二 厳島社神主教文(教親)寄進状
奉二寄進一下地之事
(安芸佐西郡)
右彼下地者、千同之内印蔵四百田五段反銭共、爲二圓満寺本尊阿弥陀佛餉免一奉二寄
(マ丶)
進一候、祈二今度之當病平喩一者也、仍支證如レ件、
(1504)
永正元年子甲十二月十五日 下野入道教文(花押)
洞雲寺 監寺禅師
「書き下し文」
寄進し奉る下地の事
右彼の下地は、千同の内印蔵四百田五段・反銭共、圓満寺本尊阿弥陀佛餉免として寄進し奉り候ふ、今度の当病平癒を祈る者なり、仍て支證件のごとし、
「解釈」
寄進し申し上げる下地のこと。
右の下地は、千同の内印蔵四百田五段と段銭収取権を、圓満寺本尊阿弥陀如来の佛餉免田として、寄進し申し上げます。今度の病気平癒を祈るものである。よって、寄進状の内容は以上のとおりです。
「注釈」
「千同」─五日市町千同・観音台。「仙塔」「千答」「船頭」「川頭」と記載されるこ
ともる。もとは国衙領だったが、鎌倉時代には厳島社領化が進んでいたと考
えられる(『広島県の地名』)。
「印蔵四百田」─千同の小字か。
「段銭」─田地一段別に賦課される公事銭。もと臨時課税であったが、しだいに恒常的
なものに転化した。米で徴収するものは段米(『古文書古記録語辞典』)。
「圓満寺」─廿日市町佐方(サガタ)・五日市町佐方(サカタ)地域にあった中世の廃
寺。現在も小字名として残る(『広島県の地名』)。
「佛餉免」─仏に供える米飯を出す免田。
「監寺」─禅宗で、一寺を統率する役僧のこと。都寺に次ぐ重役。
*この寄進状は、厳島神主藤原教文(教親)が、圓満寺の本尊阿弥陀如来に供える米飯
を拠出する田地五段と段銭収取権を、洞雲寺に寄進した文書です。ということは、こ
の時点で圓満寺は廃寺になっていて、本尊が洞雲寺に移されていた可能性がありま
す。あるいは、圓満寺の管轄権が洞雲寺に移されていたのかもしれませんが、はっき
りわかりません。