周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

小田文書58

   五八 久島郷刀禰楢原信實散使給充文案

 

 (端裏書)

 「さんし事       三郎四郎」

      (散使給)

 久嶋之郷之さんしきう之内

  合其御所つほ本ハ(以下割書)きしの下八百目」ふろ上二百目」 

 (彼)                               (分遣)

 右披在御所にて其貫目之處、刀禰名主いけん付、三郎大夫にわけつかわせ候上ハ、

 かさねてよき子細あるましく候、爲憑一筆如件、   信實(花押)

     (1552)

     天文廿一年二月廿五日

     さんしきう之両方へかきわけ

                三郎四郎

               案文

 

 「書き下し文」(可能な限り漢字仮名交じりにしました)

 (端裏書)

 「散使の事       三郎四郎」

 久嶋の郷の散使給の内

  合わせて其の御所坪本は岸の下八百目風呂上二百目

 右彼の在御所にて其の貫目の處、刀禰・名主意見に付き、三郎大夫に分け遣わせ候ふ

 上は、重ねてよき子細あるまじく候ふ、憑みの爲一筆件のごとし、

     天文二十一年二月二十五日            信實(花押)

     散使給の両方へ書き分け

              三郎四郎

             案文

 

 「解釈」

 久嶋郷の散使給田のうち。

  都合 給田の在所は岸の下の八百文分、風呂の上の二百文分の土地。

 右の在所でその年貢高の場所は、刀禰と名主の考えにより、三郎大夫に分け与えますうえは、これ以上のすぐれた異論はあるはずもありません。お願いするため一筆認めました。

 

 「注釈」

「散使給」

 ─散使は、荘園や戦国期の村落の置かれた村役人で、番頭・名主の下にあって、通達や会計事務に従事した(『古文書古記録語辞典』)。その職務給田のことと考えられます。

 

「三郎四郎」─未詳。散使の一人。

 

「三郎大夫」─未詳。散使の一人。

 

「刀禰」

─刀禰は名主とともに百姓らを代表して、政所に要求を出したり、庄務を補助する立場にあった(池享「中世後期における「百姓的」剰余取得権の成立と展開 」『大名領国制の研究』校倉書房、一九九五)、https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/18661)。

 

「信實」

 ─楢原六郎左衛門尉信實。20・61号文書に現れます。荘園制支配機構の末端、現地支配担当者である政所(前掲池論文)。

 

*前掲池論文によれば、この文書は楢原信實が刀禰・名主の意見によって、三郎四郎と三郎大夫に散使給を分給することを、三郎四郎に伝えた文書だと解釈されています。したがって、信實自体は「刀禰」ではなく、分給を決定できる政所という立場にあったと結論づけています。よって、この文書名は「久島郷政所楢原信實散使給充文案」に変えたほうがよいのでしょう。