御寺領唐臼名事、小幡民部少輔押置之次第不レ可レ然之旨被二仰付一、應二 御下
知一候、還補之請状封レ裏進レ之候、仍惣御寺領目録裏封同前候、公役寺役等事無二
懈怠一候者、肝要之由候、恐々謹言、
(異筆)「永正十七庚辰」 神代但馬守
十月六日 武総(花押)
弘中中務丞
興兼(花押)
洞雲寺 衣鉢閣下
「書き下し文」
御寺領唐臼名の事、小幡民部少輔押し置くの次第然るべからざるの旨仰せ付けらる、御下知に應じ候ふ、還補の請状は裏を封じ之を進らせ候ふ、仍て惣じて御寺領目録裏を封ずること同前に候ふ、公役寺役等の事懈怠無く候ふは、肝要の由候ふ、恐々謹言、
(1520)
(異筆)「永正十七年庚辰」 (以下略)
「解釈」
圓満寺領唐臼名のこと。小幡民部少輔が無理に占有した事情は不適切である、と大内義興様は御裁許になった。そのご命令に従います。唐臼名を洞雲寺に還補することを訴えた訴状は、奉行人の裏判を加えて洞雲寺へ差し上げます。洞雲寺勝訴の裁許によって、すべての寺領目録に勝訴の証明として裏判を加えることは、訴状に同じです。雑税や寺役などのことは、怠ることなく勤めることが大切です。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「御寺領」─3号文書より、圓満寺領と考えられます。
「唐臼名」─未詳。圓満寺の近辺にあった名田のことか。
「小幡民部少輔興行」─安芸の国人。大内方の武将。本拠地は、佐伯区五日市町大字石
内にある有井城(「有井城跡発掘調査報告」
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/11483)。
「還補之請状封裏」─この部分の解釈については、3号文書の注釈を参照。
「公役」─国家的な色彩の濃い年中行事の費用として徴収された雑税。造内裏役・神宮
役夫工、また酒屋役、土倉役、味噌役も公役と言われた(『古文書古記録語
辞典』)。
「洞雲寺衣鉢閣下」─未詳。この文書は所領相論の結果を伝えた書状なので、充所の
「衣鉢閣下」は訴訟の担当者であったと考えられます。6号文書
の注釈参照。