周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

神の油断とそのお詫び

【史料1】

  嘉吉三年(1443)十二月九日条  (『図書寮叢刊 看聞日記』7─93頁)

 

             〔執〕

 九日、晴、(中略)抑祇園修行夢想造内裏遅々、急速可有沙汰之由、祇園被示、

    執行召仕下女     〔託〕

  其後物付俄物狂、沙食して詫宣云、内裏炎上之日祇園守護御当番也、而

  炎上、併御不覚也、但玉体安穏無為御座、被護申故也、造内裏急速可有其

  沙汰也、材木なと我林之木をも可被召之由、種々詫宣云々、修行注進申之間、此由

  管領注進、今夕伝奏参披露申、神慮擁護之条掲焉、王法未尽■歓喜無極、管領

  奇特之思、造内裏急可申沙汰云々、委細事猶不聞、大概記之、(後略)

 

 「書き下し文」

 九日、晴る、(中略)抑も祇園執行の夢想に造内裏遅々たり、急速に沙汰有るべきの由、祇園示さる、其の後執行の召し仕ふる下女物付き俄に物狂、沙を食して詫宣して云く、内裏炎上の日は祇園の守護御当番なり、而るに炎上す、併しながら御不覚なり、但し玉体安穏無為に御座すは、護り申さるる故なり、造内裏急速に其の沙汰有るべきなり、材木など我が林の木をも召さるべきの由、種々詫宣すと云々、執行注進し申すの間、此の由管領注進す、今夕伝奏参り披露し申す、神慮擁護の条掲焉たり、王法未だ尽きざること歓喜極まり無し、管領奇得の思ひを成し、造内裏急ぎ申し沙汰すべしと云々、委細の事猶ほ聞かず、大概之を記す、(後略)

 

 「解釈」

 九日、晴れ。(中略)さて、祇園執行(実質的経営責任者)の夢で、「内裏再建が遅れている。急いで処置せよ」と祇園牛頭天王がお伝えになった。その後執行の召し使う下女が砂を食べて託宣を伝えて言うには、「内裏が炎上した日は、祇園牛頭天王である私が守護する当番であった。しかし、炎上した。結局、私の油断による失敗であった。ただし、帝のお体が安穏無事でいらっしゃったのは、私が守り申し上げたからである。内裏再建を急いで処置するべきである。材木などは我が祇園社領の林の木をお取り寄せになるのがよい」とさまざまにご託宣になったという。祇園執行が幕府に注進し申したので、この事情を管領畠山持国武家伝奏に注進した。今晩、伝奏中山定親がこちら(一条東洞院御所)に参上し披露し申した。定親は「帝を擁護するという神のご意志は、はっきりしている。王法がまだ尽きていないことは、このうえなく喜ばしいことである。管領畠山持国は珍しいことだと思い、内裏再建を急いで執行するつもりだ」と申し上げた。詳細は依然として聞いていない。大概のことは記した。

 

*後半になればなるほど、解釈に自信がありません。

 

 

【史料2】

  同年同月八日条             (『康富記』1─399・400頁)

 

 八日己丑、晴、自問注所雪魚鮭等送之、

   (中略)

 祇園託宣事、

 後聞、今日祇園社執行官女〈十五六歳」云々、〉有天王之神託及種々託宣、其中

 取要、造内裏事被打捨之様也、為天下惣別不可然、早可有事始也、自当社可被進

 冠木於禁裏、自管領同被進て、来十三日造内裏事始可被行之由、管領可有執奏之

 旨、令託宣云々、(後略)

 

 「書き下し文」

 八日己丑、晴る、問注所より雪魚・鮭等之を送る、

   (中略)

【頭書】祇園託宣の事、

 後に聞く、今日祇園社執行官の女〈十五、六歳と云々、〉に天王の神託及び種々託宣有り、其の中の要を取るに、造内裏の事打ち捨てらるるの様なり、天下惣別の為然るべからず、早く事始め有るべきなり、当社より冠木を禁裏に進らせらるべし、管領より同じく進らせられて、来たる十三日造内裏事始めを行なはるべきの由、管領執奏あるべきの旨、託宣せしむと云々、

 

 「解釈」

 後で聞いたことによると、今日祇園社の執行官の娘〈十五、六歳だという〉に、祇園牛頭天王のさまざまな神託があった。その中で重要な点を取り上げると、「内裏修造の件が放置されているようである。天下すべてのために不適切である。早く修造に取り掛からなければならないのである。当社から冠木を宮中に進上なさるつもりである。管領からも同じように進上なさって、来たる十二月十三日に内裏修造事始めの儀式を行なわなければならない、と管領畠山持国後花園天皇へ意見を具申せよ」とご託宣になったそうだ。

 

 「注釈」

*史料1『看聞日記』と史料2『康富記』では、牛頭天王が憑依した女性の情報や、情報量の多寡に違いがあります。情報量の多い前者のほうが、精度は高いのかもしれません。

 さて、今回の記事によると、中世の禁裏は神仏が当番制によって守護していたようです。まさに、王法仏法相依論です。いったいどのような神仏が、宮中を守っているのでしょうか。考えられるのは、王城鎮守二十二社の神々。伊勢・石清水・賀茂(上賀茂・下鴨)・松尾・平野・稲荷(伏見)・春日・大原野・大神・石上・大和・広瀬・龍田・住吉・日吉・梅宮・吉田・広田・祇園(八坂)・北野・丹生川上・貴布禰(貴船)の神々が、日直制で玉体を守護していたのかもしれません。それなのに、炎上してしまいました。この日の当番は、八坂神社の神様である祇園牛頭天王。神様も油断することがあるようです。

 ところで、今回の内容は、祇園牛頭天王がお「詫」びをしているかのような「託」宣でした。記主貞成親王牛頭天王の「託」宣を「詫」宣と記していますが、これは単なる誤字ではなく、意図的に「詫」という字を用いたのだとすると、なかなかおもしろい表記の仕方(造語)と言えます。

 

 なお、祇園社執行や社内組織については、大坪舞「南北朝期における祇園社社内組織」『立命館文学』637、2014・3、http://r-cube.ritsumei.ac.jp/repo/repository/rcube/5598/?lang=0&mode=1&opkey=R156214964742555&idx=3&codeno=)を参照。