周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

闇夜にかかる虹 (Moonbow)

  文安元年(一四四四)閏六月十四日条        (『康富記』2─66頁)

 

【頭書】虹夜立事、康保有例、其外希有云々、

 十四日壬戌、晴、後聞、今夜戌剋、乾方虹立云々、衆人見之云々、予不見之、虹者向

  日立者也、日在東則虹立西、又日在西則虹立東方也、夜陰虹見事希有也、後日有其

  沙汰之処、清史令語給云、康保年中有此沙汰、年月不詳云々、後日令説給云、康保

  四年九月九日、夜虹立之由有所見之間、注進賀茂在貞朝臣許云々、兼日尋之故

  云々、在盛朝臣語云、漢朝ニも其例希歟云々、

 

 「書き下し文」

【頭書】虹夜に立つ事、康保に例有り、其の外希有と云々、

 十四日壬戌、晴る、後に聞く、今夜戌の剋、乾の方に虹立つと云々、衆人之を見ると云々、予之を見ず、虹は日に向かひ立つ者なり、日東に在らば則ち虹西に立ち、又日西に在らば則ち虹東方に立つなり、夜陰に虹を見る事希有なり、後日其の沙汰有るの処、清史語らしめ給ひて云く、康保年中に此の沙汰有り、年月不詳と云々、後日語らしめ給ひて云く、康保四年九月九日、夜に虹立つの由所見有るの間、賀茂在貞朝臣のもとに注進すと云々、兼日之を尋ぬる故と云々、在盛朝臣語りて云く、漢朝にも其の例希かと云々、

 

 「解釈」

【頭書】夜に虹が立つこと。康保年間に先例がある。それ以外に例はなく、非常に珍しいという。

 十四日壬戌。晴れ。後で聞いた。今夜午後八時ごろ、北西の方角に虹が立ったという。大勢の人がこれを見たそうだ。私はこれを見ていない。虹は太陽に向かって立つものである。太陽が東にあれば虹は西に立ち、また太陽が西にあれば虹は東の方角に立つのである。夜の暗闇で虹を見ることは非常に珍しい。後日、これについての評議があったところ、大外記清原業忠がお話になって言うには、「康保年中にこれについての評議があった。年月は不詳である」という。後日、清原業忠がお話になって言うには、「康保四年(967)九月九日、夜に虹が立ったという証拠があるので、陰陽師賀茂在貞のもとに注進した」という。あらかじめこの件を尋ねるためだという。賀茂在盛朝臣が語って言うには、「中国でもその例は珍しいだろう」という。

 

 Leap month June 14th. Sunny. Later, I heard the following. At about 8 pm this evening, a rainbow appeared in the northwest. I heard that many people saw it. I was not able to see it. A rainbow appears facing the sun. When the sun is in the east, the rainbow appears in the west, and when the sun is in the west, the rainbow appears in the east. It is very rare for us to see the rainbow at night. Later, when a meeting was held about it, Kiyohara Naritada said, "The meeting about this was held in Kouho era. I do not know the date." Later, he said, "Kouho 4 years (967) September 9th, as there is evidence that a rainbow appeared at night, I reported to Kamo Akisada (the Yin-yang master)". He reported to Akisada to ask this matter in advance. Kamo Akimori said, "Moonbow would be rare in China too".

 (I used Google Translate.)

 

 

 「注釈」

ポロロッカに続いて、「ムーンボウ」(月虹)という言葉を使ってみたかったので、こんな記事を書きました。月虹の詳細は、三菱電機のコラムをご覧ください。(http://www.mitsubishielectric.co.jp/me/dspace/column/c1311_2.html

 そもそも私、夜に虹がかかるなんて、40数年生きてきて初めて知りました。知らないことって、本当に多いんだなぁ、って思います。

 さてこのムーンボウ、頻繁に出現するものではないようで、日本では2010年代に3度(沖縄・岡山・群馬)ほど観測されているそうです。したがって、室町時代でもこうした大気光学現象は珍しかったようです。中世の月虹は、どんなふうに見えたのでしょうか。ひょっとすると、ロマンティックに感じる中世びとがいたのかもしれませんが、所詮はこれも怪奇現象の一つ。吉凶占いのネタにされて終わるのが関の山だったのでしょう…。

 

 なお、賀茂在貞・在盛については、末柄豊「勘解由小路家の所領について」(科学研究費補助金研究成果報告書〔研究代表者:厚谷和雄〕『具注暦を中心とする暦史料の集成とその史料学的研究』2008・3、http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/suegara/gyoseki.htm)、細田慈人「陰陽家の参陣構成について─軒廊御卜にみる─」(『奈良大学大学院研究年報』18、2013・5、http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AN10533924-20130300-1045)を参照。