周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

特集 変女・奇女! 〜ホラーとジェンダー〜

 *変女? 変なる女? 奇女? 奇しき女? いったいどのような読み方をしていいのかもわかりませんが、とにかく奇妙な女が現れました。

 

 

【史料1】

 応永二十二年(1415)七月二十三・二十六日条

                        (『満済准后日記』上─72頁)

 

 廿三日。〈己丑。天晴。〉相国寺山門上変女徘徊。或乗馬体ニテモ見輩在云々。

 白昼事也。仍寺家祈祷三ケ日可始行云々。

 

 廿六日。〈壬辰。天晴。〉禁中ニ変女又出現。八人徘徊庭上。御所様被御覧云々。

 (後略)

 

 「書き下し文」

 二十三日。〈己丑。天晴る。〉相国寺山門の上に変なる女徘徊す。或ひは乗馬の体にても見る輩在りと云々。白昼の事なり、仍て寺家祈祷三ケ日を始め行なふべしと云々。

 

 二十六日。〈壬辰。天晴る。〉禁中に変なる女又出現す。八人庭上を徘徊す。御所様御覧ぜらると云々。(後略)

 

 「解釈」

 二十三日。〈己丑。晴れ。〉相国寺山門の上で変な女が徘徊していた。あるいは、馬に乗っている姿でも見た人がいるという。白昼の出来事である。そこで、相国寺は三日間の祈祷を始めたそうだ。

 

 二十六日。〈壬辰。晴れ。〉宮中に変な女がまた現れた。八人の女が庭先を徘徊した。称光天皇はそれをご覧になったという。

 

 

 *その翌年、今度は鹿苑寺に現れて、重要な政治的・宗教的シンボルである北山大塔を焼き払ってしまいます。

 

【史料2】

  応永二十三年(1416)正月九日条  (『図書寮叢刊 看聞日記』1─5頁)

 

 九日、雨降、戌剋雷電暴風以外也、此時分赤気耀蒼天、若焼亡歟之由不審之処、

  北山大塔七重為雷火災上云雷三度落懸、僧俗番匠等捨身命雖打消遂以焼失、併

  天魔所為勿論也、

   (中略)

                          〔挺〕

  又聞九日大塔上喝食二三人女房等徘徊、入夜蝋燭二卅廷ハカリトホシテ見ヘ

  ケリ、不経幾程炎上云々、天狗所行歟云々、

 

 「書き下し文」

 九日、雨降る、戌の剋雷電暴風以ての外なり、此の時分に赤気蒼天に耀く、若しや焼亡かの由不審の処、北山大塔(七重)雷火の為炎上し雷三度落ち懸かると云ふ、僧俗・番匠ら身命を捨て打ち消すと雖も遂に以て焼失す、併しながら天魔の所為勿論なり、

  又聞く、九日大塔の上に喝食二、三人、女房ら徘徊す、夜に入りて蝋燭二、三十挺ばかり灯して見へけり、幾程も経ず炎上すと云々、天狗の所行かと云々、

 

 「解釈」

 九日、雨が降った。戌の刻ごろ、思いがけずひどい雷と暴風に襲われた。ちょうどこのとき、赤い雲気が大空に輝いた。もしや火事ではないかと疑っていたところ、北山の七重塔が落雷による火事のせいで炎上し、雷が三度落ちたという。僧侶や俗人、大工らは命がけで火を消したが、結局のところ焼失してしまった。当然、すべて天魔の仕業である。

  また聞くところによると、九日に大塔の上に喝食二、三人と女房らが徘徊していた。夜になって蝋燭を二、三十挺ほどを灯しているのが見えた。どれぐらいも経たないうちに炎上したそうだ。天狗の仕業だろうか、という。

 

 「注釈」

「北山大塔」

 ─鹿苑寺にあったとされる大塔で、足利義満が建設をはじめ、完成直前に焼失したと考えられている(冨島義幸「まぼろし相国寺七重塔を復元する ─金閣寺における九輪断片の発見によせて─」『リーフレット京都』公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所、336、2016・12、https://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet.html)。

 

 

 *さらに、その二年後、今度は伏見にも現れました。

 

【史料3】

  応永二十五年(1418)二月十六日条

                   (『図書寮叢刊 看聞日記』1─191頁)

 

 十六日、晴、時正結願也、(中略)聞、石井薮中〈新堂前、〉奇女一人両三日晩景

  出現、或見之或不見云々、若狐狸所為歟、不審、

 

 「書き下し文」

 十六日、晴る、時正結願なり、(中略)聞く、石井の薮の中〈新堂前、〉に、奇女一人両三日晩景に出現す、或いは之見え或いは見えずと云々、若しや狐・狸の所為か、不審、

 

 「解釈」

 十六日、晴れ。春の彼岸会の最終日であった。聞くところによると、伏見庄石井の薮の中〈新堂前〉に、奇妙な一人の女が、二、三日の間、夕暮れに現れた。ある者にはこの女が見え、ある者には見えなかったという。もしや狐や狸の仕業だろうか。疑わしいことだ。

 

 

 「注釈」

 以前、「切り裂き女房」という記事でも書いたことですが、日本の場合、幽霊や妖怪などの性別は、女性が多いように思えてなりません。今回も女性でした。この感覚、気のせいでしょうか?

 

 「女性の幽霊が多いのはなぜか?」

 このような疑問に答えた論稿に、やっと出会えました。それは、田中貴子氏の研究です(『別冊太陽 日本のこころ98 幽霊の正体』平凡社、1997、44〜47頁)。この研究によると、近世以前に女性の幽霊が多いとは言えず、近世以降になると急に女性の幽霊が目立って増加するように見えるそうです(45頁)。したがって、中世史料を見て抱いた私の感覚は、どうやら間違いだったようです。

 それはさておき、田中氏は女性の幽霊が多い理由を、次のように説明されています。まず1つ目は、仏教の影響です。女性の悪をまとめて示した『浄心誠観方』(唐・道宣)という書物には、女性が十の悪業もつと記されているのですが、日本の仏教がそれを受容したことによって、女性は嫉妬深く、物を偽り、身体が不浄で、欲心が盛んである、などと説かれることになったのです。このうち、何に対しても欲心が盛んである、という点が敷衍され、平安時代以降、女性はこの世に未練を遺すことが強い、という俗信が生み出されたそうです。また、女性の社会的地位の低下も、この俗信が女性を強く縛る要因になったと考えられています。

 2つ目は、女性特有の死に方、つまり出産による死の影響です。医学が発達していなかった時代、女性にとって出産は命がけの行為で、出産によって命を落とす女性の数は、現代からすると比較にならないほど多かったはずです。こうした状況を踏まえて田中氏は、次のように説明されています。

 「出産による死は、特にこの世に未練を残しやすい死に方であると考えられる。自分の身が失われる悔しさもさることながら、我が子の行く末は女にとって多大な関心事だったろう。死んだ母親は、生んだ子が無事に育ってくれるかという心配事を抱えることになるのである。不幸にも子供も同時に死んだ場合であれば、恨みは2倍になったことだろう。こうした出産にまつわる死の恨みは、女性特有の、しかも当時では避けられないものであったのだ。また、出産で死んだ女性は必ず血の池地獄に落ちるとも言われていた。女性に幽霊が多いと言われる理由の一つは、この出産という問題が深く関わっているのではないだろうか。そういえば三大幽霊のお岩も、出産で死んだわけではないが初産の肥立ちが悪いという設定であった。これもまったく関係ないとはいえないだろう。(中略)幽霊に女性が多いと言われる理由としては、女性という性が『産む性』であるということとつながりがあると思われる。当時としてみれば、女性と生まれたからには避けて通れなかったのが出産である。出産死という、女ゆえに経験する特異な死に方があったからこそ、女性が化けて出るという認識が近世において広まったと考えられるのではなかろうか」。

 女性の幽霊が多いのはなぜか? この疑問は妖怪・幽霊研究だけではなく、ジェンダー史の課題でもあるようです。女性の幽霊や妖怪の研究が進めば、今までとは異なる、中世の女性観が明らかになるのかもしれません。なかなかおもしろいテーマです。

 ちなみに、私が紹介してきた女性の妖怪変化の記事は、以下の5つです。「イカれた女」「厠の尼子さんとその眷属 ─足のない幽霊の初見について─」「壬生閻魔堂のかぐや姫」「切り裂き女房」、そして今回の「特集 変女・奇女!」です。興味があれば、以前の記事もご覧になってください。このような記事は、まだまだ増えていきそうな気配がありますので、見つけ次第、掲載していこうと思います。

 さて、江戸時代以来の幽霊観の影響か、現代人一般の嗜好性なのか、私個人の好みなのかわかりませんが、やはりホラーの主人公は女性がよいように思います。ひょっとすると、探せば「変男・奇男」という史料用語が見つかるのかもしれませんが、男の場合だと、単なる粗野でガサツな不審者・変質者という感じがしておもしろみがありません。やはり、日本的な怪談に特有の、じわじわと忍び寄るような、背筋も凍る恐怖感は、女性でなくては醸し出せないような気がします。