2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧
宝徳二年(一四五〇)八月九日条 (『康富記』3─196頁) 九日庚辰 晴、 (中略) 給事中令語給云、去月廿三日七條西洞院邊棄兒、人見及分馬之形也云々、依之賀三品 在貞卿尋問先蹤之間、披見諸道勘文、注出先例一通遣之云々、草案拜見了、仁徳天皇 御宇…
三 小早川隆景書状 (切封ウハ書) (鵜飼元辰) 「 鵜新右 隆景」 (先) 態申登候、横田了喜事、千年堺津切々差上せ辛労候、乍二重疊之儀一、爰許太篇 之普請ニ付而、遠國候条、可レ然衆登遣候儀不二相成一候間、彼者可二相頼一候、 此等之趣能々可レ被二…
二 吉川元春小早川隆景連署書状(禮紙付) 其方事、連々依レ抽二馳走一、分国中荷役并勘過之事、不レ可レ有二相違一之由、 被三成二遣御一通一候、尤肝要候、謹言、 (永禄十一年) 十一月六日 元春(花押) 隆景(花押) 横田藤右衛門尉殿 (禮紙切封ウハ書…
解題 横田家の先祖は毛利氏の御用商人であったとみられる。当家は昭和の初めまで吉田の商家であった。 一 毛利輝元荷役并勘過免状 ○以下三通、東大影冩本ニヨル 其方事、連々抽二馳走一之条、分國中荷役并勘過之事、令二免許一所也、聊不レ可レ 有二相違一之…
解題 この和与状は、文政十一年(一八二八)の写文書と同紙に記された解説によると「右之書者永井氏先祖城主タリシ時、知行所境論イタシ、北条家へ強訴及ヒ京都六波羅より被下御教書之由ニ而、代々持来候、」とある。しかし本文書は、当事者間での和与を書き…
一五 毛利輝元假名書出(折紙) 任 惣兵衛尉 (1571) 元龜二年十二月廿一日 輝元(花押) *書き下し文・現代語訳は省略します。 「注釈」 「仮名書出」 ─「仮名(けみょう)」は、武士が実名の他につけた名前(『日本国語大辞典』)で、主君に当たる人物が…
一四 毛利隆元宛行状 (玖珂郡) 於二防州岩國一分錢七貫百目、爲二給地一遣置候、全可二知行一候、仍一行如レ件、 隆元(花押) 弘治三 九月十八日 ○宛名ヲ欠ク 「書き下し文」 防州岩国に於いて分銭七貫百目、給地として遣はし置き候ふ、全く知行すべく候…
一三 光珍請文 三たの(正覚) (道) しやうかく寺の御事ハ、代々申をかるゝしたい候によて、入たうのしやうかく寺をと (坊主) (仰) りたて申候、代々はうすのをほせおかれて候ハん寺しきの事、いけいきにおよひ候 (周防守) (文書) はゝ、御そうり…
一二 厳島社神主藤原了親(親詮)書状 御礼委細承了、 抑舊冬入二見参一申奉之条、于レ今難レ忘悦入候、自然之御次者可レ有二御尋一候、 又御茶大勢賜候之条、返々喜入候、自二當方一こそ可レ進候ニ、結句送給候之条 難二申盡一候、委細定荘原坊主御物語候歟…
一一 光珍寄進置文 (神領) (土橋)(湯屋谷) 御しんりやうの内三田しんしやう下村のうち、つちハしゆやたにゝさきたち候て、 (正覚) た二たんきしん申候き、かさねて彼所のうちの田二たん、しやうかく寺へきしんた てまつり候なり、もし寺りやうの田は…
一〇 前能登守親冬寄進状 寺⬜︎修理之時ハ面々人夫御出候て可レ有二修理一候、親冬も人夫以下可二進上仕一候 也、 畏申入候、 抑眞如庵 成佛寺 引導寺 常楽寺 念福寺 万福寺寺領等、私之用要仁不レ可レ (反ヵ) (以) 有⬜︎⬜︎態申事候、但公方事社役⬜︎下事ハ…
九 前能登守親冬寄進状 安藝国三田新庄下村内寺原之良心知行分⬜︎⬜︎田一反、寄進申候由申候者間、親冬 (地) 寄進申候也之内一反者、道専之位拜料處寄進申處也、 一土橋湯屋谷田二反 本眞如庵敷地畠 同林之内田一反 妙光之位拜料處、岡之當庵 敷地畠寄進申處…
八 前能登守親冬寄進状 (牌) 安藝国三田新庄下村栗原之内池坪田一反、道専并栗原右京助親家之二親爲二位拜 (違) (親房) 料處一眞如庵寄進申處也、若彼所韋乱之於二友族一者、親冬之嫡子宮内少輔可レ致二 其沙汰一状如レ件、以二此旨一可レ有二御披露一…
宝徳二年(1450)七月十九日条 (『康富記』3─190頁) 十九日辛酉 晴、 (中略) 或語云、和泉守護細川兵部少輔去年被誅山臥之間、都鄙山臥楯籠新熊野社頭、呼集諸 国山臥、率大勢、一昨日可押寄兵部少輔屋形、(割書)「綾小路万里小路、」且新熊 …
七 前能登守親冬寄進状 (三) 安藝国⬜︎田新庄下村内成佛寺々領等事、親候物良阿依二⬜︎進申一、田畠林以下親冬 (申處) (違) 寄進⬜︎⬜︎也、若於二⬜︎乱友族一者、親冬之嫡子宮内少輔親房可レ致二其沙汰一、坊主 (持) 御死去之後者、住地可レ爲二御計一候…
六 前能登守親冬寄進状 安藝国厳島御神領内三田新庄下村内正覚寺寄進申候田畠林事 一所 眞如庵敷地畠林之内壹反 一所 湯屋谷田貳反 (峠) 一所 眞木かたをに田壹反 同所林屋敷一所 一所 栗原内池坪田壹反 寄進申候也、 若於二親冬子孫一違乱申者候者、惣領…
五 中務少輔親冬寄進状 畏申入候、 下栗原之内田一反進上仕候、親冬⬜︎⬜︎子孫者彼田異儀申候者、可レ有二不孝友 (族) (競望) から一候、就レ其眞如庵奉二請之一、於二御寺領一愚身之子孫親類けいはう成申物 候者、可レ有二不孝仁一候、爲レ後如レ此申入候…