周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

極楽寺所蔵文書14

    一四 楽音寺領年貢算用状

 

 (前闕ヵ)

 「

 御佃一段ハ一石三斗[   ]舛延也 無吉書

 一斗三舛分口ハ   一斗一舛[  ] 〈一舛領家代官」八合公文方」二合上使分〉

 御給ハ   七舛延   無吉書

 一斗七舛分口ハ一斗四升上分 〈一舛三合地頭代」四合上使」一舛三合公文〉

    除河不残ハ下田也、

    除損残ハ得田也、

    除御給佃田算失残 官物田也、

    官物田年貢ハ所当米、

    立吉書残ハ 現米也、

 (後闕ヵ)

 

*書き下し文・解釈は省略します。

 

 「注釈」

「河不」

 ─「河成不作」の略か。「河成・川成」は、「洪水などによって流失・崩埋して耕作不能となった荒地。検注帳・散用状で除分とされ、年貢・公事は免除された」(『古文書古記録語辞典』)。

夢にみた仏舎利にまつわる伝承

  文明四年(1472)十二月五日条

        (『大乗院寺社雑事記』5─316頁)

 

    六日

 一夜前希有見夢、小蛇二疋俄ニ現龍王父子、予曰、当院仏舎利可有守護、不可有

  子細之由領状、則多宝塔エ手ヲ入テ、舎利壺を共ニ取之テ馳出了、予心中ニ、

  可守護之由仰也、可取ニハ非、不可其意得之間、息ノ龍王ヲ質ニ取テ、予之後ニ

  ヲヒテ不放之、兎角シテ父龍王ナキカナシミテ、舎利ヲ返給了、其時息を放了、

  就中夢ニ思様、此多宝塔ノ舎利ヨリ、厨子之内ノ舎利ハ重宝也、仍重々ニ封ヲ

  付了、然之間龍王不及了簡歟、常住拜見ノ舎利ヲ取条、封ノ希徳也、凡当院舎利

  所々ノ伝也、大方ニ不可存、為後代記之、今日舎利講一座予行了、

 

 「書き下し文」

 一つ、夜前希有にして夢を見る、小蛇二疋俄に龍王父子と現ず、予曰く、当院の仏舎利守護有るべし、子細有るべからざる由領状す、則ち多宝塔へ手を入れて、舎利壺を共に之を取りて馳せ出で了んぬ、予心中に、守護すべきの由仰するなり、取るべきには非ず、其の意を得べからざるの間、息の龍王を質に取りて、予の後ろに置いて之を放たず、兎角して父龍王泣き悲しみて、舎利を返し給ひ了んぬ、其の時息を放ち了んぬ、なかんづく夢に思ふ様、此の多宝塔の舎利より、厨子の内の舎利は重宝なり、仍て重々に封を付し了んぬ、然るの間龍王了簡に及ばざるか、常住拜見の舎利を取るの条、封の奇特なり、凡そ当院の舎利諸々の伝なり、大方に存ずべからず、後代の為之を記す、今日の舎利講一座予行なひ了んぬ、

 

 「解釈」

 一つ、昨晩珍しく夢を見た。小蛇二匹が突然、龍王の父子として現れた。私が言うには、「当大乗院の仏舎利を守護してください」と。龍王父子は「異論はない」と承諾した。そこで龍王父子は多宝塔に手を入れて舎利壺を一緒に取り出して駆け出してしまった。私は心中で、「仏舎利を守護してください、と龍王父子にご命令になったのである。取ってよいわけではない」と思った。龍王父子はその考えを理解できていなかったので、私は息子の龍王を質に取って、自分の後ろに置いて放さなかった。あれこれと父の龍王は泣き悲しんで、仏舎利をお返しになった。そのときに息子の龍王を解放した。とりわけその夢で思ったのは、「この多宝塔の仏舎利より、厨子の中の仏舎利は重要な宝物である。だから、よくよく封をした」と。そのようにしたので、龍王はどうしようもなかったのか、日常的に拝見できる仏舎利しか取れなかったことは、封をした霊験である。およそこれが大乗院の仏舎利に関するいろいろな伝承である。まったく知るはずもない。後世のためにこの夢を記した。今日の舎利講一座を私は執行した。

 

 「注釈」

 おそらく、舎利講を執行する前日だったからなのでしょう。記主尋尊は大乗院に伝わる仏舎利の伝承を夢想しました。尋尊と龍王親子のやりとりもなかなかおもしろいのですが、気になるのは、龍王仏舎利の関係です。龍王といえば、雨乞い儀礼で祈願される神格ですが、その親子と仏舎利がなぜセットで夢の中に現れたのでしょうか。

 実はこの両者、とても密接な関係があるのです。有賀夏紀「金剛寺蔵『龍王講式』の式文世界 ─釈論注釈と祈雨儀礼をめぐって─」(『人文』18、2020.3、174頁・注22、https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4821&item_no=1&page_id=13&block_id=21)によると、仏舎利は「如意宝珠と同一視されるもので、雨を降らせる龍王の力の源であると同時に、請雨経法で供される呪具であ」り、龍王は「深く仏舎利に帰敬している」そうです。そうすると、龍王が舎利壺を持ち出そうとした理由もなんとなくわかります。龍王自身の力の源であるとともに、信仰の対象でもあった仏舎利が欲しくなったのではないでしょうか。龍王も欲しがった霊験あらたかな大乗院の仏舎利。こういう付加価値を誇るために、尋尊は今回の記事を書いたのかもしれません。

極楽寺所蔵文書13

    一三 楽音寺領下部給分等注文

 

 (前闕ヵ)

 「

   畠少分

   〈林少分」畠少分〉  一反五斗所役定□金

     下部共給分

 はこ田  一反畠六十歩            左近

 ふなさこ  一反畠大              孫二郎

 はこ田  大畠六十歩             彦三郎

 五反田内  大〈又九十歩さゝハら」畠小〉      左近四郎

 五反田内  大畠大               馬二郎

 彦三郎か給恩ハ大歳免にて候ほとに、御まつりをはこなたより申候、

     酒五十文   御供 飯白米三舛

     御散米   斗入一舛

      しる一   さかな二はかり

     霜月まつりまいらせ候、

 (後闕ヵ)

 

*書き下し文・解釈は省略します。

極楽寺所蔵文書12

    一二 楽音寺領年貢算用状

 

 (前闕ヵ)

 「

  ]田一反已三斗一舛代加文料一舛定

   所当□三斗一舛

    交分二斗一舛七合

    延五斗二升七合

  已上単米九石四斗八舛六合

 一寺役分

   正月一日御仏供餅料       白米五舛

   八幡厳島護法御供餅料      白米五舛

   御散米料            白米一舛

   清酒三舛分           乃米六升

 同三日御修正料物

   御仏供料            白米三舛

   懸餅十二枚分          白米一斗二舛

 (後闕ヵ)

 

*書き下し文・解釈は省略します。

 

 「注釈」

「交分」

 ─①年貢・地子の徴収に関わる費用として取られる付加税。十一世紀から所見。②容積の異なる枡による量り直しによって生ずる延(のび)、縮(ちぢみ)を交分と称した。年貢等の徴収に関与する保司・下司の得分となる。米で徴収するのは交米・交分米(『古文書古記録語辞典』)。

 

「延」

 ─桝の大小によって生ずる計算上の増加分。容量の大きい枡で量った米を小さい枡で量りなおすと、計算上の(見せかけの)増加分が生ずる。これを延(のび)といい、逆に減少分は縮(ちぢみ)という(『古文書古記録語辞典』)。

極楽寺所蔵文書11

    一一 楽音寺領供田目録(断簡)

 

 (前闕ヵ)

 「

       宮仕方下行           承仕方下行

 一宮大般若   二斗      供花衆米   一斗

       承仕方下行     寺僧下行  斗入五舛充

 天台大師御仏供一舛五合 阿弥陀経米四斗 九人方へ

           五斗

     以上延米三石一斗一舛五合

     毎年如此  此外残米ヲ三分二ノ三分一ニ配当ス、

 

*書き下し文・解釈は省略します。