周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自殺の中世史 42 ─吾妻鏡11(恥辱と自殺)─

  建長二年(一二五〇)六月二十四日条

                   『吾妻鏡』第四十(『国史大系』第三三巻)

 

 廿四日戊午、今日居住佐介之者、俄企自害、聞者競集、圍繞此家、觀其死骸、有此人之聟、日來令同宅處、其聟白地下向田舎訖、窺其隙、有通艶言於息女事、息女殊周章、敢不能許容、而令投櫛之時取者、骨肉皆變他人之由稱之、彼父潜到于女子居所、自屏風之上投入櫛、息女不慮而取之、仍父已准他人欲遂志、于時不圖而聟自田舎歸着、入來其砌之間、忽以不堪慙、及自害云々、聟仰天、悲歎之餘、即離別妻女、依不隨彼命、此珎事出來、不孝之所致也、不能施芳契之由云々、剰其身遂出家修行、訪舅夢後云々。

 

 「書き下し文」」

 二十四日戊午、今日佐介に居住するの者、俄に自害を企つ、聞く者競ひ集ひ、此の家を囲繞し、其死骸を観る、此の人の聟有り、日来同宅せしむるの処、其の聟あからさまに田舎に下向し訖んぬ、其の隙を窺ひ、艶言を息女に通はす事有り、息女殊に周章し、敢へて許容する能はず、而るに櫛を投げしむるの時取らば、骨肉も皆他人に変はるの由之を称し、彼の父潛かに女子の居所に到り、屏風の上より櫛を投げ入る、息女慮はず之を取る、仍て父已に他人に准じ志を遂げんと欲す、時に図らずして聟田舎より帰着し、その砌に入り来たるの間、忽ち以て慙に堪へず、自害に及ぶと云々、聟仰天し、悲歎の余り、即ち妻女を離別す、彼の命に随はざるにより、此の珍事出来す、不孝の致す所なり、芳契を施す能はざるの由と云々、剰へ其の身出家を遂げ修行し、舅の夢後を訪ふと云々、

 

 「解釈」(『現代語訳 吾妻鏡』13、吉川弘文館、2010)

 二十四日、戊午。今日、佐介に居住していたものが急に自害した。(話を)聞いたものが続々と集まってこの家を取り囲み、その死体を見物した。この人には婿がおり、このところ同居していたが、その婿が一時田舎に下向した。(父は)その隙を窺って息女を口説いた。息女はたいそう狼狽し、決して受け入れることはできなかった。しかし、櫛を投げた時に取れば、肉親であっても皆、他人になると言われており、その父は密かに息女の居所に向かい、屏風の上から櫛を投げ入れた。息女は何の考えもなくそれを拾った。そこで、父はもう他人も同然だとして思いを遂げようとした。その時、はからずも婿が田舎から帰着し、その場に入ってきたため、(父は)たちまち恥ずかしさに耐えられずに自害したという。婿は驚き、悲嘆のあまりにすぐその妻女を離別した。父の命令に従わなかったため、このような珍事が起きたことは不孝によるものであり、契りを保つことはできないという。そのうえ自身は出家を遂げ、修行して舅の死後を弔うという。

 

 「注釈」(以下、断らないかぎり、『現代語訳 吾妻鏡』の注釈を引用)

「佐介」─佐介谷。現鎌倉市鎌倉駅西方、源氏山の南西にある谷。

「櫛を投げた時…」─『日本書紀』神代一のイザナギイザナミの黄泉国神話から見ら

          れるように投げ櫛は不吉とされ、絶縁を意味すると考えられた。

 

 

*この史料は、すでに勝俣鎮夫「死骸敵対」(『中世の罪と罰東京大学出版会、1983、51頁)で分析されているので、まずはその紹介をしておきます。

 

 (婿は父の命にしたがわなかったこの娘を不孝者として離別し、自分は舅の後世を弔うために出家した)行動は、亡父の遺恨をなだめるためのものと思われるが、ここで興味深いのは、この男の自害を聞いた人々が競い集まり、その家をとりまいてその死骸を観たと記されていることである。このような状況における死骸のありかた、その意志(遺恨)の表示が人々の興味をひいたものと考えられ、それがまたこの聟の行動とも深く関わっているのではないかと思われるのである。すなわち、死にかたの問題と死骸の意志は深く結びつき、その意志を叶えてやるのが当事者の義務と信じられていたのである。

 (中略)

 以上、不十分ながら、わが国においても古くは、死骸もまた意志を持つ存在であり、その意志は、とくに子孫などに絶対的拘束力をもつものと信じられてきたことをみてきた。このような観念が「死骸敵対」の語をうみだしたものといえる。そして、これがおそらく置文・譲状の子孫に対する効力をその根底においてささえていたものであったと考えられる。また不遇な死にもとづく死骸の遺恨をとりのぞく「亡父の死骸の恥をそそぐ」行為たる敵討が子孫・従者などに強く義務づけられたのも、この死骸の意志と深く関連していたといえるであろう。

 

 さて、私の問題関心はあくまで自殺なので、そこにこだわってまとめてみようと思います。鎌倉の佐介谷に、ある家族が住んでいました。家族構成は、父と実の娘、娘の夫(婿)でした。六月二十四日のこと、婿がちょっと家を留守にしているうちに、父は自分の娘に言い寄りました。娘はそれを受け入れなかったのですが、その現場を帰宅した婿に見られ、それを恥じて自殺したのです。

 自殺を遂げた父は、いったい何を恥じたのでしょうか。実の娘を手込めにしようとしている(近親相姦未遂)現場を見られたことか、それとも人妻強姦未遂現場を見られたことか、それともその両方か。このような疑問がはっきりすれば、恥の内実も明確になるのでしょうが、これ以上のことはわかりません。いずれにせよ、恥に耐えられなくなったことが自殺の原因動機であり、その恥から逃れたいという目的動機によって自殺を遂げたと説明でそうです。

 ただ、恥から逃れるための方法として、自殺を選んだ理由はよくわかりません。仮に恥から逃れるだけなら、所在を知らせず逐電する、あるいは娘夫婦を殺害して事実をもみ消すなどの方法も考えられるはずです。が、そうした方法を選ばなかったということは、現世内での逃避よりも、来世への逃避(自殺)のほうにメリットがあると判断したから、ということになります。自殺した男が、死を、あるいは来世・後世・彼岸を、どのように考えていたのかがわかれば、自殺を選択した背景に迫ることができるのでしょうが、この点についても、ここで手詰まりになりました。今後の課題にしておきます。