周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

ライフワーク part2 ─鎌倉時代─ (Study of suicide in Medieval Japan)

自殺の中世史2─10 〜現世の浄土と自殺 分析編〜 (Suicide and Heaven on Earth part2)

【「自殺の中世史2─9」からのつづき】 嘉元二年(1304)九月十三日、石清水八幡宮山上の社殿で、閉籠していた大山崎神人たちが集団で切腹事件を起こしました。いったい、なぜこのような事件が起きたのでしょうか。まずは、この事件の概要を説明してお…

自殺の中世史2─9 〜現世の浄土と自殺 史料編〜 (Suicide and Heaven on Earth part1)

【史料1】 嘉元二年(1304)九月十三日条 (『実躬卿記』5─240頁) (源師重) 〔堯ヵ〕 十三日、〈壬戌、〉晴、(中略)抑万里小路大納言持参権別当桑清法印状、備叡覧、 此事八幡大山崎神人致嗷訴之余、自去比閉籠社頭、閉三方楼門立籠、追出御殿…

自殺の中世史2─8 〜動機未詳〜

正応五年(1290)四月一日条 (『実躬卿記』4─207頁) (亀山法皇御所) 一日、晴、早旦参禅林寺殿、(中略) 〔大〕 抑今日禁裏中門二番下人於池辺自殺、仍即舁出之云々、所存不審、不知其故、珍 事々々、 「書き下し文」 抑も今日禁裏中門大番の下…

自殺の中世史2─7 〜浄土信仰と自殺の相関性〜

文永十一年(1274)十一月十一日付日蓮書状 (「日蓮聖人遺文」『鎌倉遺文』11748号文書) (前略) 抑日蓮は、日本国をたすけんとふかくおもへとも、日本国の上下万人一同に、国のほろふへきゆへにや、用られさる上、度々あたをなさるれは、力をよ…

自殺の中世史2─6 〜逃避目的の自殺〜

文永二年(1265)五月二十一・二十五・二十九日条 (「文永二年中臣祐賢記」『増補續史料大成 春日社記録』1─431) 廿一日、御神事如例、 (中略) 一今日、巳剋、山僧光玄於南都水門、爲六波羅沙汰被搦取了、自殺云々、但未死去 教玄(堯賢ノ誤ヵ)…

自殺の中世史2─5 〜賢明な自殺と命の価値〜

寛元四年(1246)六月九日条 (『大日本古記録 岡屋関白記』1─109) (藤原頼経) 九日、丙申、晴、此間世間不静、毎夜連日回禄、又関東有事云々、入道大納言廻 (北条) (北条) (北条) 謀察、相触武士等討時頼、〈泰時朝臣末子、兄経」時死去之…

自殺の中世史2─4 〜遺恨からの放火、そして自殺〜

寛元二年(1244)四月日付ヵ奈良坂非人等陳状『春日大社文書』 (『部落史史料選集』第1巻、古代・中世篇、部落問題研究所、1988年、 127〜139頁、『鎌倉遺文』6316号文書) (前略) 一法仏法師令教訓申兄近江法師大田様、豆山土申尓一…

自殺の中世史2─3 〜狂乱と自殺〜

寛喜元年(1229)十二月十七日条『明月記』 (第3─148頁、国書刊行会、および『大日本史料』5─5─400頁) 十七日、辛亥、天晴、(中略)一昨日火事、夫〈左衛門尉、〉殺其妻、我又自害、 放火焼死云々、或曰、是又非本心、狂乱所為云々、妻近江…

自殺の中世史2─2 〜「自害」は必ずしも「自殺」に非ず その2〜

正治元年(1199)十月十三日条 (『猪隈関白記』2─3頁) 十三日、壬申、 (殿以下十一字、モト十二日條ニ記セリ、今符號ノ意ニヨリテ移ス) 晴、殿下令参院・内并長講堂、 (後鳥羽) 頭権大夫親経朝臣相具文書来、香椎宮神人貞正・宗友与石清水権寺主…

自殺の中世史2─1 〜「自害」は必ずしも「自殺」に非ず その1〜

建久九年(1198)三月二十七日付宇佐彌勒寺留守所下文 (「豊後城内家文書」『鎌倉遺文』972号) (端裏書) 「彌勒寺留守所御下文〈遣二筑前一」建久九年也、〉」 (豊後速見郡) 下 日出庄 可下早企二参洛一申中上子細上迫五郎吉守身事 右、件吉守…

自殺の中世史 吾妻鏡のまとめ ─ Analysis result of Azumakagami(The history book of the Kamakura shogunate)─

ここまで、『吾妻鏡』に記された自殺を紹介してきました。鎌倉幕府の歴史書だけあって、武士らしく、戦さに関する自殺記事が多いように思います。そのなかでも注目しなければならなかったのが、「恥」でした。 以前、「自殺の中世史3〜17、33〜36」で…

自殺の中世史 吾妻鏡11 〜恥辱と自殺〜

建長二年(一二五〇)六月二十四日条 『吾妻鏡』第四十(『国史大系』第三三巻) 廿四日戊午、今日居住佐介之者、俄企自害、聞者競集、圍繞此家、觀其死骸、有此人之聟、日來令同宅處、其聟白地下向田舎訖、窺其隙、有通艶言於息女事、息女殊周章、敢不能許…

自殺の中世史 吾妻鏡10 〜放火と臨終正念往生思想〜

宝治元年(一二四七)六月七・八日条 『吾妻鏡』第卅八(『国史大系』第三三巻) 七日戊子、天晴、胤氏、素暹等襲秀胤上総國一宮大柳之舘、于時當國御家人、如雲霞起而成合力、秀胤兼用意之間、積置炭薪等於舘郭外之四面、皆悉放火、其焔太熾、而非人馬之可…

自殺の中世史 吾妻鏡9 〜恥辱と自殺と名誉心〜

承久三年(一二二一)六月十六日条 『吾妻鏡』第廿五(『国史大系』第三二巻) 十六日己巳、相州・武州兩刺史移住六波羅舘、如右京兆爪牙耳目、廻治國之要計、求武家之安全、凡今度合戰之間、雖多殘黨、疑刑可從輕之由、經和談、四面網解三面、是世之所讚也…

自殺の中世史 吾妻鏡8 〜後悔と自殺〜

承久三年(一二二一)六月六日条 『吾妻鏡』第廿五(『国史大系』第三二巻) 六日己未、今曉、武藏太郎時氏、陸奥六郎有時、相具少輔判官代佐房、阿曽沼次郎親綱、小鹿嶋橋左右衛門尉公成、波多野次郎經朝、善左衛門尉太郎康知、安保形部烝實光等渡摩免戸、…

自殺の中世史 吾妻鏡7 〜殉死?〜

【史料1】建保七年(一二一九)二月六日条 『吾妻鏡』第廿四(『国史大系』第三二巻) 六日癸卯、故鶴岳別当闍梨使白河左衛門尉詣大神宮、遂奉幣還向之処、於三河国矢作宿、聞彼滅亡事自殺云々。 「書き下し文」 六日癸卯、故鶴岡別当闍梨の使ひ白河左衛門…

自殺の中世史 吾妻鏡6 〜放火と自殺〜

建仁三年(一二〇三)九月二日条 『吾妻鏡』第十七(『国史大系』第三二巻) 二日丁卯、今朝、廷尉能員以息女〈將軍家妾、若公母儀也、元号若狭局、〉訴申、北條殿、偏可追討由也、凡家督外、於被相分地頭職者、威權分于二、挑爭之條不可疑之、爲子爲弟、雖…

自殺の中世史 吾妻鏡5 〜臨終正念往生思想〜

建久四年(一一九三)七月二日条 『吾妻鏡』第十三(『国史大系』第三二巻) 七月大、二日丙寅、武藏守義信召進養子僧、〈號律師〉、去夜參着、是曾我十郎祐成弟也、日來在越後國久我窮山之間、參上于今延引云々、而今日聞可被梟首之由、於甘縄邊、念佛讀經…

自殺の中世史 吾妻鏡4 〜捕縛は恥か!?〜

文治五年(一一八九)九月七日条 『吾妻鏡』第九(『国史大系』第三二巻) 七日甲子、宇佐美平次實政生虜泰衡郎從由利八郎、相具參上陣岡、而天野右馬允則景生虜之由相論之、二品仰行政、先被注置兩人馬并甲毛等之後、可尋問實否於囚人之旨、被仰于景時、々…

自殺の中世史 吾妻鏡3 〜訴願と自殺〜

文治元年(一一八五)十月十三日条 『吾妻鏡』第五(『国史大系』第三二巻) 十三日壬戌、去十一日并今日、伊豫大夫判官義經潜參 仙洞、奏聞云、前備前守行家向背關東企謀反、其故者、可誅其身之趣、鎌倉二位卿所命、達行家後聞之間、以何過怠可誅無罪叔父哉…

自殺の中世史 吾妻鏡2 〜死刑の予期と自殺〜

元暦二年(一一八五)五月二十七日条 『吾妻鏡』第四(『国史大系』第三二巻) 廿七日己酉、源藏人大夫頼兼申云、去十八日、盗人令推參禁裏、盗取晝御座御劒、藏人并女官等動揺求之、頼兼家人武者所久實、追奔于左衛門陣之外生虜之、奉返置御劒於本所、件犯…

自殺の中世史 吾妻鏡1 〜恥辱と自殺と称賛と〜

寿永元年(1182)二月十四・十五日条 『吾妻鏡』第二(『国史大系』第三二巻) 十四日乙卯、伊東次郎祐親法師者、去々年已後、所被召預三浦介義澄也、而御臺所御懷孕之由風聞之間、義澄得便、頻窺御氣色之處、召御前、直可有恩赦之旨被仰出、義澄傳此趣…