周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

小田文書53

   五三 ひやうゑ四郎出挙籾借用状

 

 (端裏書)

 「ゆつり状そゑ状にて候 上長原の 五郎ゑ門殿

  三斗永享九年巳丁卯月廿三日        」

      (割) (出挙)

 申うくる六わりの御すこの事

  合三斗者

           (未進)        (無沙汰)   (友)

 右件の籾ハ、来秋之時みしんなく弁可申、もしふさた候ハ丶、とも田のとうせいの

 (譲)   (質) 

 ゆつり状おしちニおき申候うゑハ、ふさたあるましく候、尚々ふさた候ハ丶、かき内

                  (耕作)              (権門高家

 田一反此ふ物ニあたり候ハんほと、御こうさくあるへく候、いかなるけんもんかうけ

  (社)    (領) (市津路次)        (郷質)  (召)

 神しや仏寺の御れう内いちつろしをきらハす、見合かうしちおめさるへく候、

  (新儀)(徳政)

 又しんき御とくせい候とも、其時一口のき申ましく候、仍爲後日さたのせうもん

 の状如件、

     (1437)

     永享九年ひのとのみ   卯月廿三日

   なかはらの                ひやうゑ四郎(花押)

 

 「書き下し文」(可能な限り漢字仮名交じりにしました)

 「譲状副状にて候ふ 上長原の五郎衛門殿」

  三斗 永享九年丁巳卯月廿三日    」

 申し請くる六割の御出挙の事、

  合わせて三斗てへり

 右件の籾は、来秋の時未進無く弁じ申すべし、もし無沙汰候はば、友田のとうせいの譲状を質に置き申し候ふ上は、無沙汰あるまじく候ふ、尚々無沙汰候はば、垣内田一反此の負物に当たり候はんほど、御耕作あるべく候ふ、いかなる権門高家神社仏寺の御領内市津路次を嫌はず、見合いに郷質を召さるべく候ふ、又新儀御徳政候ふとも、其の時一口の儀申すまじく候ふ、仍て後日の沙汰の爲証文の状件のごとし、

 

 「解釈」

 「譲状を副状として渡します。上長原の五郎衛門殿。三斗。永享九年丁巳卯月廿三日。」

 

 請け取り申す六割の利子の御出挙籾のこと。

  都合三斗。

 右の籾は、来秋の時に未進なく返済し申し上げるつもりです。もし返済しないことがありましたなら、友田のとうせいの譲状を文書質に入れ置き申し上げますうえは、返済しないことはあるはずもありません。さらに、返済しないようでしたら、垣内田一反のうちで、この担保に相当しますような分を御耕作になるのがよいです。どのような権門高家・神社仏寺の御領内の市・津・路次を選ばず、見つけ次第郷質を取り上げなさるべきです。また新儀の徳政令が施行されたとしましても、その時に一言の異議を申し上げるつもりはありません。そこで、将来の訴訟のため、証文の内容は以上のとおりです。

 

 「注釈」

「上長原」─現在の廿日市市永原のことか。

「五郎衛門殿」─未詳。三斗の籾の貸主。

「友田のとうせいの譲状」─51号文書のこと。現在の廿日市市友田。とうせい(たう

             せい)は未詳。とうせいから兵衛四郎への譲状を、五郎衛

             門に文書質(担保)として預けたものと解釈できます。

「郷質」─中世、債権者による私的差し押さえの一種。A郷の甲がB郷の乙から米銭を

     借りながら返済しないとき、乙はA郷の甲以外の者の動産を差し押さえるこ

     とができるというもの(『古文書古記録後辞典』)。

「ひやうゑ四郎」─兵衛四郎。未詳。「かわもと」という地名とともに現れる。