周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自殺の中世史2─7

  寛喜元年(1229)十二月十七日条『明月記』

     (第3─148頁、国書刊行会、および『大日本史料』5─5─400頁)

 

 十七日、辛亥、天晴、(中略)一昨日火事、夫〈左衛門尉、〉殺其妻、我又自害、

  放火焼死云々、或曰、是又非本心、狂乱所為云々、妻近江国住人、夫右大弁侍

  云々、

 

 「書き下し文」

 十七日、辛亥、天晴る、(中略)一昨火事あり、夫〈左衛門尉、〉其の妻を殺し、我又自害す、火を放ち焼け死ぬと云々、或る人曰く、是れ又本心に非ず、狂乱の所為と云々、妻は近江国の住人なり、夫は右大弁の侍と云々、

 

 「解釈」

 十七日、辛亥、晴れ。(中略)夫左衛門尉何某がその妻を殺し、自分もまた自害した。放火し焼け死んだという。ある人が言うには、これもまた正気ではなく、気が狂った状態での所業だったそうだ。妻は近江国の住人である。夫は右大弁平範輔の従者だという。

 

 「注釈」

「平範輔」─没年:嘉禎1.7.25(1235.9.9)生年:建久3(1192)鎌倉初期の公卿。父は治部

      卿親輔。弁官、蔵人頭などを歴任、すぐれた実務官僚として朝廷の公事を

      とりしきった。文暦1(1234)年には権中納言に任じられたが、権中納言にま

      で昇るのは当時の堂上平氏としては異例のことで、その精勤ぶりが高く評

      価されていたことを物語る。紀伝・明経のみならず、明法道についても研

      究をおこたらず、仗議(太政官政治における国政議定の一方式)の席などで

      は態度、発言内容ともに立派であったという。日記に『範輔卿記』(『要

      記』)がある(『朝日日本歴史人物事典』、

      https://kotobank.jp/word/平範輔-1086796)。

 

 

*今回の自殺者は、平範輔の従者左衛門尉何某です。理由はわかりませんが、彼は妻を殺害し、自身の家に火を放って焼身自殺を遂げたそうです。妻の殺害と自殺は、「本心」=「正気」ではなく、「狂乱」による所業だった、と藤原定家は聞いたようですが、「狂乱」の内実がいまいちよくわかりません。ただし、自殺は正気を失った異常な精神状態で遂行されるという考え方は、中世でも現代でも変わらないことだけはわかりました。 読み取れるのはこの程度なので、今回は原因動機も目的動機もはっきりしない、と結論づけておきます。

 それにしても、「狂乱」とはまったくもってよくわからない表現です。いわゆる医学的疾患なのか、単なる激情(感情の抑制不能)なのか。そもそもその境目は明確なのか。結局、明確ではないから、精神科への通院や投薬によって完全に自殺を防止することができないのでしょう。人間はなぜ「狂う」のでしょうか。人文・社会・自然の各科学が協働して、「発狂のメカニズム」を明らかにしなければ、自殺をなくすことなどできないのではないでしょうか。