周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自殺の中世史2─2 〜自殺という死に方に政治的影響はなし〜

  長寛三年(1165)三月十日条

   (高橋昌明・樋口健太郎「資料紹介 国立歴史民俗博物館所蔵『顕広王記』応保

    三年・長寛三年・仁安二年巻」『国立歴史民俗博物館研究報告』139、20

    08・3、https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1745&item_no=1&page_id=13&block_id=41

 

 ○裏書

 (四〜十一日条裏、十日条ニ関連カ)

 賀茂・八幡行幸之由、有奉幣、使王時兼、中臣為貞、忌部致光、卜部兼遠也、而去七日、有本宮穢気之疑、尋根元、宮川・古川有抛身死女、不知其由、為縄代漁彼水之輩、参入宮中了、仍官幣遁留離宮院、言上其由、随被問法家之処、申不穢之由、漸至于同廿二日官幣奉納了、(後略)

 

 「書き下し文」

 賀茂・八幡に行幸するの由、奉幣有り、使ひ王時兼、中臣為貞、忌部致光、卜部兼遠なり、而るに去んぬる七日、本宮穢気の疑ひ有り、根元を尋ぬるに、宮川・古川に身を抛ち死せる女有り、其の由を知らず、網代漁のため彼の水に(「入る」脱ヵ)の輩、宮中に参入し了んぬ、仍て官幣離宮院に遁れ留まり、其の由を言上す、随て法家に問はるるの処、穢れざるの由申す、漸く同廿二日に至り官幣奉納し了んぬ、

 

 「解釈」

 賀茂社石清水八幡宮への二条天皇行幸に、奉幣があった。使者は時兼王、中臣為貞、忌部致光、卜部兼遠である。さて、去る三月七日、伊勢神宮に触穢の疑が起こった。その原因を尋ねてみると、宮川か古川に身を投げて死んだ女がいた。その理由はわからない。網代漁のために川の水に入った者が、神宮に参拝した。そこで、官幣は離宮院に遁れて留まり、その事情を朝廷に言上した。そこで法家に問い合わせたところ、穢れてないと申した。ようやく同三月廿二日になって幣帛を奉納した。

 

 「注釈」

「為縄代漁彼水之輩」─書き下し文と解釈ができませんでした。「網代漁のため彼水に

           (入る)の輩」と読み、「網代漁のために川の水に(入った)

           ものが」などと訳すのかもしれません。ちなみに、「網代

           (あじろ)とは、「①漁具。川に木の杭を立ち並べ、中間に簀

           を張った簗のこと。宇治川瀬田川の足代が名高い。②網を設

           けて設置する場所、網の設置権をめぐってしばしば争いが起こ

           った」(『古文書古記録語辞典』)。

 

*今回の史料で自殺についての情報が判明するのは、女が川に身投げして水死したという事実だけです。この時、死穢が問題化しそうになりましたが、結局は穢と認定されず、遅延はしたものの、奉幣も遂げられています。この記事を読むと、自殺が問題であったわけではなく、たんに「死穢」が問題になっていたことがわかります。ただし、「不知其由」とあるように、自殺の理由はわからなかったものの、それに関心をもっていたことだけはわかります。

 参考史料として『伯家五代記』の同日条も掲載しておきます。

 

【参考史料】

  長寛三年(1165)三月十日条『伯家五代記』(『続史料大成』21─5)

 十日、今日、行幸奉幣発遣、(中略) 天雨(柳)而去、七日、有本宮穢気之疑、尋根元、宮川、─(柳)古川有抛身死女、不知其由、為縄代漁彼水之輩、参入宮中、仍官幣並留離宮(柳)官幣遁留離宮院院、言上其由、随被同(柳)問法家之処、申不穢之由、仍至テ(柳)于同廿二日、官幣奉納了、(後略)

 

*(柳)は「柳原伯爵家本」によって校訂された箇所。