三八 御室任助法親王令旨
今度御下向処、御寄宿」以下被二申沙汰一、被レ励二懇志」馳走一之段、無二比類一
被二悦思召一候」由、依二」御室御気色一、執達如レ件、
天正十二年(1584)
五月廿二日 法眼(花押)
楽音寺
法持院法印御房
「書き下し文」
今度御下向の処、御寄宿以下申し沙汰せられ、懇志馳走を励まさるるの段、比類無く悦び思し召され候ふ由、御室の御気色により、執達件のごとし、
「解釈」
この度、任助様が御下向になったところ、御寄宿以下のことを準備なさり、心を込めて饗応に努めてくださったことについて、このうえなくお喜びになっておりましたことを、任助法親王のご意向により、下達する。
「注釈」
「任助法親王」
─ 1525-1584 戦国-織豊時代,貞敦(さだあつ)親王の第4王子。大永(たいえい)5年7月22日生まれ。母は三条実香の娘。真言宗。天文(てんぶん)8年親王となり,仁和(にんな)寺で出家。11年如雲尊海より灌頂(かんじょう)をうけた。天正(てんしょう)12年11月29日死去。60歳。俗名は煕明。通称は厳島御室(デジタル版 日本人名大辞典+Plus、https://kotobank.jp/word/任助入道親王-1099784)。