周梨槃特のブログ

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楽音寺文書25

    二五 小早川陽満弘景同盛景連署寄進状

 

  (端裏書)

  「漆原御寄進状」

 奉寄進

  楽音寺領田之事

 右意趣者、奉為天地長久御願円満、」殊者信心施主子孫繁盛増長・」福寿

 祈祷料而、梨子羽郷〈南方〉漆原」石代八段永代当寺令寄附所也、」但此内

     (釈)                (小早川仲義)

 壹段者、尺迦堂可修理免」者也、凡彼領田者天門雖寄進、」寄進状依

 未無書進所也、於子々」孫々此旨、敢勿異失、仍寄進」状如件、

  (1440)

   永享十二年〈庚申〉四月八日 沙弥陽満(花押)

                  平盛景(花押)

     ○以上、一四号カラ二五号マデノ一二通ヲ一巻ニ収ム(第二巻)

 

 「書き下し文」

 寄進し奉る 楽音寺の領田の事

 右の意趣は、天地長久・御願円満、殊には信心施主・子孫の繁盛、増長福寿の祈祷料のおんため、梨子羽郷〈南方〉漆原石代八段を永代当寺に寄附せしむる所なり、但し此の内一段は、釈迦堂の修理免と為すべき者なり、凡そ彼の領田は天門寄進すと雖も、寄進状未だ書き進らすること無きによる所なり、子々孫々に於いて此の旨を守り、敢へて異失すること勿かれ、仍て寄進状件のごとし、

 

 「解釈」

 寄進し申し上げる楽音寺領の田のこと。

 右の寄進の目的は、天地長久・御願円満、とくに信心施主やその子孫の繁盛や福寿増長の祈祷料のために、梨子羽郷南方漆原石代八段を、永久に当寺に寄進させるところである。ただしこの内の一段は、釈迦堂の修理料免田とするべきものである。そもそもこの領田は天門小早川仲義が寄進したのだが、寄進状をまだ書いて差し上げていなかったので、この度作成したのである。子々孫々においても寄進状の内容を守り、けっして破ってはならない。よって、寄進状は以上のとおりである。

 

 「注釈」

「漆原」─未詳。

 

「石代」

 ─斗代一石のこと、一段の田地の年貢が一石であること。→「斗代」─田畠一段についての年貢収納高。一段について米三斗を納めるときは、三斗代という(『古文書古記録語辞典』)。