一二 重正名内右馬二郎知行田畠注文
(進退) (散畠) (事)(久清)
右重正之内、右馬二郎心代は、さんはく等の◻︎、ひさきよ名のおかきり、とう
(分) (河お分)
めん与こあせお◻︎、[ ]しやう原おといてお分、三なお分、おちあい
(かわお河上) (法師) (喰料分)
[ ]、よしすゑかわふん、かんたにハうしのくひりおふん[ ]に中の
(おう分)
うちつめおぶん、御かのひらこたにの[ ]、大町のいての上はしりおう分、
(さと) (尾) (ゑ木)
おとし[ ]の中◻︎おとしのたに口分、同吉末まつとう上の[ ]うるしか
(の中)
迫のたにかしらゑ木大ひら[ ]、たニ森中ミそお分、下はこゑ木くたりさこ
(の)
田の中そねお両ひらおくたり道お水おち分、ふけ◻︎せたな田おこ畠お分、河お分、
(ゑヵ) (成敗) 下
上ハミそお分、◻︎◻︎一かやしきお分、重正名之内とせいはい如レ件、
(1371)
應安肆年かのとのヰ年 十月十五日 小右馬尉(略押)
「書き下し文」(校訂注・説明注・推測を反映させたもの)
右重正の内、右馬二郎進退は、散畠等の事、久清名のお限り、とうめん与こ畔お分、河お分しやう原おといてお分、三なお分、おちあいかわお河上、吉末河分、かんたに法師喰料分[ ]に中のうちつめお分、御かのひらこたにのおう分、大町の井手の上はしりおう分、おとしさとの中尾おとしのたに口分、同吉末まつとう上のゑ木うるしか迫の谷頭ゑ木大ひらの中、谷森中溝お分、下はこゑ木下り迫田の中曽根お両ひらお下り道お水落分、ふけのせたな田おこ畠お分、河お分、上ハ溝お分、ゑ◻︎一か屋敷お分、重正名の内と成敗下す件のごとし、
「解釈」
訳すことができません。
「注釈」
*同日付「平右馬尉名田譲状」(四三号文書)の関連文書。平右馬尉が右馬二郎に譲与
した名田等の注文。詳しくは、池享「中世後期における「百姓的」剰余取得権の成立
と展開 」(『大名領国制の研究』
(校倉書房、一九九五、https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/18661)参
照。