周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

洞雲寺文書26

   二六 陶晴賢安堵状

 

 安芸國佐西郡佐方村洞雲寺領元圓満寺薬師領事、任去永正十八年三月十一日天文

         大内義興) (大内義隆

 拾年四月廿六日 凌雲寺殿 龍福寺殿御裁許旨、閣諸點役御寺務不

 相違之状如件、

    (1552)

    天文廿一年六月十八日           尾張守(花押)

   大休登懌和尚

 

 「書き下し文」

 安芸國佐西郡佐方村洞雲寺領元圓満寺薬師領の事、去んぬる永正十八年三月十一日・

 天文拾年四月廿六日 凌雲寺殿・龍福寺殿の御裁許の旨に任せ、諸點役を閣き、御寺

 務相違有るべからざるの状件のごとし、

 

 「解釈」

 安芸国佐西郡佐方村の洞雲寺領、もと圓満寺・薬師領のこと。去る永正十八年三月十一日と天文十年四月二十六日の、凌雲寺殿(大内義興)と龍福寺殿(大内義隆)の御裁許の内容のとおりに、様々な天役を免除し、寺務の執行は今までと異なるはずもありません。安堵状は以上のとおりです。

 

 「注釈」

「佐方村」─廿日市町佐方(サガタ)・五日市町佐方(サカタ)。

「圓満寺」─廿日市町佐方(サガタ)・五日市町佐方(サカタ)地域にあった中世の廃

      寺。現在も小字名として残る(『広島県の地名』)。

薬師寺」─円満寺と同様に、佐方にあった中世の廃寺か。

「永正十八年三月十一日」─5号文書、大内義興安堵状。

「天文拾年四月廿六日」─未詳。おそらく19号文書の後か同日に、大内義隆の安堵状

            が発給されたものと考えられます。19号文書の注釈参照。

「點役」─点役・天役と同じ。中世、臨時に課された役。①朝廷が賦課した臨時課税、

     造内裏役や大嘗会役などの一国平均役。②領主から賦課される兵糧米など

     (『古文書古記録語辞典』)。

「大休登懌和尚」─洞雲寺住持六世。