周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自殺の中世史 43 ─吾妻鏡のまとめ─ Analysis result of Azumakagami(The history book of the Kamakura shogunate)

 ここまで、『吾妻鏡』に記された自殺を紹介してきました。鎌倉幕府の歴史書だけあって、武士らしく、戦さに関する自殺記事が多いように思います。そのなかでも注目しなければならなかったのが、「恥」でした。

 以前、「自殺の中世史3〜17」で古代の史料を紹介しましたが、古代では「恥」と「自殺」がセットで現れない、つまり「恥」が「自殺」の原因になっていませんでした。しかし中世になると、生け捕られることを恥と考え、その恥を拭い去ろうとして自殺を決意する武士(右馬允)のエピソードが書き残されます(「自殺の中世史29・中世の説話8」)。敗戦・捕縛という「恥」を、「自殺」という誰もができない勇ましい行為で相殺する。これが古代と中世の大きな違いでした。

 ところが、吾妻鏡を読んでみると、前述の右馬允のエピソードとは異なり、捕縛を恥としない価値観が存在したこともわかります(「自殺の中世史32・35(吾妻鏡1・4)」)。どちらの観念が先に生まれたのか、どちらの観念が一般的だったのか、どちらかの観念が消えてなくなるのか。はっきりしないことばかりですが、少なくとも、中世では「捕縛を恥とする観念」と「捕縛を恥としない観念」が並存していたことだけはわかります。

 ただ、このような現象を指摘しただけでは何の意味もありません。どのような場合に「捕縛」が「恥」になるのか、あるいは、ならないのか。どうして「恥を雪ぐ」ために「自殺」という手段を選ぶのか。両者を結びつけた社会的な背景はどのようなものか。「恥を雪ぐ」ために「自殺」以外の手段を選ばない・選べない理由とは何か。このような疑問を明らかにすることが、次の課題になりそうです。

 

 では、中世びとにとって「恥」とはどのようなものだったのでしょうか。まずは「恥」の具体的な事例を集めてみる必要がありますが、それはそれでまた別の研究になりそうです。「恥」事例の集積は今後の課題として、ひとまずここまで紹介してきた『吾妻鏡』の事例を振り返ってみようと思います。

 1つ目は「自殺の中世史32・吾妻鏡1」で、自殺を遂げたのは源頼朝に反逆した伊東祐親でした。祐親は頼朝に反逆したにもかかわらず、恩赦によって罪を償う機会を逸し、そのまま生き延びることを恥ずかしく思ったため、自ら命を絶ちました。つまり、原因動機は「恩赦された恥」、目的動機は恩赦を受け入れて生きる「恥からの逃避」。これが私の解釈でした。また祐親の自殺は、敵対者である頼朝の感動を誘っています。理由によっては、自殺が関係者から称賛される行為になったことも、押さえておかなければ特徴でした。古代でも現代でもみられる「憐憫・悲嘆」といった心情以外にも、中世の自殺には「称賛」という心情が、関係者や第三者に生じていたようです。

 2つ目、「自殺の中世史40・吾妻鏡9」では、承久の乱で官軍方の重要人物として戦った佐々木経高が自殺を遂げています。これは伊東祐親の事例とよく似ているのですが、幕府方の北条泰時から助命・恩赦を伝える使者が送られたことを契機としています。経高は、恩赦による恥の生起という原因動機と、その恥を雪いで死後に名誉を残す(「雪辱」「名誉挽回」)という目的動機によって、自殺を遂行した、と私は解釈しました。

 3つ目は、「自殺の中世史42・吾妻鏡11」です。これは、鎌倉在住のある男が実の娘を手込めにしようとしたところ、その現場を娘の夫(婿)に見られ、恥ずかしさに耐えきれず自殺したというエピソードでした。恥の内実を絞り込むには情報が少なすぎるのですが、おそらく、近親相姦・密懐未遂(倫理的タブー違反)が露見したことによって、恥が生起したのでしょう。そして、生きていては恥から逃れることができないために、自殺という手段を選んだのだと考えられます。倫理的タブー違反の露見を原因動機とし、露見による恥からの逃避を目的動機とした自殺だった、と私は考えました。

 以上、ここまで紹介してきた説話や『吾妻鏡』に現れた「恥」を分類すると、①「生け捕られた恥」、②「恩赦された恥」、③「倫理的タブー違反の露見による恥」に区分けできます。中世びとはこうした「恥辱」を原因動機とし、その恥辱からの「逃避」や、「雪辱」「名誉挽回」を目的動機として自殺を遂げたと考えられます。

(*「恥辱」という用語の定義については、正村俊之『秘密と恥 日本社会のコミュニケーション構造』(勁草書房、1995、37─47頁)を参照しました。この研究によると、「恥辱」とは、自我理想からの失墜に由来し、自己の劣位性を意識させるもので、①人前でかく恥を「公恥」、②一人ひそかに抱く恥を「私恥」と分類しています。)

 

 このような「恥」を特徴とした自殺以外にも、中世になると「究極の訴願の形態としての自害」というものが現れました。これは「自殺の中世史34・吾妻鏡3」で紹介したものですが、自殺するという脅しによって、所願の実現を求めたパターンです。つまり中世では、訴願を目的動機として自殺を遂げることがあったのです。清水克行氏の研究によると、中世では「自害した者や自害を試みようとする者に対しては、公権力も周囲の社会も理非を超えて」ある程度配慮がなされたそうです。こうした現象の要因として、死者が霊力をもっていると信じられていたこと(笠松宏至「『墓所』の法理」『日本中世法史論』東京大学出版会、1979年、初出1971年、勝俣鎮夫「死骸敵対」『中世の罪と罰東京大学出版会、1983年)や、「折中」や「中分」を最善とする独特の平衡感覚をもっていたこと(笠松宏至「折中の法」『法と言葉の中世史』平凡社、1984年、初出1977年)が挙げられる、と清水氏は指摘しています(「中世社会の復讐手段としての自害」『室町社会の騒擾と秩序』吉川弘文館、2004、38頁)。

 公権力や社会が自殺に対して一定程度の配慮を示すのは、現代も同じことです。いじめや虐待、さまざまなハラスメントや過重労働などによって自殺事件が発生すると、関係各所が慌てふためき、対応を迫られる状況によく似ています。ただし現代の場合は、「死者の霊力」や「独特の平衡感覚」ではなく、法律や倫理観という基準に違反したか否かよって配慮がなされるようです。中世と現代では、公権力や社会に対処を迫らせる要因に違いはありますが、今も昔も自殺は、社会にある程度影響を与えるものだと言えるでしょう。

 

 もう一つ、中世になって現れた自殺に、「極楽往生」を目的動機としたパターンがありました。『吾妻鏡』の事例の場合、先に紹介した一連の説話事例のように、純粋に宗教的な理由によるものではありませんが(「自殺の中世史30・中世の説話9・説話のまとめ」など)、『吾妻鏡』でも「臨終正念往生思想」(臨終に際して正念を保てば、極楽に往生できるという考え方)が自殺の目的動機に影響を与えたようです。

 「自殺の中世史36・吾妻鏡5」では、曾我兄弟の弟の僧侶が自殺の間際に、念仏読経を行なって正念を保っています。また「自殺の中世史41・吾妻鏡10」でも、千葉秀胤が自殺の間際、邸宅に放火することで時間を稼ぎ、念仏読経を行なって正念を保っています。前者の僧侶は、梟首を予期していました。後者の千葉秀胤は、戦の敗死を予期していました。このままでは、正念を保てないまま死を迎えることになり、極楽に往生することは叶わないわけです。往生できない死を迎えるくらいなら、正念を保てる自殺を選ぶ。これが目的動機であり、自殺を選択した理由だったと考えられます。

 「臨終正念往生思想」のような浄土信仰の影響は、良く言えば、他者によって殺害されることが予期されている人間に救いを与えたことになりますが、悪く言えば、自殺のハードルを下げたことにもなります。「臨終正念往生思想」は、このような両義的な影響を中世びとに及ぼしたと言えるでしょう。

 

 この他に、古代でも見られた自殺のパターンがありました。その1つが、盗人が捕縛時に自殺を試みるという事例です(「自殺の中世史33・吾妻鏡2」)。これは、盗人自身が捕縛・処刑されることを予期したことが原因動機であり、その苦痛から逃れたいという目的動機によって自殺を遂げた、と私は解釈しました。

 ただ、この解釈には少し問題がありました。弘仁十三年(822)二月七日官符によって、強窃盗はすべて徒刑にされたので、それ以降の盗人は原則、死刑を恐れることはなかったはずです。したがって、死刑の予期という原因動機と、その苦痛からの逃避という目的動機によって自殺したとする解釈は成立しないように思われます。

 ところが、この「吾妻鏡2」の事例は、元暦二年(1185)五月二十七日に起きた事件で、壇ノ浦の戦い直後です。当時の混乱した状況であれば、平安初期に公布された官符の有効性は疑問とせざるを得ず、むしろ当時の源氏は、さまざまな違法行為を厳しく罰していた可能性があります。戦争時の厳罰化が、盗人をして自殺に走らせたのではないでしょうか。

 また、中世の公家法・武家法では、盗犯は死刑にならないのですが、在地法や本所法では死刑が採用されていました。したがって中世では、誰に捕縛され、どこの法廷で裁かれるかによって、量刑が異なるのです。「吾妻鏡2」の盗人は、御成敗式目武家法)がいまだ成立していない時期に捕らえられたわけですから、その他の法律によって裁かれ、死刑に処されることを予期していたのかもしれません。死刑が予期されれば、捕縛時に自殺する可能性が高まり、死刑が予期されなければ、自殺の可能性はなくなる。一応、こうした仮説を立てておきますが、検証自体は今後の課題にしておきます。

 

 以上、『吾妻鏡』を中心に自殺事例を振り返ってきましたが、まずは、中世の自殺を理解するうえで、「恥」という観念が重要なキーワードであったことがわかりました。恥はさまざまな要因によって生起しますが、その「恥から逃避する」、「恥を雪ぐ」、あるいは「名誉回復・汚名挽回」を目的に、自殺を遂げるのが、中世に現れた新たな特徴であったと考えられます。

 それにしても、なぜ自殺することが雪辱の達成になるのでしょうか。推測だけならいくらでもできそうですが、どうもよくわかりません。「吾妻鏡1」の伊東祐親などは、自殺によって恥を相殺したどころか、頼朝の称賛までも得ています。つまり、かけがえのない「命」は、「名誉」と同じ価値だったことになります。古典籍類を読むかぎり、「命」を支払って「名誉」を買うのが、中世びとの美徳になっていたと考えられます。このように書いてしまうと、命の価値が低かったかのように思えてしまいますが、かけがえのない重い命だからこそ、それを捨てた人間の価値が跳ね上がるのかもしれません。「名誉」は人間の執着心です。それを得るために、最も執着するはずの「命」を捨てるというのは、なんとも皮肉な気がします。では、なぜそこまで名誉意識が暴騰してしまったのでしょうか。このような現象を「名誉バブル」と呼んでおきますが、名誉が暴騰した社会背景が気になります。また、こうした通念(「命≦名誉」意識)が、はたして古文書や古記録でも読み取れるのか。今後は、これらの問題にも関心を払いながら、史料を紹介していこうと思います。

 さて、こうした「雪辱目的の自殺」の他に、「訴願目的の自殺」や「往生目的の自殺」も、中世の自殺の特徴であったと言えます。また、苦痛からの「逃避目的の自殺」も、古代からずっと起き続けていたようです。これらが、中世の古典籍の検討から得られた知見でした。「恥」や「名誉」の問題とともに、こうした特徴が古文書や古記録でも実証できるかどうかを、今後は検討してみたいと思います。

 

 さて、ここで一旦、古典籍の分析は終えて、次から古文書や古記録に書き残された自殺の紹介に移ろうと思います。説話にしろ、軍記物にしろ、まだまだ読み切れていない作品は多いので、もし新たに事例を書き足すことがあれば、カテゴリー「ライフワーク part1」で紹介する予定にしています。そして、古文書・古記録は「ライフワーク part2」に掲載していくことにします。

 

 

*2019.4.27追記

 「臨終正念往生思想」は、室町時代の古記録にも現れています。以下、参考までに提示しておきます。

 

 

  永享九年(一四三七)八月十三日条  (『図書寮叢刊 看聞日記』6─70頁)

 

           (和気)

 十三日、晴、(中略)抑郷成卿夜前死去云々、念仏者也、住正念令往生云々、紫雲立

  無疑歟、連歌師也、可惜者也、手跡神妙旁不便々々、

 

 「書き下し文」

 十三日、晴る、(中略)抑も郷成卿夜前に死去すと云々、念仏者なり、正念に住し往生せしむと云々、紫雲立つこと疑ひ無きか、連歌師なり、惜しむべき者なり、手跡神妙かたがた不便々々、

 

 「解釈」

 十三日、晴れ。さて和気郷成卿が昨晩死去したという。念仏者であった。正念を保ち往生したそうだ。紫雲がたなびくことは疑いないだろう。連歌師でもあった。惜しむべき人であった。彼の筆跡は感心なもので、いろいろと気の毒なことである。

 

 「注釈」

「和気郷成」─天皇や院に近侍した医師。この記事はすでに、八木聖一弥「『看聞日

       記』における病と死(5)」(『Studia humana et naturalia』41、2

       007・12、40頁参照、https://kpu-m.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=982&item_no=1&page_id=13&block_id=21)で紹介されています。

「念仏者」─浄土宗・真宗の信者で、信心を拠り所に極楽浄土を願う僧俗のこと(大塚

      紀弘「中世仏教における融和と排除の論理─『宗』と宗論をめぐって─」

      『武蔵野大学仏教文化研究所紀要』29、2013・3、46頁参照、

      https://mu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=16&lang=japanese&creator=大塚+紀弘&page_id=13&block_id=21)。

 

 

 

 So far, I have introduced the suicide described in "Azumakagami" (history books of the Kamakura shogunate). It seems that there are many suicide articles about war because it is the history book of the Kamakura shogunate. Among them it was "shame" that I had to pay attention to.

 In the past, I introduced ancient historical materials with "Suicide cases in ancient Japan 1 to 13", but in ancient times "shame" and "suicide" did not appear as a set, that is, "shame" did not cause "suicide". But in the Middle Ages, there were episodes of samurai (Umanozyo) who feels ashamed to be captured alive, and decides to commit suicide to wipe away that shame ("Medieval Buddhist Tales 8"). To offset "shame" of defeat / capture with brave act of "suicide". This was a big difference between the ancient and medieval times.

 However, if you read "Azumakagami", you can see that there were values ​​not ashamed of captivity ("Azumakagami 1 · 4"), unlike the previous episode of Umanozyo. Which idea was born first, which idea was common, or which idea disappears ? Although these are all unclear things, at least in the Middle Ages you can understand that there was a coexistence of "the idea ashamed of capture" and "the idea not ashamed of capture" coexisted.

 However, just pointing out such a phenomenon has no meaning. In what cases will "capture" become "shame" or not? Why do the medieval people choose "suicide" to eliminate shame. What is the social background that brought together the two? What is the reason why they didn't chose method other than "suicide" to eliminate shame. It is the next task to clarify these questions.

 

 So, what was "shame" for the medieval people? First of all it is necessary to gather concrete examples of "shame", but that is another research as well. I would like to look back on the case of "Azumakagami" which has been introduced so far ,with keeping the accumulation of "shame" cases a future subject.

 The first one is Ito Sukechika's case("Azumakagami 1"). He rebelled against Minamotono Yoritomo, but he missed the opportunity to compensate for his sin by pardon, and he survived as it was. Because he was ashamed of that, he killed himself. In other words, the cause motive is "shame pardoned", the purpose motive is "escape from shame" that accept amnesty and survive. This was my interpretation. Sukechika 's suicide also impresses the adversary Yoritomo. Depending on the reason, the fact that the suicide became an act of being praised by people was a feature we had to know. Besides the feelings such as "pity and grief" that existed both in ancient times and modern times, the feelings of "praise" seemed to have arisen in stakeholders and third parties in medieval suicide.

 In the second, "Azumakagami 9", Sasaki Tsunetaka who fought as an important figure of the Emperor Army with Zyoukyu war has achieved suicide. This is very similar to Ito Sukechika's case, but it is triggered by the fact that the messenger who transmitted clemency · amnesty from the Hokujo Yasutoki of the Shogunate Army came. I interpreted this suicide as follows. The shame was caused by pardon, and Tsunetaka committed suicide with the aim of disappearing its shame and leaving honor after death("Shame disappearance" "redeem oneself").

 The third one is "Azumakagami 11". This was an episode that a man living in Kamakura city tried to rape the real daughter, the scene was seen in his daughter's husband (son-in-law), who was not able to endure embarrassment and committed suicide. The information is too small to narrow down the shame's facts, but probably the shame would happened as a result of incest attempted or rape attempted (ethical taboo violation). And because we can not escape shame when we are alive, we think that we chose a means of suicide. I think the cause motive for this suicide was shame caused by the exposure of ethical taboo violation, and the purpose motive was escape from that shame.

 Well, when you classify "shame" written in "Buddhist tales" and "Azumakagami", ① "shame due to being captured alive", ② "shame due to being pardoned", ③ "shame caused by the exposure of ethical taboo violations" can be divided. I think that the medieval people committed suicide by such "shame" (cause motive) and "escape" or "disappearance of shame" or "redeem oneself" (purpose motive) from the shameful.

 (* For the definition of the term "shame", I referred to Masamura Toshiyuki "Secret and Shame" (Keiso Shobo, 1995, P37-47) According to this study, "shamefulness" is to make you realize your own low value by hurting your ideal ego.He classifies it as ① "public shame"(to shame in public) and ② "private shame"(to shame secretly).

 

 Apart from suicide characterized by such "shame", in the Middle Ages, "Suicide as the form of the ultimate petition" appeared. This was introduced in "Azumakagami 3" and it is a pattern that demanded realization of a request by the threat of committing suicide. In medieval times, there was a case of committing suicide with petition as a purpose motive. According to Shimizu Katsuyuki's research, in the Middle Ages, beyond right and wrong, both public agencies and private societies, to some extent, were concerned about those who committed suicide and those who attempted suicide. As a factor of such phenomenon, it was believed that the dead had spiritual power (suicide as a means of revenge in medieval society "," Muromachi society noisy and order "Yoshikawakoubunkan, 2004, p. 38).

 It is the same in modern times that public agencies and private societies show a certain degree of attention to suicide. When a suicide incident occurs due to bullying, abuse, various harassment or overworking, related institutions panic and have to respond. However, in modern times, it seems to be concerned depending on whether factors of the suicide violated standards such as law and ethics, not "the spiritual power of the dead" or "a unique balance sense". In the Middle Ages and the present age, factors that encourage coping differ between public institutions and society, but it can be said that it is the same in both cases that suicide has some influence on society.

 

 In addition, in the Middle Ages suicide for the purpose of "reincarnation to paradise" appeared. In the case of "Azumakagami" it is not only purely religious reasons (such as "Medieval Buddhist Tales 9, Summary of Buddhist Tales"), "Rinzyu syounen ouzyou shisou" (You can be reborn into paradise if you can keep your proper mental condition at the moment of death)seems to have influenced the purpose motive of suicide.

 According to "Azumakagami 5", just before suicide, the younger brother(monk) of Soga brothers prayed for Buddha and cast a Buddhist scripture, thereby keeping his proper mental condition. Also in "Azumakagami 10", Chiba Hidetane earns time by arson to a mansion just before suicide, and prays to Buddha and advocates a Buddhist scripture and keeps his proper mental condition. The former monk anticipated that he would be decapitated and exposed. The latter Chiba Hidetane anticipated losing in the war and being killed. In this state, they will be dead without keeping their proper mental condition, and they will not be reborn into paradise. I do not want to choose such death, so I choose suicide that can keep the proper condition. It is considered this is the purpose motive and cause motive that they chose suicide.

 If I evaluate positively, the influence of Zyoudo faith such as "Rinzyu syounen ouzyou shisou" has given salvation to a person who is expected to be killed by others. But if I evaluate negatively, it also made it easy to commit suicide. It can be said that "Rinzyusyounenouzyoushisou" has exerted such opposite influence on medieval people.

 

 Besides this, there was a pattern of suicide that can be confirmed even in ancient times. One of them is a case of trying to commit suicide just before the thief is caught ("Azumakagami 2"). I interpreted that the thief had committed suicide by the cause motive that he predicted that he was to be captured and executed and the purpose motive that he wanted to escape the pain.

 However, there was a slight problem with this interpretation. By the ordinance enacted on the 7th of February 822, all robbers and thefts were sentenced to imprisonment, so the thief after that should not have been afraid of the death penalty in principle. Therefore, the interpretation that it committed suicide by "the cause motive" of the anticipation of the death penalty and "the purpose motive" of escape from the pain can not seem to be established.

 However, the case of "Azumakagami 2" is an incident that occurred on May 27, 1185, right after the battle of Dannoura. In the confused situation at that time, the Minamotono Yoritomo army at that time seemed to have severely punished various illegal activities, without applying the decree promulgated about 350 years ago. Were not the severe punishment at the time of war mentally pursuing the thief and making them commit suicide?

 Also, in medieval national law and the shogunate law, stealing is not death punishment, but in local laws and nobility law the death penalty was adopted. Therefore in the Middle Ages, the sentence is different depending on who is caught and judged in which court. Since the incident of "Azumakagami 2" happened at a time when "Goseibai shikimoku" (the shogunate law) had not yet been promulgated, perhaps the thief would be judged by other laws and expecting to get a death sentence. If thieves anticipate the death penalty, the possibility that they will commit suicide when captive will increase, and conversely, if they do not anticipate the death penalty the chances of suicide will be none almost. For now, I set up such a hypothesis, but I will keep the verification itself a future issue.

 

 Although I looked back at the suicide case centered on "Azumakagami", first I understood that the idea of ​​"shame" was an important keyword to understand the medieval suicide. Although shame arises due to various factors, I think that it was a new feature that appeared in the Middle Ages to commit suicide with the purpose of "escape from shame", "to extinguish shame", or "redeem oneself".

 Even so, why can suicide get rid of shame? I can guess a lot, but I can not prove the reason well. Ito Sukechika of "Azumakagami 1" got even praise of Yoritomo, rather than offsetting shame by suicide. In other words, irreplaceable "life" is the same value as "honor". As long as I read the old literary work, I can not help interpreting that it was a medieval virtue to pay "life" and buy "honor". If I write it like this, it seems that the value of life is low, but because it is an irreplaceable and heavy life, it may be that the value of a human who threw it away will jump. "Honor" is the obsession for things. It is sarcastic to say that human beings throw out the most obsessed life to get it. So why did honorary consciousness rise so far? I call this phenomenon "honor bubble". I am concerned about the social background that caused the value of this honor to rise. Also, can these common ideas ('life ≤ honor') be found in ancient documents or old diaries too? From now on, I will introduce historical materials while paying attention to these issues.

 (I used Google Translate.)