周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

仏通寺文書

仏通寺文書19

一九 天寧寺仏通寺両寺住持并番衆次第写 ○住持記ニヨル 両寺住持并番衆次第 天寧寺 仏通寺 一番 一番 住持契沢庵主 住持明三庵主 番衆聖喜寺派 番衆正覚庵派 二番 二番 住持玄貴庵主 住持養浩和尚 番衆祥雲寺派 番衆大慈寺派 三番 三番 住持景延庵主 住持的…

仏通寺文書18

一八 管領畠山持国奉書 ○東大影写本ニヨル (豊田郡生口島) 安芸国向上寺事、為二御祈願寺一可レ被レ致二精誠一之由所レ被二仰下一也、仍執達 如レ件、 (1444) (畠山持国) 文安元年十二月廿六日 沙弥(花押) 住持 「書き下し文」 安芸国向上寺の事、御…

仏通寺文書17

一七 管領細川持之奉書 ○東大影写本ニヨル 安芸国仏通寺事、為二御祈願所一可レ被レ致二精誠一之由所レ被二仰下一也、仍執達 如レ件、 (1441) (細川持之) 嘉吉元年十二月廿一日 右京太夫(花押) 住持 「書き下し文」 安芸国仏通寺の事、御祈願所として…

仏通寺文書16

一六 真知外三名連署規式写 ○住持記ニヨル (前闕ヵ) 「 右両寺住持先年以二衆評定一定、太半隕没恰如二残星一、以二故此職一毎レ缺レ衆 以為レ患矣、故重設二規式一以題二直弟若干名字一、向後湏レ依二此臘一、次択二 其器用一、以可レ請二住持一者也、 但…

仏通寺文書15

一五 宗綱恵統書状 其後依下無二差事一候上不レ申二案内一候、随而住持被レ退候由承候、驚入候、殊更 造 典座之役御辛労察申候、兼又、観音像一体奉レ造度存候、同候者是の聖僧申て候、 仏師上手にて候、栖雲庵へ御状一通被レ遣候て、御存知事にて候へハ、自…

仏通寺文書14

一四 清唯外三名連署規式写 ○住持記ニヨル 当寺之本銭四十貫文之外、若有二入牌銭重出現一者、宜下加二彼本銭一番々度上レ 之、雖レ然或換二殿堂之上葺一或企二新造之大事一之時、住持番衆相共評議而取二彼 本銭之外加之余分一、以可レ用レ之、然後以二某人…

仏通寺文書13

一三 清唯外三名連署禁制 ○東大影写本ニヨル (端裏書) 「仏通寺規式」 禁制 仏通天寧并諸末寺之住持、不レ可レ請二叢林出頭之輩一、若有二違犯一者、門中同心 永可二罰擯一者也、 (1427) 応永三十四年正月 日 安心(花押) 玄胤 真知(花押) 清唯(花押…

仏通寺文書12

一二 小早川常嘉則平書状 ○東大影写本ニヨル (端裏書) 「含暉院開檀那」 当院開基檀那 松岩寿大師 碧渓重禅門両人事、造営以下被二成功一候之上者、追善事末代如レ今 御計候者、就二可レ然存候一進レ状候、此趣於二寺家一被二定置一候者目出度候、 恐惶敬…

仏通寺文書11

一一 清唯外三名連署規式 ○東大影写本ニヨル (端裏書) 「仏通寺住持式」 安心上座 道文書記 咸一侍者 永存蔵主 周竹侍者 禅慶上座 仏通天寧両寺住持、老僧四員交代、十二年後比六人、次第可レ令二住持一者也、 依二衆評議一、老僧四人加判、 (1423) 応永…

仏通寺文書10

十 清唯外三名連署規式 ○東大影写本ニヨル (端裏書) (丹波) 「仏通寺天寧寺住持定」 安心庵主 道文書記 咸一侍者 (聖) (東谷) □崗庵主 案捴上座 聖日庵主 (笑花) (宝林) 祖間上座 真琢上座 真璨侍者 (千畝) (一笑) 永存蔵主 周竹侍者 禅慶上…

仏通寺文書9

九 清唯外三名連署規式 ○東大影写本ニヨル 一当寺住持、可レ守二三年之規式一事 始二於当年三月一至二来々年二月一、凡三十六月、 一番衆不レ可レ有二懈怠一事 (仏通寺・天寧寺) 若怠慢者不レ可レ許二両寺并門中出入一、 (一山中) □□□僧、不レ許二無レ伴…

仏通寺文書8

八 小早川持平書状 ○東大影写本ニヨル 就二入部之事一態御僧上給候、恐悦之至候、殊預二御礼物一候、祝着仕候千萬候、 炎天之時分暮々御音信畏入候、寺家之事毎事不レ可レ有二疎略一候、巨細ハ御僧 申入候也、恐々謹言、 六月廿一日 持平(花押) 侍者御中 …

仏通寺文書7

七 小早川常嘉則平禁制状 ○東大影写本ニヨル 仏通寺山堺事、上者限二六郎丸下者櫛平一、南北河面限二大峰一、為二御寺山一也、 地下材木炭木等事令二停止一、御寺四方一里内者不レ論二堺内外一殺生事令二 禁断一、為二後日一巨細注申候、恐惶敬白、 応永廿三…

仏通寺文書6

六 宜舗書状 ○東大影写本ニヨル (豊田郡) 先日令二参上一委細申入候畢、抑今度申談候下地之事者、芸州生口島之向上庵者、 因為二仏通寺之末寺一、至二于永代一無二僧衆退転仁一可レ有二御計一候間、仍為二 陪堂闕如之時一、自二檀方一下地七段、以二代三十…

仏通寺文書5

五 後小松天皇綸旨写 ○東大影写本ニヨル (周及) 依レ為二芸州豊田郡仏通寺者愚中之本寺一、相二並南禅第一上刹一、永代可レ著二 紫衣法服一之旨、武家之奏状被二聞食一訖、宜レ奉レ祈二宝祚延長一、者依二 天気一執達如レ件、 (1409) 応永十六年 (海住…

仏通寺文書4

四 愚中周及書状 (足利義持)(則平) 京都を罷出候者軈可二罷下一存候処ニ、上意小早川しわさと被仰候、雖レ然其方へ 不レ下候間無二子細一候、雖二何時候一其方へ罷下候者、可レ為二同辺一間無二其儀一 (真知) 候、背二本意一存候、随而仏通寺の事覚隠…

仏通寺文書3

三 愚中周及規式写 ○住持記ニヨル 滅後定門徒寺坊主事〈大通禅師御自筆」自判有レ之、〉 (清唯) (真知) 留心〈金山第二世諱安久」阿州人俗ハ安宅〉 諾渓 覚隠 (玄胤) 宗孚庵主字希淳 春岩〈諱妙育濃州人」末后為二大衣鉢侍者一〉 覚伝 隣月〈定山和尚…

仏通寺文書2

二 愚中周及禁制 ○板ニ陰刻 禁制 第一 不レ許三一切女人入二寺中一事 第二 不レ許三一切酒入二寺中一事 第三 不レ許二年少沙喝畜一レ之事 已上三件永為二 仏通寺不易之規式一、 (1406) 応永十三年九月廿七日 住持 老比丘 周及(花押) 「書き下し文」 禁制…

仏通寺文書1

解題 沼田高山城主小早川春平は応永四年(1397)、彼が欽仰する禅僧の愚中周及を迎え「佳き山水」の地である現在の土地にこの寺を開創した。この寺は愚中が入唐に際し師事した仏通禅師にちなんで、仏通寺と名付けられた。その後、小早川氏一門の信仰に支…