周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

小田文書40

   四〇 親房田地去渡状

 

 久嶋郷久清名内三町田事

  合壹所者 但二郎大夫作内   

 右田ハ、二郎大夫五郎大夫わ⬜︎きをもて、三まち田を五郎大夫がたへさりわたすもの

    (りあ)                 (を)

 也、かき⬜︎⬜︎る御年貢ニおいてハ、そのさた⬜︎いたすへき也、仍爲後日之状

 如件、

     (1357)

     延文二年四月二日

                          親房(花押)

               五郎大夫しやくしん

 

 「書き下し文」

 久嶋郷久清名内三町田の事

  合わせて壹所てへり 但し二郎大夫作内

 右の田は、二郎大夫・五郎大夫のわ⬜︎きをもて、三まち田を五郎大夫がたへ去り渡す

 ものなり、限りある御年貢においては、その沙汰を致すべきなり、仍て後日の爲の

 状件のごとし、

 

 「解釈」

 久嶋郷久清名内の三町田のこと。

  都合一所。但し二郎大夫が耕作している田地のうち。

 右の田は、二郎大夫と五郎大夫の和与の儀によって、三町田を五郎大夫方へ譲与するものである。大事な御年貢においては、五郎大夫がその納入をしなければならないのである。よって将来のため、充文の内容は以上のとおりである。

 

 「注釈」

「二郎大夫作内」─未詳。「作内」は耕作している田地のうちの一部、あるいは作職を

         保持している田地のうちの一部、という意味でしょうか。

「五郎大夫しゃくしん」─本文書の充所。37・45・46号文書に現れます。また1

            1号文書では、重正名の相論の証人として「五郎大夫」とい

            う人物が現れていますが、同一人物だと思われます。

「わ⬜︎きをもて」─「和与の儀を以て」と読むのではないでしょうか。

「親房」─地頭か。11号文書の差出として親房が現れます。原本で花押を見ていない

     のではっきりとしたことは言えませんが、おそらく同一人物でよいのでしょ

     うないでしょうか。

 

*「二郎大夫」が耕作している久清名内の三町田について、「五郎大夫しゃくしん」と

 相論になり、両者の和与によって五郎大夫に譲与した。これを地頭の「親房」が安堵

 した文書と読めそうです。したがって、この文書は「親房田地去渡状」ではなく、

 「親房田地充文」か「親房田地安堵状」と名付けたほうが良いかもしれません。