周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

仏通寺文書15

    一五 宗綱恵統書状

 

 其後依差事案内候、随而住持被退候由承候、驚入候、殊更

                                   

 典座之役御辛労察申候、兼又、観音像一体奉造度存候、同候者是の聖僧申て候、

 仏師上手にて候、栖雲庵へ御状一通被遣候て、御存知事にて候へハ、自然次

 被御意候て御催促候者可悦入由被申候者、可本望候、態欲

 進僧候処ニ、詢兄被参候間無其儀候事候、期後信候、恐々謹言、

      (永享二年ヵ・1430)

       三月廿四日        恵統(花押)

      機公上人 御寮

 

 「書き下し文」

 その後差したる事無く候ふにより、案内を申さず候ふ、随ひて住持退かれ候ふ由承り候ひ、驚き入り候ふ、殊更典座の役御辛労察し申し候ふ、兼ねて又、観音像一体造り奉りたく存じ候ふも、同じに候はば、是の聖僧を造り申して候ふ、仏師上手にて候ふ、栖雲庵へ御状一通遣はされ候ひて、御存知の事にて候へば、自然次いで御意を掛けられ候ひて御催促候はば、悦び入るべき由申され候はば、本望たるべく候ふ、態と僧を進らせんと欲し候ふ処に、詢兄参られ候ふ間、其の儀無く候ふ事に候ふ、後信を期し候ふ、恐々謹言、

 

 「解釈」

 その後、たいしたことがなかったので、お便りを差し上げませんでした。したがって、住職をご退任になりましたことをお聞きしまして、ひどく驚いております。とくに典座役のご苦労、お察し致します。また以前から、観音菩薩像一体をお造りしたいと思い申し上げておりましたが、同じことでしたら、この文殊菩薩像を造り申したいと存じております。仏師は技術の優れた人物であってほしいです。南禅寺栖雲庵へあなた様からの書状を一通お遣わしになりまして、「栖雲庵がこの件についてご承知くださいましたなら、また、何かの折に、ついでにご配慮になりまして、仏師に催促してくださいますならば、本当に喜ばしいことである」と、あなた様が栖雲庵に申し上げてくださいますならば、私としては本望であります。わざわざ使僧を遣わしたいと思っておりましたところに、詢兄がいらっしゃいましたので、こちらから使僧を遣わすことは致しません。返事をお待ちしております。以上、謹んで申し上げます。

 

*書き下し文・解釈ともによくわからないところが多いです。

 

 

 「注釈」

「聖僧」

 ─文殊菩薩のことか。丹生谷哲一「中世における寺院の童について」(『身分・差別と中世社会』塙書房、2005年、初出、大山喬平教授退官記念論集『日本社会の史的構造 古代・中世』思文閣出版、1997年、217頁)、松永勝巳「湯屋の集会」(『歴史学研究』732、2000.1、5頁)参照。

 

「栖雲庵」

 ─南禅寺栖雲庵か。永享十二年六月八日条『蔭涼軒日録』(『史料綜覧』綱文、七編九〇七冊七〇〇頁、https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1440/09-5-1/3/0038?m=all&s=0038)。

 

「詢兄」

 ─未詳。「洵」の当て字で、「本当の兄・実兄」などいう意味かもしれませんが、よくわかりません。

仏通寺文書14

    一四 清唯外三名連署規式写   ○住持記ニヨル

 

 当寺入牌之本銭四十貫文之外、若有入牌銭重出現者、宜彼本銭番々度上レ

 之、雖然或換殿堂之上葺或企新造之大事之時、住持番衆相共評議而取

 本銭之外加之余分、以可之、然後以某人入牌銭、某殿堂修造用之言宜

 載于入牌帳、以貽有功於不朽矣、或復称小破之修理、号斎供之

 闕乏、以至歳節祖忌之費煩、塩醤油麻之不足等、一々不用之、何況於

 余瑣細之事乎、故以衆評議、永為当寺不易之規式、若有違犯者宜

 擯罸者也、

       (三十四年・1427)

  衆悉 応永〈丁未〉八月廿五日       安心

                       玄胤

                       真知

                       清唯

 

 「書き下し文」

  当寺入牌の本銭四十貫文の外、若し入牌銭重ねて出で現るること有らば、宜しく彼の本銭に加へて番々之を渡すべし、然りと雖も或いは殿堂の上葺を換へ、或いは新造の大事を企てしの時は、住持・番衆相共に評議して彼の本銭の外加ふる所の余分を取りて以て之を用ふべし、然して後某(なにがし)人の入牌銭を以て、某(そこ)の殿堂の修造に之を用ふる、之の言は宜しく入牌帳に載せて以て功有ることを不朽に貽すべし、或いは復た小破の修理と称し、斎供の闕乏と号し、以て歳節・祖忌の費煩、塩・醤油・麻の不足等に至るまで一々に之を用ふることを許さず、何に況んや余の瑣細の事に於いてをや、故に衆の評議を以て、永く当寺不易の規式と為す、若し違犯の者有らば宜しく擯罸を加ふべき者なり、

 衆悉くせよ。

 

 「解釈」

 当寺入牌の本銭四十貫文以外に、もし入牌料が重ねて納められることがあれば、この本銭に加えて各番にそれを渡すのがよい。そうではあるが、殿堂の屋根を葺き替えたり、あるいは新築の大事業を計画したりしたときには、住持と番衆がともに評議して、この本銭の外に加えられた余分の銭も取り、それを使用するべきである。その後、誰かの入牌料をもって、どこそこの殿堂の修理・造営に用いる。この言葉は入牌帳に載せ、修造の功績があることを永久に残すのがよい。一方ではまた、ちょっとした破損の修理と称したり、斎食が欠乏したと主張したりして、歳末や節日、祖師の忌日の出費、塩・醤油・麻の不足などに至るまで、一々これを用いることを許してはならない。ましてその他の些細なことについては、なおさら用いることを許してはならない。したがって、評定衆の評議により、永久に当寺不変の規則とする。もし違犯する者がいれば、追放して罰するのがよいのである。

 僧衆は悉くこの規則を守れ。

 

*書き下し文・解釈ともによくわからないところがあります。

 

*『仏通寺住持記』にはほぼ同文の文書が書き写されています。その返り点や送り仮名を参考にして、書き下し文や解釈を作っています。

 なお、この文書については「仏通寺住持記 その10」でも紹介しています。

仏通寺文書13

    一三 清唯外三名連署禁制   ○東大影写本ニヨル

 

 (端裏書)

 「仏通寺規式」

   禁制

 仏通天寧并諸末寺之住持、不叢林出頭之輩、若有違犯者、門中同心

 永可罰擯者也、

     (1427)

     応永三十四年正月 日

                     安心(花押)

                     玄胤

                     真知(花押)

                     清唯(花押)

 

 「書き下し文」

 仏通・天寧并びに諸末寺の住持、叢林出頭の輩を請ずべからず、若し違犯有らば、門中同心し永く罰し擯すべき者なり、

 

 「解釈」

 仏通寺・天寧寺ならびに諸末寺の住持は、五山派寺院出身者を招請してはならない。もし違反すれば、われら愚中門派は団結し、永久に違反者を罰して追い出さなければならないものである。

 

*『仏通寺住持記』にはほぼ同文の文書が書き写されています。その返り点や送り仮名を参考にして、書き下し文や解釈を作っています。

 なお、この文書については「仏通寺住持記 その10」でも紹介しています。

仏通寺文書12

    一二 小早川常嘉則平書状   ○東大影写本ニヨル

 

                 (端裏書)

                 「含暉院開檀那」

 当院開基檀那

 松岩寿大師 碧渓重禅門両人事、造営以下被成功候之上者、追善事末代如

 御計候者、就然存候状候、此趣於寺家定置候者目出度候、

 恐惶敬白、

       応永卅一(1424)

        二月十五日         常嘉(花押)

 (禅慶)

 一笑和尚含暉方丈

 

 「書き下し文」

 当院開基檀那

 松岩寿大師・碧渓重禅門両人の事、造営以下成功せられ候ふの上は、追善の事末代今のごとく御計らひ候はば、然るべく存じ候ふに就き状を進らせ候ふ、此の趣寺家に於いて定め置かれ候はば目出度く候ふ、恐惶敬白、

 

 「解釈」

 当院開基檀那、松岩寿大師・碧渓重禅門両人のこと。造営などに寄付なさいましたうえは、現在のように、永久に追善供養のことをお取り計らいになりましたなら、非常にすばらしいことであると存じております、ということについて書状を進上します。この内容を含暉院で取り決めてくださいますならば、すばらしいことでございます。以上、謹んで申し上げます。

仏通寺文書11

    一一 清唯外三名連署規式   ○東大影写本ニヨル

 

 (端裏書)

 「仏通寺住持式」

   安心上座  道文書記

   咸一侍者  永存蔵主

   周竹侍者  禅慶上座

 仏通天寧両寺住持、老僧四員交代、十二年後此六人、次第可住持者也、

 依衆評議、老僧四人加判、

     (1423)

     応永三十年三月十四日     玄胤

                    慧統(花押)

                    真知(花押)

                    清唯(花押)

 

 「書き下し文」

 仏通・天寧両寺の住持、老僧四員交代す、十二年後此の六人、次第に住持せしむべき者なり、衆の評議により、老僧四人判を加ふ、

 

 「解釈」

 仏通寺・天寧寺両寺の住職は、我ら老僧四人が交代で就任する。十二年後はこの六人が、順次住職となるべきである。評定衆の評議により、我ら老僧四人が判を加える。

 

 

*『仏通寺住持記』にはほぼ同文の文書が書き写されています。その返り点や送り仮名を参考にして、書き下し文や解釈を作っています。

 なお、この文書については「仏通寺住持記 その9」でも紹介しています。