周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

小田文書3

   三 伊豆房良慶重訴状

 (伊豆)

  ◻︎◻︎房良慶重言上

   欲早重被日限召文、被上久嶋郷刀禰丸、且依本主國重譲

   状、且任御下文旨、被止非分押領、岩氏垣内田九段半但勘料田   

    ◻︎以下田畠等子細事、

 

 副進

  一通 御下知案先進了、

  一通 岩氏垣内屋敷等差圖案同、

  二通 本主國重譲状案先進了、

                              (1304)

 右言上子細具先度畢、爰件田畠等、於彼刀禰丸等、自去嘉元二年

                 (右)

 押領非分之間、對先給主代五郎◻︎近尉、雖度々訴申、以刀禰丸

 与縁者、終以不取沙汰之刻、適悦御代去五月廿八日雖訴申上

 及請文、参決不音之上者、無理之至顕然也、所詮以難渋之篇、被

 沙汰、不然者重被日限召文、被上刀禰丸、被両方理非

 爲御成敗重言上如件、

     (1317)

     文保元年七月 日

 

 「書き下し文」

 伊豆房良慶重ねて言上す、

  早く重ねて日限の召文を下され、久嶋郷刀禰丸を召し上げられ、且つうは

  本主國重譲状に依り、且つうは御下文の旨に任せ、非分の押領を停止せら

  れんと欲する、岩氏垣内田九段半、但し勘料田(也)、以下田畠等子細の事、

 

 副え進らす

  一通 御下知案 先に進らせ了んぬ、

  一通 岩氏垣内屋敷等差図案 同、

  二通 本主國重譲状案 先に進らせ了んぬ、

 

 右子細具に先度言上し畢んぬ、爰に件の田畠等、彼の刀禰丸等に於いて、去んぬる嘉元二年より非分の押領せしむる間、先の給主代五郎右近尉に對して、度々訴え申すと雖も、刀禰丸と縁者たるを以て、終に以て取沙汰に及ばざるの刻、適悦の御代去んぬる五月廿八日訴え申し上げしむと雖も請文に及ばず、参決不音(無音)の上は、無理の至り顕然なり。所詮難渋の篇を以て、御沙汰に逢はる。然らずんば重ねて日限の召文を下され、刀禰丸を召し上げられ、両方の理非を究められ、御成敗を蒙らんが爲、重ねて言上件のごとし、

 

 「解釈」

 伊豆房良慶が繰り返し言上します。

 早く繰り返し期限を定めた出廷命令書を下され、久嶋郷の刀禰丸(重安)を法廷に呼び寄せ、一方では本種國重の譲状に依拠し、一方では六波羅下知状の内容に従って、理由もない押領をお止めになってほしいと思う、岩氏垣内田九段半(但し勘料田である)以下田畠などの詳しい事情のこと。

 

 訴状に副えて進上する

  一通 六波羅下知状案 先度進上しました。

  一通 岩氏垣内屋敷等差図案 同。

  一通 本主國重譲状案 先度進上しました。

 

 右の田畠の詳しい事情は、先だって詳しく言上しました。ここにあの田畠等は、あの刀禰丸ら(重安)によって、去る嘉元二年(一三〇四)から理由もなく押領されたので、先の給主代五郎右近尉に対して、度々訴え申したが、刀禰丸と縁者(相聟)であることを理由に、とうとう訴訟を取り上げてもらえなかった。喜ばしい御代にあたり、去る五月二十八日に訴え申し上げたが、敗訴によって所領を没収されることを誓約した請文を提出するまでもなかった。出廷命令に対して刀禰丸らが無視していることから、道理のないことは明らかだ。結局のところ、刀禰丸らは出廷対決を拒否しているのだから、審理を進めてほしい? もし審理を進めないなら、刀禰丸をお呼び寄せになり、双方の理非を見極められ、御裁許をいただきたいため、再度言上することは以上のとおりです。

 

 「注釈」

「刀禰丸」─2号文書から、訴訟相手の重安と考えられる。

「御下文」─副進文書から、六波羅下知状のことを指すと考えられる。

「勘料田」─勘料を支払って免田にしてもらった田。

「縁者」─2号文書から、相聟(妻同士が姉妹)関係。

 

*この文書は、2号文書に続いて出された二問状・重訴状と考えられる。

*「適悦御代」の書き下し、解釈はよくわかりません。