周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

洞雲寺文書4

   四 大内氏奉行人連署書状

 

 御寺領唐臼名事、小幡民部少輔押置之次第不然之旨被仰付、應 御下

 知候、還補之請状封裏進之候、仍惣御寺領目録裏封同前候、公役寺役等事無

 懈怠候者、肝要之由候、恐々謹言、

(異筆)「永正十七庚辰」          神代但馬守

      十月六日               武総(花押)

                      弘中中務丞

                         興兼(花押)

     洞雲寺 衣鉢閣下

 

 「書き下し文」

 御寺領唐臼名の事、小幡民部少輔押し置くの次第然るべからざるの旨仰せ付けらる、御下知に應じ候ふ、還補の請状は裏を封じ之を進らせ候ふ、仍て惣じて御寺領目録裏を封ずること同前に候ふ、公役寺役等の事懈怠無く候ふは、肝要の由候ふ、恐々謹言、

    (1520)

(異筆)永正十七年庚辰」 (以下略)

 

 「解釈」

 圓満寺領唐臼名のこと。小幡民部少輔が無理に占有した事情は不適切である、と大内義興様は御裁許になった。そのご命令に従います。唐臼名を洞雲寺に還補することを訴えた訴状は、奉行人の裏判を加えて洞雲寺へ差し上げます。洞雲寺勝訴の裁許によって、すべての寺領目録に勝訴の証明として裏判を加えることは、訴状に同じです。雑税や寺役などのことは、怠ることなく勤めることが大切です。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

「御寺領」─3号文書より、圓満寺領と考えられます。

「唐臼名」─未詳。圓満寺の近辺にあった名田のことか。

「小幡民部少輔興行」─安芸の国人。大内方の武将。本拠地は、佐伯区五日市町大字石

           内にある有井城(「有井城跡発掘調査報告」

           http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/11483)。

「還補之請状封裏」─この部分の解釈については、3号文書の注釈を参照。

「公役」─国家的な色彩の濃い年中行事の費用として徴収された雑税。造内裏役・神宮

     役夫工、また酒屋役、土倉役、味噌役も公役と言われた(『古文書古記録語

     辞典』)。

「洞雲寺衣鉢閣下」─未詳。この文書は所領相論の結果を伝えた書状なので、充所の

          「衣鉢閣下」は訴訟の担当者であったと考えられます。6号文書

          の注釈参照。