周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自殺の中世史2─11 〜浄土信仰と自殺の相関性〜

  文永十一年(1274)十一月十一日付日蓮書状

                       (『鎌倉遺文』11748号文書)

 

   (前略)

 抑日蓮は、日本国をたすけんとふかくおもへとも、日本国の上下万人一同に、国のほろふへきゆへにや、用られさる上、度々あたをなさるれは、力をよはす、山林にましはり候ぬ、大蒙古国よりよせて候と申せは、申せし事を御用あらは、いかになんとあはれ

         壱岐対馬

なり、皆人の当時のゆき・つしまのやうにならせ給はん事、おもひやり候へは、なみたもとまらす、念仏宗と申は亡国の悪法也、このいくさには、大体人々の自害をし候はんする也、善導と申す愚癡の法師かひろめはしめて、自害をして候ゆへに、念仏をよくゝゝ申せは、自害心出来し候そ、禅宗と申当時の持斎法師等は、天魔の所為也、教外別伝と申て、神も仏もなしなんと申、ものくるはしき悪法也、真言宗と申宗は、本は下劣経にて候しを、誑惑して法華経にも勝なんと申て、多の人々大師・僧正なんとになりて、日本国に大体充満して、上一人より頭をかたふけたり、これか第一の邪事に候を、昔より今にいたるまて知人なし、但伝教大師と申せし人こそしりて候しかとも、くわしくもおほせられす、さては日蓮ほゝこの事をしれり、(後略)

    十一月十一日          日蓮(花押)

      南條七郎次郎殿御返事

 

 「解釈」

 さて、私日蓮は日本国を助けようと深く思っているけれど、日本国のあらゆる身分の人々は一同に、国が滅んでしまうはずだからか、私の考えが用いられないうえに、たびたび危害を加えられたので、力及ばず山林に隠棲しました。モンゴルから攻め寄せて来ます、と幕府に申し上げたが、私が上申したことを用いていたならば、気の毒なことはなかっただろう。人々みなが現在の壱岐対馬のようになったことを思いやると、涙も止まりません。浄土宗と申す宗派は国を滅ぼす悪法である。この戦では、だいたい人々は自害をしているでしょう。善導と申す愚かな僧侶が広めはじめて、自害をしましたがゆえに、念仏をよくよく唱えると、自害をする心が生じるのであります。禅宗と申す現在の戒律を守る法師たちは、悪魔の仕業である。教外別伝と申して、神も仏もないと申すなど、正気を失った悪法である。真言宗と申す宗派は、もとは下劣な経典でありましたのを、人々を欺き惑わして、法華経よりも優れているだろうと申して、多くの人々が大師や僧正などになって、日本国中にほとんど充満し、帝でさえも頭を下げてしまった。これこそが第一の悪事でありますのを、昔から今に至るまで知る人はいない。ただ伝教大師と申した人だけが知っておりましたが、詳しくは仰せにならなかった。その他には日蓮がおおかたこのことを知っている。(後略)

 

 「注釈」

「南條七郎次郎」─南条時光。南条氏や時光については、梶川貴子氏の一連の研究を参

         照(『創価大学人文論集』『創価大学大学院紀要』

         https://soka.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=16&lang=japanese&creator=梶川+貴子&page_id=13&block_id=68、『東洋哲学研究所紀要』http://www.totetu.org/literature/search/results-ja.html?query=梶川貴子&key=&author_en=&author=&sort=-2,)。

「善導」─中国、唐初の浄土教の僧。浄土五祖の第三、真宗七祖の第五。長安光明寺

     和尚ともいい、また終南大師と尊称する。俗姓朱氏。安徽泗州あるいは山東

     臨淄の人。道綽(どうしゃく)に学んで中国浄土教を大成した。日本の浄土教

     はその流れをくむ。主著「観無量寿経疏」「往生礼讚」「般舟讚(ばんじゅ

     さん)」(六一三‐六八一)(『精選版 日本国語大辞典』、

     https://kotobank.jp/word/善導-88683

 

 

*今回の史料は、日蓮が自殺と仏教の関係について述べた珍しい書状です。自害に触れているのは、念仏宗(浄土信仰や浄土宗)を批判している箇所です。日蓮は、浄土教を広めた中国の高僧善導が自害したことから、念仏を唱えると自害をしようとする心が生じると批判をしています。善導自身の自害(捨身往生)は史実ではないようなので(大山眞一「中世武士の生死観(6)―『平家物語』における「死にざま」の諸相―」『日本大学大学院総合社会情報研究科紀要』10、2009・11、215頁、https://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/journal/no10jp/)、この批判は不当だということになるのですが、それでも浄土信仰と自殺の相関性を見抜いたところは、さすが日蓮というところでしょうか。

 さて、この相関性については、「自殺の中世史30 ─中世の説話9・説話のまとめ─」でも触れましたが、すでに唐代の中国でも、「往生目的の自殺」が現れていたそうです。当時の仏教には「死即無余涅槃」という考え方があり、死にさえすれば完全な涅槃に至る、往生できるという、卑俗で退廃的な考え方が普及していたようです。これが日本にもそのまま持ち込まれ、「往生目的の自殺」を誘発したのでしょう。

 浄土信仰そのものを否定するつもりはありませんが、その教理のなかに、自殺を誘発してしまう論理的弱点があることは間違いありません。日蓮の批判が宗派や教義を否定する方向に向かったことの是非はさておき、彼はおぼろげながらもその弱点を言明した最初の仏教者だったのかもしれません。