周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

小田文書51

   五一 たうせい名田譲状

 

 ゆつりあたゑ申名田の事

  合壹所 (割書)但つほもとハ長原もりとし」名田かたふんこと」

                        (ゆつりヵ)

 右件名田者、永代かきりかわもとのひやうゑ四郎ニ⬜︎⬜︎⬜︎渡すところ実也、もしこの

         (子孫)(出来)   (違乱煩)(らいヵ)       (不孝)

 名田にいつれよりしそんいてきたり、いらんわつ⬜︎⬜︎申物候ハ丶、ふきやうの人とあ

         (年貢)(公事)(万雑)     (懈怠)  (勤仕)

 るへく候、尚々御ねんく御くうしまんさうともに、けたいなくきんしせしむへきもの

          (の)

 なり、仍爲後日さた⬜︎さり状如件、

     (1407)

     應永十四亥丁十一月十八日

   ともたの                 たうせい(花押)

 

 「書き下し文」(可能な限り漢字仮名交じりにしました)

 譲り与え申す名田の事、

  合わせて壹所 (割書)「但し坪元は長原もりとし名田方分の事」

 右件の名田は、永代を限りかわもとの兵衛四郎に譲り渡すところ実なり、もしこの名田にいずれより子孫出で来たり、違乱煩い申すもの候はば、不孝の人とあるべく候ふ、尚々御年貢・御公事・万雑ともに、懈怠無く勤仕せしむべきものなり、仍て後日の沙汰の爲去状件のごとし、

 

     応永十四丁亥十一月十八日  友田のたうせい(花押)

 

 「解釈」

 譲り与え申し上げる名田のこと。

  都合一所。ただし、この田地は、もとは長原のもりとし名内の田地である。

 右の名田は、永久にかわもとの兵衛四郎に譲り渡すことは事実である。もしこの名田にどこからか子孫が現れ、違乱や妨害をし申し上げるものがおりましたら、不孝者に違いありません。さらに、御年貢・御公事・その他の諸役ともに、怠けることなく、あなた(兵衛四郎)がお勤めにならなければならないものである。よって、将来の訴訟のために、去状の内容は以上のとおりである。

 

 「注釈」

「長原もりとし」─未詳。長原は、現在の廿日市市永原。37号文書にも「もりとし

         名」とある。

「かわもとの兵衛四郎」─未詳。

「ともたのたうせい」─友田は、現在の廿日市市友田。人物については未詳。