周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

竹林寺文書(小野篁伝説) その8(完)

    一 安芸国豊田郡入野郷篁山竹林寺縁起 その8

 

*送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字常用漢字で記載し、割書は〈 〉で記載しました。本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。なお、森下要治監修・解説『篁山竹林寺縁起』(広島大学デジタルミュージアム・デジタル郷土図書館、http://opac.lib.hiroshima-u.ac.jp/portal/dc/kyodo/chikurinji/top.html)に、竹林寺や縁起絵巻の情報が詳細に紹介されています。書き下し文や解釈はこれを参照しながら作成してみましたが、わからないところが多いです。

 

 

 ソノ チ テ   イウ  ヲ          (村)ノ ノ       ノ    ノ

 厥后経一百有余歳、而人皇六十二世邑上天王御宇天暦五年辛亥初夏比、

  ラ  シ フ       テ  ク  ハ レ     ノ  ツ    ノ  ナリ

 篁再現給歟、化僧一人来而曰、此山是観音大士浄刹十王薩埵霊屈也、

  テ  スキシ    ハ テ    ニ  シテ   ノ ヲ ク キ   ノ ニ

 依之過行基菩薩者登此山頭、為一天王化遠開万春之霞

  シ     ハ ニ シテ       ノ ルコト ヲ フシテ ラン  ノ ニ       レ ノ

 去宗帝大王者爰為再誕、三界利レ 生 久  到龍花之暁、就中彼等

  ニ     ヲ  ニ   ト玉テ ラ テ ヲ  テ    シ  ノ      ノ

 為悲願、今愚老来  自取斧、奉地蔵尊像一躰十王尊容九躰

  ニ    ノ  ヲ     ス  ノ  ニ  ル タ テ  ヲ  ク       ト

 並而山神像一尊而安置観音之傍、然間改寺号篁山竹林寺

     (絵25)

  シテ ニ ノ  ス    ク タ  セ玉ヒケリ   ス      ヲ ニ  ノマニ ノ

 然而後彼化僧不行方失給鳬、万人成奇特之思處、夜間十王尊像一躰

   シテ ハル ノ ニ  ニ ル      ノ  レ     テ ノ  ノ ハ チ   ノ ナリ玉フカ

 出現而加前九躰、故為首尾所十王是也、仍彼出現之像即小野篁

  ニ  ノ ニ  ノ       ト   キ   ノカ

 故、此中生身之十王一躰御座云事無疑物歟、

     (絵26)

  モ  ヲモンミレバ   コ クシテ シ   ニ     ケタ シテ ス       ル□

 抑寺内以、   庭池底深而比葬頭河、金橋桛高而類釈橋、依右種々

  ニ     ノ          タマヽヽ □       テ      ニ   ハ リ ト

 儀歟、悪業者不參詣、適  為參詣共、随罪業軽重而或従

 メ イ   ナヤンテ リ  カ カ  ニ    ヲ  シ    シテ リ  ハ シ  ニ テ

 目舞身心悩而帰、坂中路中大河波浪見出身心狂乱而帰、或橋爪門外来而

 アタル  ニ  シハ トモ ル   ニ  コ ニ クシテ ス     ヲ ルコト    ラノ シ

 中横死、若雖御宝殿、眼忽暗而不仏形見、如此等輩多之、

  シ ル     ヲ ハ      シテ リ   ノ  ヲ       シテ ル      ニ

 若遂一度參詣人、現世安穏千手之擁護、後生善處十王之引摂

    ユエニ       ノ  ニハ   テ ヲ  ケ  ヲ    ス

 而已、所以毎年正月九日修正、貴賤並肩而投珍財用牛玉宝印之

   ヲ       ノ  ニハ ク ヒテ  ノ  ヲ   ニ  ス ノ  ヲ   トニ レ

 福寿、林鐘十七会場、 普灑大悲甘露而忽出生菩提牙葉、寔是

     ノ      ノ  ノ  キ   レノ カ サラン  レノ カ ランヤ

 閻浮無変之霊地、日域規横聖跡也、誰 人 仰之、何輩 信之耶、

     (絵27)

     下巻畢、

 竹林寺常住寺門不出、

 (裏書)                (安芸賀茂郡

 「 奉寄進裏打            竹原下野村中通

                      茂登屋喜七敬白

       (1861)

     于時文久元年辛酉星五月吉祥日

                      印室三世本住代」

 

     下巻畢んぬ、

 竹林寺常住寺門より出出さず、

   おわり

 

 「書き下し文」

 厥の后一百有余歳を経て、人皇六十二世村上の天王の御宇天暦五年の辛亥初夏の比、篁再現し給ふか、化僧一人来たりて曰く、「此の山は是れ観音大士の浄刹十王薩埵の霊屈なり、之により過ぎし行基菩薩は此の山頭に登りて、一天の王化を為して遠く万春の霞に開き、去りし宗帝大王は爰に再誕して、三界の生を利すること久しふして龍花の暁に到らん、なかんづく彼らの悲願を表さんがため、今に愚老来たりと給ひて自ら斧を取りて、地蔵尊像一躰・十王の尊容九躰並びに山神の像一尊を造立し奉りて観音の傍に安置す、然る間寺号を改めて篁山竹林寺と名づく、

     (絵25)

 然して後に彼の化僧行く方知れず失せ給ひけり、万人奇特の思ひを成す、夜の間に十王の尊像一躰出現して前の九躰に加はる、故に首尾になる所十王是れなり、仍て彼の出現の像は即ち小野篁の成り給ふが故に、此の中に生身の十王一躰御座すと云ふ事疑ひ無き物か、

     (絵26)

 抑も寺内を以れば、庭の池底を深くして葬頭河に比し、金の橋桛高くして釈橋に類す、右の種々の儀によるか、悪業の者参詣する能はず、たまたま参詣すとも、罪業の軽重に随ひて或いは麓より目舞ひ身心悩んで帰り、坂中路中に大河波浪を見出し身心狂乱して帰り、或いは橋爪門の外来て横死に中たる、若しは御宝殿に参ると雖も、眼忽ちに暗くして仏形を見ること能はず、此れらのごとき輩多し、若し一度参詣を遂げる人は、現世安穏にして千手の擁護を蒙り、後生善処にして十王の引摂に預かるのみ、所以に毎年正月九日の修正には、貴賤肩を並べて珍財を投げ牛玉宝印の福寿を援用す、林鐘十七の会場には、普く大悲の甘露を灑ひて忽ちに菩提の牙葉を出生す、寔に是れ閻浮無変の霊地、日域の規模の聖跡なり、誰の人かこれを仰がざらん、何れの輩か之を信ぜざらんや、

     (絵27)

     下巻畢んぬ、

 竹林寺常住寺門より出さず、

   おわり

 

 「解釈」

 その後百有余年が過ぎ、人皇六十二世村上天皇の御代、天暦五年(951)辛亥の初夏のころ、篁が再び現れなさったのだろうか。権化の僧侶が一人やってきて言うには、「この山(もと桜山)は観音菩薩の浄土で、十王を祀った神聖な岩屋である。これにより、かつて行基菩薩がこの山頂に登って、帝の徳によって世の中をよくしようとし、遠く春霞のかかった地を開削し、かつて宗帝大王はここに再誕して、しばらく三種の迷いの世界の衆生を救済し、悟りの境地に達したのだろう。なかでも、彼らの悲願を広く知らせるために、いま愚僧が来た」とおっしゃって、自ら斧を取り、地蔵菩薩の尊像を一体、十王の尊像を九体、ならびに山神の尊像一体を造立し申し上げて、観音像のそばに安置した。そうして、寺号を改めて篁山竹林寺と名付けた。

     (絵25)

 その後、あの権化の僧侶は行方が知れず、消え失せなさった。人々は不思議だと思ったが、夜の間に十王の尊像一体が出現して、前の九体に加わった。だから、すべて揃った十王像はこれである。したがって、あの出現した像は小野篁がおなりになったために、この中に生身の十王像が一体いらっしゃるということは、疑いのないものだろう。

     (絵26)

 さて、寺内をよくよく見てみると、庭の池の底は深く、三途の川に比べると、金の橋桁は高く、釈橋に似ている。右のさまざまなことによるのだろうか。悪い行いをしたものは参詣することができない。たまたま参詣したとしても、罪業の軽重によって、ある人は麓から目眩がして心身ともに苦悩して帰り、ある人は坂や道の半ばで、大きな川の波を幻視し、心身ともに狂乱して帰り、ある人は橋爪門の外にやって来て、不慮の死に遭遇する。もしくは立派な本堂に参詣しても、目がすぐに暗くなって仏のお姿を拝見することができない。このような状態になる人々は多い。もし一度でも参詣した人は、現世では千手観音の擁護をいただいて安穏な生活を送り、来世では臨終に現れて極楽浄土に導く十王の救済を受けて極楽に生まれるのである。だから、毎年正月九日の修正会では、身分の高い人から低い人まで肩を並べて金銭を投げ入れ、牛玉宝印による福寿を促進する。六月十七日の法会の場では、広く大悲の甘露が注がれ、悟りを表す鋭い葉が生え出る。本当に現世において変わることない霊地であり、日本国内の優れた聖地である。誰がここに敬意を払わないことがあろうか、誰がここを信仰しないことがあろうか(この竹林寺に対して誰でも敬意を払い、誰でも信仰するはずだ)。

     (絵27)

     下巻終了。

   おわり

 

 「注釈」

「金橋・釈橋」

 ─金橋は身分の高い人が渡る橋、釈橋は仏が渡る橋か(小野寺郷「奈河と三途の川」『南山宗教文化研究所研究所報』第5号、1995年、28頁参照、https://nirc.nanzan-u.ac.jp/nfile/3819)。

 

「林鐘十七会場〜」

 ─この一文の解釈がほとんどわかりませんでした。毎年六月十七日に千手観音の縁日として、法要を行っていたのかもしれません。

 

「規横」

 ─未詳。「帰往」(=行ってたよること。帰属すること。『日本国語大辞典』)の誤字・当て字か。

 

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山門そばの石碑

 

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看板

 

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山門

 

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参道そばの竹林

 

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参道

 

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本堂1

 

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本堂2

 

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護摩

 

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篁堂

 

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十王堂

 

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境内

 

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山門越しの風景