周梨槃特のブログ

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アポなしは認めません!

  永享元年(一四二九)八月四日条 (『建内記』2─91頁)

 大原野神主成房今日参賀之処、大館上総入道称不見知追返了、先可申次事也、希代之

 所行也、不便々々、

 

 「書き下し文」

 大原野神主成房今日参賀の処、大館上総入道見知らずと称して追い返し了んぬ、先ず

 申し次ぐべき事なり、希代の所行なり、不便々々、

 

 「解釈」

 大原野神社神主成房が、今日将軍に参賀したところ、大館上総入道満信は会ったこともないと主張して追い返してしまった。まずは取り次ぎをせよ、ということであった。世にも珍しい(ひどい)行いである。気の毒なことだ。

 

 「注釈」

大原野神社

 ─京都市西京区大原野南春日町。皇城鎮守二十二社の第八位。奈良春日大社の分霊で、藤原氏氏神

 

「大館上総入道」─大館満信。この時期、足利義教の申次として活動。

 

*「祝賀の挨拶に来るなら、しかるべき取り次ぎの人物を立てて、あらかじめ連絡してこい。」この時期、大館満信は将軍の単なる取次役ではなく、自らの意見や判断を差し挟むことができるほど、力を持っていたようです。皇城鎮守二十二社の第八位の神主であっても、この扱いなのですね。本当に会ったことがなかったのかもしれませんが、それ以上に、アポを取っていなかったことが問題だったのでしょう。設楽薫「足利義教の嗣立と大舘氏の動向」(『法政史学』三一、一九七九、http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/11007/1/shigaku_31_shidara.pdf)参照。