立てようとする合理主義は、そのような無益な犠牲を認めるわけにはいかなかった。無益に失われたその命は、新しい主人のためにあるいは有益に用いられたかもしれないではないか。無益に土に埋められたこの財産は、世間に流通させれば、生きた人間たちの繁栄の基になったかもしれないではないか。『日本書紀』巻二十五、大化の改新で殉死が禁止され、罪を犯したものの一族は全員罰せられることになった。

自死を禁止したわけではないが、殉死は禁止された。なぜ上位概念である自死は禁止されなかったのか。)

 

P180、太古の昔から人々はタタリ〔祟り〕を、つまり自分が殺した人間とか、言われなき中傷と不当な扱いを受けて自ら命を絶った人間の復讐を、恐れていた。恨みをもった死霊は生前の敵を苦しめ、通りすがりに無実の人を殺し、世の中に災厄を引き起こすのであった。そういう場合に人々は、非常に込み入った鎮魂の儀式を執り行わなければならない。今でも人が自殺した場所は何やら気味悪い霊気に、したがって鎮魂の儀礼に包まれている場合が少なくない。

(殺人被害者は自死者と同じように、恨みを抱いていると考えられている。殺人や自死は、事故死や病死といった偶然死は異なるため、意図を感じ取ってしまう。殺されたことと自ら死んだことの間の違いを、当時はどのように認識していたのか。『万葉集』挽歌をチェック)

 

P183、菟原に澄んだ乙女は、自分の命を消すことで、愛の自由を、墓のなかで自分を愛する者たちと結ばれることの自由を手に入れた。しかし今は、恨みを抱いて自ら命を絶つ者たちの多くが、死ぬことで憎しみの権利を、敵を害する権利を得たいと望む。

自死によって怨霊化し、恨みを晴らすという考えで自殺する人間がいるかもしれない。)

 

P186、これこれの場合には自殺は義務であるということを定めるコードが、日本史の別の時期には存在するが、そのようなコードは今はすでに、というよりも今のところ(平安時代)まだ存在していなかった。

(自殺は義務であるとするコードの存在確認と、その成立背景の追究。)

 

P187、仏教が自殺というよりもむしろ暴力一般をどれほど非難排斥しようとも、同時にそれに代わる方策を提供するものでなかったならば、自殺を思いとどまらせる説得力をもつこともなかっただろう。私が言おうとしているのは、出家、つまり自殺することなしに世間的には死ぬことを意味するあの方策のことだ。

(仏教は自殺を非難排斥しようとしたのか。禁止はしていないのか。なぜしないのか。)

 

P191、(浮舟)子は親を置き去りにして先に死んではならないと、儒教が説いている親孝行の徳目を彼女は忘れていない。しかしまさに母親への愛情ゆえに、浮舟は我が身の恥に巻き込んで母親にも恥をかかせることだけはしたくないのだ。(薫と匂宮が鉢合わせし、召使いたちが暴力沙汰に及ぶかもしれない。)そうなれば死人も出よう。我が身を捨てて今の平和を守らなければならない。自分のために人が苦しみ、人が死ぬことがないように、自分が死ななければならない。自己犠牲という道徳的理想が、困難な状況から逃げ出したいと思う願望、自分の過ちを贖わなければならないと思う欲求にも増して、結局は、浮舟に死ぬための勇気を与えてくれるのだ。

(自身が恥をかかないためだけでなく、自分の母に恥をかかせないためにも自殺する。自殺は異なる要因によって発生するし、同じ要因でありながら異なる心情で遂行することもある。)

 

P192、(浮舟の解釈)二人の男に愛されて、思い煩うあまり、それだけの理由で身を投げた若い女の例はいくらでもある。この命を亡き者にしたからといって何の後悔することがあろうか。なるほど母上もしばらくの間はお嘆きにもなろう。でもやがて、他の子供の世話でその悲しみも紛れよう。そしていつかは私の死んだ悲しみもごく自然に忘れておしまいになるだろう。私が生きながらえて過ちを重ね、人生に翻弄されて、世の人の笑い物になるのをお見せする方が、母上にとってはずっと大きな心配の種になるに違いない。

紫式部自死をここまで考えていた。)

 

 

第7章「武芸そして史の作法」

P205、権力意志が辿るこの有為転変のなかにあっては、自殺は、戦いに敗れたものの最も誇らしい行為であるばかりか、最も道理にかなった行為ではなかっただろうか。我と我が命を絶つことで将軍たちは、敵が勝利することは如何ともできないにしても、少なくとも敵が勝ち誇る機会だけは奪うことができる。それに、いずれ間違いなくやってくる死のあとの、もっとも恥ずべき屈辱を逃れることもできるのだ。そればかりか多分、胸の内なる怒りを自分自身に向けることで、おのが敗北した無念さを我が身に鞭打つという満足も彼らは見出していたのではないか。家臣であるものはどうであったか。彼らは主人に従って来世の世界、というよりも新しく始まるもう一つの世界に赴くことを義務だと考えていた─引き続いて主人に仕えるためだ。自決は、したがって、逃げることのできなくなった者の最後の逃走の手段であった。最後の瞬間に勝ちとられるこの名誉を横取りしようとするものはいないだろう。

自死が斬首・晒し首の屈辱を逃れる?敗北の怒りを自分に向けることが満足?マゾヒスティックという単純な言葉で片付けられるのか?自死は、逃げられなかったものの、最後の手段。いきなり思いつく最善の手段ではない。)

 一方、勝った方もこのことで随分と特をしているのだった。敵が自決してくれれば、彼らは丸腰になった敵を殺めるという、厭うべき行為を免れることになるし、敵方の復讐を恐れなくてもすむというわけなのだから。死んだ人間が恨みを晴らしにくるということもあるにはあるが、その可能性は生きている人間に比べればそう多くはない。〈意志的な死〉を代償にすれば、国家の安泰(ということはつまり勝利を収めたものの安らかな眠りということだが)が脅かされることも少なくなるというわけなのだ。

(以上が、自殺者とその敵対者が認める、自殺の合理性)

 キリスト教は、聖アウグスティヌス以来何世紀もの間、執拗にカトーを誹り続けてきた。すでに452年のアルルの公会議に始まることだが、自発的な死を「悪魔に憑かれた狂乱」とみなすことによって、キリスト教は自殺が持っている合理性を隠蔽してきたのだ。(中略)そのためには私たちは今でも、自殺というものが何か精神の錯乱の病理的兆候だというばかりではなくて、その状況に応じて─この状況からその行為の意味は汲まれるのだ─それなりに合理的な行為であり、その点で他の行為となんら変わることのない一つの行為である、と考えるためにはかなりの努力が必要なのである。

(自殺には合理性がある。その合理性の内実と個人の心理的・歴史社会的形成過程を明らかにしておく必要がある。希死念慮は、心霊現象でも精神疾患でもなく、合理的判断である可能性がある。したがって、自殺を止めたければ、その合理性を覆さなければならない。)

 

P215、〈意志的な死〉はそれゆえ、抗い難い運命の力(遅から早かれ、どんな勝ち誇る人生にも、最後の時というものがやってくる。その時が来れば、敗北するすべを知らなければならないのだ)に対する人間の側の道理にかなったつつましい応答なのであった。だがそれは万策尽き果てたときの解決手段というだけのものであったのではない。

 この時代の人間が持ちたいと思っていた力と意志の理念、死は人がその理念を持っていることを明確に示すための方法とならなければならなかった。

自死は最後の解決手段というわけではない。)

 

P220、(義経記)我らの友〔佐藤〕忠信がその昔おのが腹を切り開いたことを覚えておられますか、と従者のうちのあるものが彼に言う─忠信の勇気は今も人の賞賛してやまないものだ、と。義経のその忠信の死に方が最善であることを認める。それはもっとも困難であり、それゆえにもっとも輝かしい死に方だった。彼はそれを選ぶ。

自死は勇気ある行為で、賞賛に値する。)

 

P231、切腹が常に最後の切り札というわけではないのだ。腹を切った家臣たちが息の途切れる間際にまだ貞直の声(切腹は不覚の者の振る舞い。最後の一騎になっても敵を滅ぼして名を後代に残すことが勇士の本意である。『太平記』巻第十)を聞くことができたとするならば、この切腹非難は彼らを驚かさないではいなかっただろう。(中略)しかし、まさにその武士的倫理の観点に立ってすらも、自殺へと向かう心の傾きがもつ宿命論を、単なる命への執着からではなく、より高く厳しい理想の名において、つまり自殺が内包する敗北主義の入り込む余地などまったくない、たとえ勝つ望みがないときでも溌溂朗々として戦闘の場で死んでゆくそのような死しか認めない理想の名において、批判することが可能であることを貞直は示しているのだ。

自死を肯定する立場と否定する立場と肯定する立場がある。)

 

P234、人間本来の生命への愛着の声が聞かれなくなったときにも、自殺から人を守る一本の防御線が残されている。それは道徳的義務の観念であり、多くそれは形而上学とか宗教によって補強されている。私が私を殺すことができるのは、ただ私が私のものである場合に限られる。だが汝は汝の国家のものだ、とアリストテレスはいう。神のものだ、とプラトンが、次いでアウグスティヌスがいう。

自死をするのもやめるのも、個人の心理の問題だけでなく、社会道徳・慣習・価値観が影響を与える。)

 

P235、切腹という堅固で、残酷で、誇張的な形を身に纏ったことで、自殺という行為は、他のどのような文明も認めたことのない高い精神的価値を、この中世の日本において獲得することができた。しかし死ぬ権利が認められていたのではない。どんな権利にしろおよそ権利というものは認められていなかった。精神生活の全体が義務の言葉で言い表されていた。死んでしまいたいという願望が、この奉仕の道徳のなかで、実現の機会を持ち、自己正当化の論拠を見出すことはあっただろう。だが結局のところ、決定権は、この道徳にあったのであって、個人主体の心理にあったのではなかった。自分の人生に決着をつけたいという思う精神の傾きが、どこにでもその根拠を見出すことのできたであろうこの引き裂かれた時代にあっては、切腹を、というよりも切腹の乱用を非難することは、どのような行為も結局は義務の命令に従うべきであろうことの確認を意味していた。

(中世において、自死は自由意志ではなく、義務として現れる。)

 苦痛や市の恐れだけでは切腹の数を減らすことはできなかっただろう。なぜなら、まさにその見るも無残な死にざまからこそ、切腹は、その説得力を得ていたのであるから。しかし、すべての制度がそうであるように、切腹もまた、それが最初にもっていた活力を失い、まさにそのゆきすぎた乱用のゆえに擦り切れてゆく。やがて人々はそれを議論の対象とし、それについてあれこれと論じ合い、それをいくつかの公式にまとめあげようとする。一種の詭弁が構成され、目的が何であれ、それに切腹を利用しようと人は試みるようになる。それについて言葉が費やされれば費やされるほど、人は切腹をうまく避けることができるようなった。

切腹の隆盛から切腹の否定への移行は、人間が生み出した歴史的成果。否定は肯定の後にしか生まれないのではないか。であるならば、否定は否定的に捉えるのではなく、成果として肯定的に捉えるべきものかもしれない。いや、これは自死を否定したのではなく、自死よりも価値のあるものを提示しただけかもしれない。自死には価値があるが、それよりも価値のある行為、行為の価値を生み出したと言える。)

 

 

第8章「捨身」

P238、(太平記楠木正成兄弟)そのように美しい最期、思い残すこともなく思い改めることもなく、思い返すこともないこの最期が表しているのは、生を早く終わらせたという欲望ではなく、最後の最後の瞬間まで生きようとする生への純粋無垢の愛なのである。

(命を終わらせるという目的だけで自死を遂行するとは限らない。最後の瞬間まで生きるために自死を遂行する。生きるために自死するとはどういうことか。生きることは自由意志の遂行ということか。事故で死ぬのも、病気で死ぬのも、殺されるのも、受動的な死である。運命(完全な偶発性)に委ねるのではなく、自己の意志のもとに、自己の死を掌握したいということか。)

 

P244、精神的な努力は意志の大きな力を要求し、かつそれを発展させる。しかし意志の力の鍛錬のみに終始するものは智慧を得ることはできない。自己の力のみを追い求める意志というものは欲望と同じほどに空しいものだ。仏教は禁欲主義のなかにひそむ意志のための意志を警戒し、又そのような意志の犠牲的な自己満足を警戒する。

(意志の力の強さに大きな価値を置いている。意志に全能感を認めているのか。)

殉教という形を取らずに死んだ宗教創始者ブッダ)、それはなんと注目すべきものであろう。つまり死はなんの役にも立たないということなのだ。自分を殺したり、他人に殺されたりすることの無意味を教えるのに、これほどつつましい、だがこれほど決定的なやり方がありえただろうか。

(仏教は死に価値や意味を置かない。自死を賞賛するのはジャイナ教。)

 

P245、(キリスト教)こうして以後、人はヨブの名においてカトーを誹謗し、死ぬことの勇気を臆病と名づけ、生きて耐える勇気の前にそれを貶めるようになる。

(神は生と死の唯一の支配者。キリスト教は死に意味を与え、評価した。)

自殺することは、人間にではなく主なる神にのみ属する至上の権利を─あるいはむしろその権利を委譲されて死刑を執行する正当な権力者の権利を犯すことを意味する。

(生殺与奪権は神にある。自殺はその権利を侵害するものである。日本人にはどんな考え方があるのか。)

 

P248、自殺とは諦念の表れでもあるが、同時に、反抗心の表れでもある。それは確かに永遠に口をつぐむことではあろうが、多くの場合その沈黙の目的は唯ひとつ、この世の生を生きることのできないものにしている全てのことの、なかんずく圧制の告発であった。自殺は常に、闘う手段を持たないものたちの最後の手段であった。死を受け入れさえすれば、どんな弱者も恐るべき存在たりうるのである。それは弱い者が強い者に対抗したいと望むからではなく、弱さが下から絶望の結果を照らし出すからである。

自死は諦めだけでなく、反抗でもある。それは強者への対抗ではなく、抗うことのできない絶望感を表すから。)

 

P249、最小のものから最大のものに至るまで、権力とは全て、互いに敵対するものであるよりもむしろ互いに連帯し、互いに互いの共犯者であるものなのだ。

(強い権力に反抗することで、弱い権力は権力としての正当性を得ることができるし、強い権力は弱い権力を排除しようとすることで、自己の権力を正当化する。相対的な権力がなくなれば、権力は権力の正当性を失う。)

 

P262、焼身自殺は中国仏教史にも多くの例を見る。日本でも、大宝年間の702年に公布された法令が正式に僧の焼身を禁じている。

 権力者は自殺に向かう熱狂がこのような極端な形を取ることをけっして許しはしない。宗教的禁欲主義はすぐにも権力に対する批判の形を取りやすく、その結果政治的反抗を誘発しかねない。

律令の条文をチェック。僧の焼身自殺は国家として禁止したが、その他の自殺はなぜ禁止しないのか。禁止するほど社会問題になっていなかったのか。そういえば、なぜ現代の国家は自殺を禁止しないのか。)

 

P270、そもそも憐れみというものが苦しむものの求めている答えを与えたことがかつてあっただろうか。仏教が与えるのは憐れみでもなくキリスト的慈愛でもない。慈悲(共─苦)なのである。もっとも清浄な平静心以外のどこに深い慈悲の道が開かれえようか。憐憫は人を弱くし、人を辱める。慈愛は人を卑しくしかねない。不動の心持つ慈悲心を除いて誰に、我が内なる苦しみと弱さを告白することができるだろうか。慈悲はことのあるがままを知り、裁きはしない。すべてを理解し、何事にも怯まない。

自死者に対して、人は憐れみと慈愛の心で臨もうとするから、獅子は無くならないのか。)

 

P284、生を望まぬこと、死を望まぬこと。道元はこうして「中」なる道、ブッダの説いてやまなかった「中」なる道を再び見出すのである。生にあまりに執着し、生が与え、生が約束するものに愛着することのあまりに大きいがゆえに、ただそれゆえにのみ人は自らの命を絶つ。生への幻想もなくしたがって幻滅もなければ、どうして人は自殺することがあろう。健康的で眼のうろこをとるがごとき効果をもつ禅の思想は、自殺に対する最良の対抗策である。

(生への愛着が強すぎると、それを失えば絶望し、自殺へと走らせるのか。生と死のどちらにも傾かないことが大事。死は不可知であるから、死への愛着が絶望に変わって、生へと傾くことはない。)

 

 

第9章「残酷の劇」

P300、つまり、スタンダールも言っているが、体で示す勇気は真似をすることができない唯一の徳だからである。生命をかけて己が名誉に責任をもつ者、そのようなものが嘘をついていると疑うことはできない。肉体をもって行為する、それだけで十分なのだ。口先だけの言葉が虚しく論じ立てようとする真理を、彼は行為のなかで明かしたてる。どんな徳でも名声のために、あるいはこの世、あの世で期待される功徳のために、あるいは自分の健康、幸福、救済のために行われるというのはその通りかもしれない。

(これも、言葉は嘘をつくが、行為は嘘をつかない、ということと同じか。だが、その行為の意味は言葉でなければわからない。)

 

P302、死んだ主君のあとを追う家臣の死(殉死)は、切腹という形(この場合には「追い腹」と呼ばれる)のなかに完成を見出す。そこに奉仕の精神は頂点を極める。この最後の奉仕がまったく何の役にも立たないものであるだけにその頂きは高い。

(無駄・無意味であるからこそ、行為の価値はより高まる。人間は、なぜここに価値を見出すのか。近代的合理性とは真逆の価値観。前近代的合理性。これが何なのか。具体的には、言葉では忠誠を誓っても、その言葉は嘘をつく。だから、行為で証明する。言葉に対して信用をまったく置かない社会だから、行為を要求する、あるいは行為で示そうとするのか。言葉には言霊が宿ると言いながら、実は信用していないから神仏を仲立ちに起請文を書く。社会的制裁を担保に契約を結ぶ。こういう考え方はどの時代のものか、どの時代にもあることか。これも自死切腹・殉死)の一つのパターンにすぎない。)

 

P304、相手を攻撃する代わりに最初から自分の腹を切っていれば、自分の正しさを認めてもらえるし、恥をかくの敵の方だ。こうすればどんな屈辱も雪げるし、それに加えて人の理解と賞賛と愛惜とを確実に手に入れることができる。

(そんなものを手に入れて何になるのか。これが手に入るから自死をするというのが、前近代人の合理性なのか。どうしてそれが大事なのか。なぜ、恥を恐れ、名誉を欲するのか。人間は社会的動物だから仕方ないのか。それならこの感覚は超歴史的なものか。強弱の変化ぐらいしか歴史的特殊性を指摘できないのか。)

 

P316、だからと言ってサムライに対して刑の適用がゆるやかであったわけではない。むしろ逆に、武士階級は一般庶民以上に厳しく監督され、一般庶民以上に罰せられることが多かったのである。たとえば農村社会などでは慣習法にしたがって生活する自由をもっていたし、一揆の場合を除いて、将軍も大名も農村社会の処罰の実際に口をはさむことはなかった。「詰め腹」という刑の適用を武士に限定することで、この階級的司法体制は武士道徳が全社会秩序の要の石であることを表明しているのだ。支配階級の秩序が保たれていれば国全体の秩序もすべて保たれるであろう、という儒教的原理がそこに見られる。そしてその一方で、刑罰の威嚇なしでは秩序は維持されない、という法家の主張も見えている。こうして、元来相対立する中国の二つの思想─性善説儒家の思想と性悪説的法家の思想とが相補う形で、切腹という日本固有の刑罰の長い伝統を根拠づけているのである。

儒家思想と法家思想の相補関係が切腹を形成。)

 

P335、人を殺す人間は、そのあとで自分も死ぬことを承知するのでない限り、どんな口実をもってしてもその行為を正当化することはできないのだ。切腹の道徳的効果にさらに政治的効果が加わる。前もって死の刑罰が受諾されているのであるから、仇討ちというものが内包している増幅的連鎖反応の危険を抑え込むことができる。

 しかし、人々は彼ら四十七士が今から死ぬということ、彼らが死を受け入れているということ、自分たちの運命を自分で選んでいるのだということを知っていた。だから彼らは、彼らの敵であるものからさえも敬意をもって見守られながら江戸の町を通り過ぎて行く。誰も彼らを襲撃しなかった。外界から明確に引き離されて、仇討ちは彼らとともに終わるのであった。

切腹することがどうして正当化されるのか。それは何らかの政治的効果があるから。なぜそんな政治的効果が生まれるのか。命の重さを天秤にかけているのか。命の重さはどう量られるか。笠松の折衷の法を再読するべき。同等とみなすべき価値観はどこから生じるのか。切腹は国家秩序と封建的名誉の両方を同時に満たす行為。国家反逆に対する罰として執行される同時に、武士である罪人の、武家社会の倫理観をも認める最良の判決ということになるのか。)

 

P347、歴史的理性がかつて用いたもっとも複雑怪奇な策略の結果として、この闘いの勝利者たち(倒幕派)は当然なすべきことを、そして自分たちが夢にも意志しているとは思っていなかったことを、為すはめになる。彼らは復古を狙っていたが、実際には近代化をやってしまったのだ。

(行為の予期・意図と、行為の結果が一致するとは限らない。)

 

 

第10章「愛と死」

P359、(心中について)彼が身を犠牲にするのは、義理のためではなく、愛のためなのだ。生きている限り、彼は子の親に対する恩義を果たそうと努める。親の恩は組み尽くせないほどに深く、この世に産んでもらった以上それは当然追うべき義務とされていた。そして養子にしてもらうということはもう一度産んでもらうことなのだ。だが、一つの抜け穴が開かれている。〈意志的な死〉が、何の制限もなく愛することの自由を彼に与えてくれるだろう。死の代価を払えば、彼の道徳的隷属も同時に終わるのだ。

(このままでは愛を遂げることなく、道徳に隷属して生き続けなければならない。だが、死ぬという行為を遂げれば、愛すること(愛を選んだという事実)を示すことができ、道徳的隷属からも逃れることができる。ただ、死とともに愛も死ぬのではないか。それでも、愛を示すこと(死ぬこと)を選ぶのか。来世でともに暮らすという仏教思想がその選択を土台として支えているのか。)

 

P360、孔子は名誉と徳のために行う自殺、たとえば諫止を目的とする自殺ならば許している。だが女のために死ぬなどとは度しがたい過ちなのだ。

孔子は、意図によっては自死を認めている。自死そのものは認めていない。)

 

P399、キリスト教は自殺というものを、人間の意志を神の意志に結びつけている関係の発作的破綻であると解釈した。自殺は悪魔という形而上的存在の反逆行為とみなされていた。つまり、人間世界に関係づけることで、それに意味を与えることができたであろう道徳的責任を、自殺は免除されたのである。このことはまず何よりも生き残ったものたち、家族の者、罪を免れた権力者たちの役に立ったが、ときには死んだ人間自身に有利に働くこともあった。だが、それは彼らが死ぬ前に傲慢にも自分が正しいと主張しなかった場合の話だ。精神がどうかしていたのだと考えることができれば、世間の人も彼らを大目に見て、人並みに墓地に埋葬してくれた。お前は正気ではなかった、その限りでは神はお前を許し給うだろうし、我らもお前のことを不憫に思うのだ、と司祭は言う。

 それに対して日本では、自殺は人倫の世界から引き離されたことは決してなかったし、〈意志的な死〉としての、精神的な行為としての価値を失ったことは決してなかった。それは、根拠のある、理性的な、熟慮された行為であり、地上の人間世界に完全に組み込まれた行為であり続けたのである。西洋の精神科医たちが十九世紀になってもまだ、自殺を狂気とか、ふさぎの虫、要するに精神異常としか見ようとしなかったのに対して、日本では、自殺は明白な、そしてまったく人間的な真実の開示なのであった。

(そういう意味では、デュルケームの自殺論は画期的だった。)

 

 

第13章「ニヒリズム群像」

P551、古代ギリシア・ローマは、その幸福主義的傾向に従って、自殺を「分別ある脱出」として、無益な苦痛から逃れるためのもっとも確かな方法として、認めていた。ストア派の哲学は、「賢者」の尊厳を保証する役割を負わせることによって、自殺にある種の倫理的機能を付与していた。一方、日本の武士的伝統は、自殺という行為を儀式化することによって、それが名誉と自己放棄に対してもつ関係をすでにひとつのコードに変えていた。

 

P554、西洋への門戸開放のもっとも能弁な弁護者であった福沢諭吉、その彼に、ヴォルテールからベンサムに至る啓蒙精神の具現者たるべき役割が回ってくる。そこで彼は自由を賛美する─だがそれは、自由が国民全体の福祉に役立つかぎりにおいてのことだ。おのが信条をまとめたものとして、彼が1900年〔明治32年〕2月11日に発表した29カ条から成る「修身要領」のなかで、福沢は徹底的に自殺を非難している。「天寿を全うするは人の本文を尽すものなり。原因事情の如何を問はず、自から生命を害するは、独立自身の旨に反する背理卑怯の行為にして、最も賤む可き所なり」

 

P567、『吾輩は猫である』が出版されたその年に、日本はツァーの帝国と戦争をしていて、国内の矛盾を祖国への献身のうちに忘れ去っていた─戦争は社会に焼きを入れ直す、とヘーゲルがすでにその昔強調していたし、最近デュルケームが戦争のあるときには確かに自殺率が減少することを論証したばかりであった。戦争が自殺病の治療法だというのなら、この治療法は病気自体よりたちの悪いものではないだろうか。

 

P569、日本の伝統主義は、キリスト教が打ち立てようとした自己犠牲と自殺、つまりイエスの死とユダの死との間の対立を、今も保持している。〈意志的な死〉をその意図と切り離して考えてはならない。目的と理想を持ち、倫理的価値を肯定することで共同体の礎と成るならば、それは良き死である─しかし、絶望、孤独、否定というものの結論でしかないのならば、それは悪しき死である。19世紀人文諸科学の余白に展開される自殺社会学の言説は、このふたつの〈意志的な死〉の対立を隠蔽する結果になった。自殺という行為それ自体だけを見ている限り、自殺と自己犠牲の区別は付けられないし、それらが主張する意図、多かれ少なかれ幻想的で、ときには狂気の相を帯びることもあるその意図は、何らかの精神病理の兆候として解読されることになるほかはない。

 それに対して倫理的立場からは、人間の意図を病理的兆候として分析することそのことがすでに、克服すべきニヒリズムの一部を成しているのだ、と半裸オンすることができるだろう。二つに一つなのだ─科学のニヒリズム的しようか、あるいは生命を超える価値の商人か。どちらかを選ばなければならないのだ。自殺社会学がその臨床的、統計的目録を作り上げようとしている今こそ、〈意志的な死〉にひとつの意味を認め、ひとつの有効性を保証するような、〈意志的な死〉の道徳学の可能性を開いておくことが必要なのである。一切は行為の高貴さにかかっている。この高貴さこそが、それに耳を傾け、それに与することのできる精神を目覚めさせるのであるから。

 

P577、自殺するものの過ちは、世間というものが目的を持たない遊戯、善悪には何の関係もない無邪気な遊戯であることを忘れていることだ。冷静を欠き、ユーモアの精神を欠いたこと、それが彼らに対してなしうる最大の批判であろう。人生というのは、わざわざ呪うに値するほど本気なものではない。ブッダのほほえみがそのことをわれわれに教えてくれているではないか、禅がそれを明確な言葉で表現してくれているではないか。