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蟇沼寺文書1

解題

 蟇沼寺は東禅寺の旧称である。本文書は弘安五年(1282)から至徳元年(1384)までの十四通からなっているが、鎌倉時代末期から南北朝期にかけての蟇沼寺に関するものを主体とし、楽音寺に関するもの五通が加わっている。

 本文書は東禅寺文書と一体をなすものであるが、ある時期に当寺から離れ、現在は東京大学史料編纂所に「蟇沼寺文書」の名で所蔵されている。

 

 

    一 行阿寄進状

 (端裏書)

 「御寄進状」

 (安芸沼田庄)

  蟇沼寺

    寄進  乃力名田宛文事

   合四丁一反小卅歩加寂仏来善定

    所宛公用捌貫五百文内

     公物六貫四百八十文加御佃分定

     加徴貳貫廿文

 右彼乃力名田者、伝聞元是蟇沼寺領也、而中古以来顛倒而被入間人名

 云々、雖然為山中最薄地之間、不作荒野不熟損亡年々是多、故年貢稍減少大躰

 有名無実也、加之堂舎漸破壊而住侶難安堵事已為顕然之間、且存

 公平、且存隆故請所之間、於彼名田等者停止両方公私之使并

 御公事等、可一円之寺領、但至御年貢加徴米者、依有限公田

 任請状之旨毎年無懈怠弁済、仍宛文之状如件、

     (1282)

     弘安五年三月十五日      行阿(花押)

  (裏書)

  「         (ヵ)□□

    除仏供田三反小佃米定

    三丁七反三百歩

      (八ヵ)

      □反小卅歩   」

 

 「書き下し文」

    寄進する 乃力名田宛文の事

   合はせて四丁一反小卅歩、加ふ寂仏来善定

    宛つる所公用捌貫五百文内

     公物六貫四百八十文、加ふ御佃分定

     加徴貳貫廿文

 右彼の乃力名田は、元是れ蟇沼寺領と伝へ聞くなり、而るに中古以来顛倒して間人名に結び入れらると云々、然りと雖も山中の最薄地たるの間、不作の荒野、不熟損亡年々是れ多し、故に年貢稍減少し大体有名無実なり、しかのみならず堂舎漸く破壊して住侶安堵し難き事已に顕然たるの間、且つうは公平を存じ、且つうはことさらに請所を興隆するを存ずるの間、彼の名田等に於いては両方公私の使ひ并びに御公事等を停止し、一円の寺領と為すべし、但し御年貢・加徴米に至りては、有限の公田たるにより、請状の旨に任せ毎年懈怠無く弁済せしむべし、仍て宛文の状件のごとし、

 

 「解釈」

    寄進する 乃力名田宛文のこと。

   都合四丁一反小卅歩。寂仏名・来善名分を加える。

    給与するのは、公用八貫五百文のうち、公物六貫四百八十文と、御佃の収納分を加える。

    加徴分二貫二十文も加える。

 右、この乃力名田は、もともと蟇沼寺の寺領と伝え聞くものである。しかし中古以来荒廃して、間人名にまとめ入れられたという。しかし、山中のもっともやせた土地であるので、不作の荒野であり、作物の不熟損亡が毎年のように多い。だから年貢はしだいに減少しほとんど有名無実である。それだけでなく、堂舎もしだいに荒廃して、住侶が安心できないことはすでにはっきりしているので、一方では年貢を厳密に徴収することを考え、一方では請所を繁栄させることを考えているので、この名田等については、両方の公私の使者の立ち入りや御公事等の賦課を停止し、一円の寺領とするべきである。ただし、御年貢と加徴米については、重要な公田であるから、請状の取り決めのとおりに、毎年怠ることなく支払わなければならない。よって充文は以上のとおりである。

 

 「注釈」

「充行状」

 ─あておこないじょう。充文ともいい、宛行状とも書く。「あてがいじょう」とも読む。所領・所職の給与に際して、給与者が被給与者に交付した文書。当初は処分状と区別がつかなかったが、給与者と被給与者の関係が主従など上下の関係になると補任と混同されるようになる(『古文書古記録語辞典』)。

 

「加徴」

 ─荘園・公領の正規の官物・年貢に加えて賦課すること、またその物(銭)。一〇世紀末の「尾張国郡司百姓等解」に見えるのが早い例である。恒例の加徴と、造営料・兵粮米のような臨時の加徴がある(『古文書小記録語辞典』)。

 

「間人名」─徴税単位である名の名称か。

 

「間人(もうと)」

 ─亡人とも書く。「もうど」とも読む。平民百姓の最下層に置かれ、村落共同体の正式メンバーにはなれない。しかし、所従・下人とは異なり、身分的には自由で、経済的に富裕な者もいた(『古文書古記録語辞典』)。

 

「公平」

 ─くびょう・くひょうとも読む。①元来はかたよらない公平の意。②不正のないこと。③年貢のこと。「西たいのそんまうは三分の二の免にて、三分の一くひやうになり候」などと用いる(『古文書古記録語辞典』)。

 

「且存公平、且存興隆故請所」─書き下し、解釈ともによくわかりません。

 

「請所」

 ─荘園・公領において、守護・地頭・荘官また荘民が定額で年貢を請負い納入した制度。請け負われた年貢を請料・請口といい、請負いとなった下地(土地)を請所・請地という。十二世紀末の戦乱期に始まり、鎌倉期には地頭請、室町期には守護請や百姓請(地下請)があらわれ、商人・高利貸業者による代官請もあった(『古文書古記録語辞典』)。

 

「両方公私之使」─未詳。

東禅寺文書19(完)

    十九 東禅寺寺領注文   ○東大影写本ニヨル

 

     定

   東禅寺 所当米年貢等 小足

     合

 一 所当米四反上一石   吉書百六十八文

   公事物 二斗八舛二合四舛

   林代  二百文

 一 畠二反 所当 麦二斗 大豆二斗

       以上    池迫分

         

 一 所当米二反小上■斗 吉書八十文

         

   公事物  一斗八舛八合二舛林代五十文

       以上       道本分

 一 所当米三反 上七斗    吉書百廿文

   公事物  二斗八舛二合二舛八合林代百五十文

                     今ハ五もん

       以上        道海かあと

 一 所当米三反 上七斗     吉書百廿文

   公事物  二斗八舛二合二舛八合林代百文

       以上       右衛門允分

 四町一反ソヘ候今ハ二反 二

 一 所当米  上五斗     吉書八十文

   公事物  一斗八舛八合   林代百五十文

       以上       太郎大夫かあと

 一 所当米一反 上四斗     吉書六十五文

        

   公事物  一斗八舛二合   林代百文

       以上        こまさこ分

 一 所当米  上四斗     吉書百文

   公事物  一斗八舛八合   林代百文

       以上        弥太郎分

 一 所当米二斗 上四斗      吉書七十文

   公事物  一斗八舛八合   林代五十文

       以上        まこ四郎

  上くいひ迫 二反

 一 所当米  上四斗      吉書七十文

   公事物  一斗八舛八合   林代六十文

       以上        四郎三郎分

  面迫小田 荒

 一 所当米  上四斗      吉書七十文

  

   公事物  一斗八舛八合   さこの二郎

       以上

  □松恩内

 一 名荷迫田大三斗       さこにおろ木

 一 寂仏 二反六十歩

   所当米 一石斗定       代百文

       以上        道念分

 一 売田分

   来善  五反代二貫文      馬三郎

 一 苗代田 一反小〈小ハヤシキ分立」代六百文〉 弥五郎兵衛

                       今ハ八百文

 一 六郎丸名内

   二反 代一貫二百文       兵衛

 一 竹原堤田 二反内〈一反代八百文」一反ハ楽音寺〉

    以上寺領分

 一  所当米  上五石八斗 延七石五斗四舛

 一  公事物  延二石七舛六合

 一  吉書   九百四十九文

 一  林代   一貫六十文これハ皆こまになる

    寂仏年貢   延一石

    名荷迫年貢 三斗

     以上米分 十石九斗一舛六合

    吉書林代  二貫九文

    売田代   四貫六百文

        

    寺領分ハ塵も不残去進候、

       (小早川仲義)

 一 此ほか近比天門より給て候、

               (期)

    家光田二反あまりハ身一この程ハ帋金剛にも斗候へく候、

    これハ寺りやう中にてハ候はす候、

    御心ゑの為に巨細注進候、

     (1419)

     応永廿六年〈己亥〉八月 日    頼真(花押)

   惣田数事者古文書等候へハ御覧候へく候、

    自作分   一丁五反

 

 

*書き下し文・解釈は省略します。

*割書とその改行は〈 」 〉で記載しています。

東禅寺文書18

    十八 弁海名内知行注文

 

  弁海名内門田五反ハもとよりぬけ候、

 一助太郎分田五段大

  同人分 畠一段 屋敷一所 林〈屋奥」風呂奥〉

  麻畠  以上失原殿御恩にて候、下地進候、

   是ハ元道端持分内公事免ニて候、

 一弥二郎作田一段半  畠一段半

 一藤九郎作田一段六十歩 畠一段

                    九郎大夫

  是ハ道光持分にて候、近年弥二郎藤九郎両人持分を一人ニあつけ候て、御公事仕候、

                      御代管方へ納候、

 此田二段大より年貢失原殿方へ四斗さた申候、末松殿方へ三斗さた申候、道祐の

 方へも一二舛さた申候哉、

 畠二段半より麦四斗大豆二斗

   失原殿へさた申候、門料とて[  ]道祐よりさた候由申候、

 

 

*書き下し文・解釈は省略します。

*割書とその改行は〈 」 〉で記載しています。

東禅寺文書17

    十七 弁海名内不知行在所注文

 

       (譲分ヵ)

  弁海名内御[  ]之外又金剛坊不知行之在処之分

 一田一段   柳坪末松殿知行

 一田半    堀田末松十郎二郎知行

 一畠一段   田九十歩   味原末松道玖知行

 一林一所   味原末松道玖知行

 一林一所   神迫末松十郎二郎知行

 一小林一所  小林末松道玖知行

 

 

*書き下し文・解釈は省略します。

東禅寺文書16

    十六 弁海名内年貢注文

 

    (端裏書)

     「小足」

  弁海名一丁九反三百歩内

  船木村〈只神田」除一段〉一丁六反三百歩〈赤三百卅歩」損六反小十歩」辻損

                      一反〉

  尾原村   二段〈不六十歩」損小〉

     以上一丁八段三百歩

          損不二反百十歩 一斗二舛五合上分〈代一舛九合五夕」公文

                           一舛五合二夕」上使

                           三合〉

 (矢ヵ)

  失原方 五段大

          得三反小十歩 内御佃四十歩〈分米一斗五舛」延一斗九舛

                        五合〉

  管物田三反九十歩〈三斗五舛代二反半 分米八斗七舛五合」二斗五舛代大卅歩

           分米一斗八舛七合〉

 所当

  以上一石六舛三合 〈吉書二百十二文」米八斗五舛一合〉

  加佃延米一石八斗一舛六合 〈代一斗二舛八夕」[ ]二舛三合六夕」公文

                八舛二合六夕〉

               〈残二斗三舛六合」御上分八斗八舛六合〉

 

 公物七斗三舛八合〈吉書百四十七文」見米五斗九舛一合延米一石一斗二舛二合〉

         〈御代官七舛一合」上使二舛三合」公文九舛三合

 御得分三斗二舛五合〈吉書六十五文」見米二斗六舛 延米二斗九舛四合〉〈上分

           三斗九舛」御代五舛六合」上使一舛」公文四舛五合

           残一斗四合〉

      〈代五舛七合二夕」上使一舛四夕」公文三舛六合四夕〉

 雑事五舛六合六夕 両代管公文三分一

       三

 厨屋三舛三合夕  

 饗料三舛二合五夕  

 門料六舛五合   一円公文

 丈尺十七文 段別三文宛

 

 

*書き下し文・解釈は省略します。

*割書とその改行は〈 」 〉で記載しています。