五五 三郎次郎詫状
(鋳) (周防玖珂郡)(面) (難)
賀茂之鐘の事、い申候へハ、楊井金屋の⬜︎々彼鐘につき候て、無つかしくおほせられ
(鋳物師)
候間、いもしの面々にわひ事を申候て、彼鐘壹本ならてハい申ましく候、向後周防国
にてハ、金屋面々御意ならてハい申ましく候、仍わひ状如レ件、
ひかしかり屋
廿日市 三郎次郎(花押)
(1454)
享徳三年きのへいぬのとし貳月十九日
楊井金屋面々御中へ
「書き下し文」(可能な限り漢字仮名交じりにしました)
賀茂の鐘の事、鋳申し候へは、楊井金屋の面々彼の鐘につき候ひて、むつかしく仰せられ候ふ間、鋳物師の面々に詫び事を申し候ひて、彼の鐘壹本ならでは鋳申すまじく候ふ、向後周防国にては、金屋面々御意ならでは鋳申すまじく候ふ、仍て詫び状件のごとし、
「解釈」
賀茂神社の梵鐘のこと。私がそれを鋳造し申し上げましたので、楊井金屋の皆様が、この鐘については不快であると仰られました。だから、鋳物師の皆様にお詫びし、この鐘一本を除いて他に鋳造し申し上げるつもりはありません。今後周防国では、金屋の面々のお指図なくして、鋳造し申し上げるつもりはありません。よって、謝罪文の内容は、以上のとおりです。
「注釈」
「楊井金屋面々中」─現在の山口県柳井市柳井津金屋。金属加工の職人集団がいたので
しょう。
「ひかしかり屋三郎次郎」─廿日市の鋳物師。「かり屋」は廿日市を拠点に活動してい
た山田家の屋号と考えられています。後掲、藤下論文参
照。
*藤下憲明「安芸国廿日市鋳物師の一考察」(『芸備地方史研究』二二五、二〇〇一・
四、http://www2u.biglobe.ne.jp/~n-fuji/imogi.pdf)によると、廿日市の鋳物師「三郎
次郎」が柳井の賀茂神社の梵鐘を鋳造したことで、柳井の金屋衆から周防国の独占権
を侵害したと非難され、それを詫びたのがこの文書だと解釈されています。