ライフワーク part1 ─古代史と古典籍─ (Study of suicide in Medieval Japan)
康治元年(1142)九月二六日条『台記』1―74頁 (『増補 史料大成』第23巻) 廿六日乙卯、辰刻始興、侍男共申云、重能〈近習」人也〉有二狂気一、欲二自殺一 不レ得、胸腹頸等少切、其中胸瘡深、疑二侍等所為一、使三公達諸大夫問二 重能一、申云、…
「飛騨国猿神止生贄語第八」『今昔物語集』巻二十六 (『日本古典文学全集』23、小学館、1974、552〜554頁) 「原文」 今昔、仏ノ道ヲ行ヒ行僧有ケリ。何クトモ無ヒ行ケル程ニ、飛騨国マデ行ニケリ。 而ル間、山深ク入テ、道ニ迷ニケレバ、可出…
治承元年(1177)六月二日条 『愚昧記』中(大日本古記録、231頁) 二日、庚午、朝微雨、(中略) 西光被斬事 西光頸今暁斬了、於五条坊門朱雀切之云々、成親卿於川尻邊入水之由 云々、可彈指、可哀憐、世上事如何、可恐可歎、 「書き下し文」 二日、…
嘉応元年(1169)十月十三日条『百錬抄』第八 (『国史大系』第11巻84頁) 十三日。権律師行禅自害。是依二所領争論事一。被レ付二使庁使一。不レ堪二其鬱一之故也。云々。 「書き下し文」 十三日、権律師行禅自害す、是れ所領争論の事により、使庁…
長寛三年(1165)三月十日条 (高橋昌明・樋口健太郎「資料紹介 国立歴史民俗博物館所蔵『顕広王記』応保 三年・長寛三年・仁安二年巻」『国立歴史民俗博物館研究報告』139、20 08・3、https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main…
保元二年(1157)七月十六・十七日条『兵範記』2 (増補『史料大成』19─207) 七月十六日己卯 今夕被成流人官符、源頼行被流安芸国、可発軍兵之罪云々、 上卿右衛門督経宗令成官符於仗座、被内覧奏聞了、次参議師仲卿、少納言通能等向 結政、於官…
以前、「古代史の研究紹介1」(「自殺の中世史10」)で、鈴木英鷹氏の論文を紹介しましたが、その引用文献のなかに、かなり古い歴史学者の論文がありました。最近、それをやっと読むことができたので、ここで紹介しておきたいと思います。 江馬務「自殺史…
「死の道を知らざる人の事」十二『沙石集』巻第八ノ五 (『新編日本古典文学全集』52、小学館、2001) 天竺に、那蘭陀寺の戒賢論師と云ひしは、付法蔵の三蔵、やんごとなき智者にて、玄奘三蔵の師なり。重病に沈みて、苦痛忍び難かりければ、自害せん…
「薬師・観音の利益によりて命を全くする事」『沙石集』巻第二ノ四 (『新編日本古典文学全集』52、小学館、2001) 尾張国に、右馬允某甲と云ふ俗ありけり。承久の乱の時、京方にて杙瀬河の戦に、手あまた負ひてけり。既に止め刺して打ち棄ててき。武…
「臨終に執心を畏るべき事」『沙石集』巻第四ノ五 (『新編日本古典文学全集』52、小学館、2001) 近比、小原に上人ありけり。無智なりけれども、道心の僧にて、かかる浮世に、長らへてもよしなく思ひければ、三七日、無言して、結願の日、頸をくくり…
「仁和寺西尾の上人、我執に依つて身を焼く事」『発心集』第第八─三 (三木紀人『現代語訳 方丈記 発心集 歎異抄』學燈社、2006) 近き世の事にや、仁和寺の奥に同じさまなる聖、二人ありけり。ひとりを西尾の聖と云ひ、今ひとりをば東尾の聖と名付けた…
「蓮花城、入水の事」『発心集』第三─八 (三木紀人『現代語訳 方丈記 発心集 歎異抄』學燈社、2006) 近きころ、蓮花城といひて、人に知られたる聖ありき。登蓮法師相知りて、ことにふれ、情けをかけつつ、過ぎけるほどに、年ごろありて、この聖の言ひ…
「空入水したる僧の事」『宇治拾遺物語』巻第十一・第九話 (『日本古典文学全集』二八、小学館) これも今は昔、桂川に身投げんずる聖とて、まづ祇陀林寺にして百日懺法行ひければ、近き遠き者ども、道もさりあへず、拝み行きちがふ女房車など隙なし。 見れ…
「入水したる上人の事」『沙石集』巻第四ノ六 (『新編日本古典文学全集』52、小学館、2001) ある山寺に、上人あり。道心深くして、憂世に心をとどめず、急ぎ極楽へ参らんとおもひければ、入水して死なんとおもひ立ちて、同行を語らひて、舟を用意し…
「或る女房、天王寺に参り、海に入る事」『発心集』第3─6 (三木紀人『現代語訳 方丈記 発心集 歎異抄』學燈社、2006) 鳥羽院の御時、ある宮腹に、母と女と同じ宮仕へする女房ありけり。年ごろへて後、此の女、母に先立ちてはかなくなりにけり。歎き…
「或る禅師、補陀落山に詣づる事 付賀東上人の事」『発心集』第3─5 (三木紀人『現代語訳 方丈記発心集 歎異抄』學燈社、2006) 近く、讃岐の三位といふ人いまそかりけり。彼のめのとの男にて、年ごろ往生を願ふ入道ありけり。心に思ひけるやう、「此…
【その5】 ここまで、だらだらと個人的な悩みを書いてきましたが、悩みは独白するだけでもある程度スッキリするものです。当たり前のことかもしれませんが、私は今後、自殺を「行為」とみなし、①自殺の原因・理由動機、②自殺の目的動機、③目的遂行のために…
【その4】 そうすると、「自殺念慮」という欲求は、いったいどこから生まれてきたのでしょうか。なぜ、人間は成長とともに死を望むようになるのでしょうか。こうした問題について1つの答えを与えてくれるのが、坂田登氏の論文(9)です。これは、生やセッ…
【その3】 さて私は、自殺によって実現される事態・価値を自殺の「目的」と表現しましたが、ダグラス(Jack D.Douglas)という社会学者は、同様のものを自殺の「社会的意味」として追究しています。本来はダグラスの原著に目を通すべきなのですが、英語の著…
【その2】 このような自問自答を書き連ねてきて、1つ気づいたことがあります。それは、私が何を目的に自殺の原因を追い求めてきたのか、ということです。とても単純すぎて意識にのぼらなかったのですが、どうやら私は「自殺を止めたい」ようです。「原因」…
【その1】 なんとなく気づいていたのですが、予想通り、「因果連鎖の問題」(1)に陥ってしまいました。「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが、桶屋が儲かったのは、ネズミが桶をかじったからなのか、猫が減ってネズミが増えたからなのか…、盲人が三…
「大治五年(1130)四月十四日付宇佐宮公文所問注日記」『小山田文書』 (『平安遺文』2158号文書、5─1868) (端裏) 「大工末貞勘状、友成任御判可領作之、」 公文所 問注御装束所検校末貞訴申同検校友成申詞記 問友成云、請被殊任道理、裁下…
【史料1】 「仁徳天皇即位前紀」『日本書紀』巻11 (『新編日本古典文学全集』3─27頁、小学館、1996) 太子曰「我知、不可奪兄王之志。豈久生之、煩天下乎。」乃自死焉。 「書き下し文」 太子の曰はく、「我、兄王の志を奪ふべからざることを知れ…
「神功皇后摂政元年二月」『日本書紀』巻9 (『新編日本古典文学全集』2─440頁、小学館、1994) 適是時也、晝暗如夜、已經多日、時人曰、常夜行之也。皇后問紀直祖豐耳曰「是怪何由矣。」時有一老父曰「傳聞、如是怪謂阿豆那比之罪也。」問「何謂也…
【史料1】 「垂仁天皇九十年二月一日」『日本書紀』巻6 (『新編日本古典文学全集』2─335頁、小学館、1994) 九十年春二月庚子朔、天皇命田道間守、遣常世國、令求非時香菓。香菓、此云箇倶能未。今謂橘是也。 九十九年秋七月戊午朔、天皇崩於纏向…
ここまで古代の自殺史料を9点紹介してきました。この他にもまだまだ史料はありますが、それは「自殺の中世史10 古代史の研究紹介」で紹介した、鈴木英鷹氏の論文(注)の事例リストをご覧いただくとして、ひとまず考えたことをまとめてみようと思います。…
長久元年(1040)四月三十日条 (『増補史料大成七 春記』142頁) 卅日、甲寅、雨降、 一日関白被命云、定任殺人、嫌疑人先日捕之、是成章之郎等 也、是男筑紫人也、件男依無指事免除云々、痴事也、但定任、殺府老〈某丸〉已 了、其兄法師又被殺了、…
寛弘二年(1005)八月五日条 (『大日本古記録 小右記』2─127) 肥後守爲愷爲二郎等良材一被二殺害一事、 (橘) 〔郎〕〔小〕 五日、辛巳、肥後守爲愷朝臣去月八日未剋爲二良等少槻良材一被二殺害一、 〔良〕〔材脱ヵ〕 艮自殺云々、希有事也、良材…
自殺の中世史と言いながら、なかなか中世にたどり着かないまま、ここまで古代の史料を紹介してきました。古代の自殺を正面から分析した研究はないのかと思っていたのですが、最近その論文に出会えたので紹介します。こうした研究があると知っていれば、わざ…
永延二年(988)六月十七日条 『日本紀略』(『国史大系』第五巻、『大日本史料』第二編之一) 十七日、壬申、左獄被二禁固一、強盗首保輔依二自害疵一死去了、是右馬權頭藤原 致忠三男也、件致忠、日来候二左衛門弓場一、昨日免、 「書き下し文」 十七日…