三六 穂田元清書状
(端裏書)
「 四郎
洞雲寺 衣鉢閣下 元清」
藝州佐西郡佐方村洞雲寺領之事、先住宗用御与奪之上者、任二 洞春寺殿常栄寺殿
殊輝元御判形之旨一、無二相違一有二御知行一、御寺家御建立并勤行等、無二怠慢一
可レ被二相懃一事肝要候、委曲輝元御一通可レ被二進レ之置一之条不レ能レ申候、於二
我等一自今以後別而可レ得二尊意一候、恐惶謹言、
二月廿九日 元清(花押)
(梅庵)
洞雲寺當住賢逹書記
侍者禅師
「書き下し文」
芸州佐西郡佐方村洞雲寺領の事、先住宗用御与奪の上は、洞春寺殿・常栄寺殿殊に輝
元御判形の旨に任せ、相違無く御知行有り、御寺家御建立并に勤行等、怠慢無く相懃
めらるべき事肝要に候ふ、委曲輝元御一通之を進らせ置かるべきの状申すに能はず候
ふ、我等に於いて自今以後別して尊意を得べく候ふ、恐惶謹言、
「解釈」
安芸国佐西郡佐方村の洞雲寺領のこと。先代の住職全室宗用があなた様に譲り与えなさったうえは、洞春寺殿毛利元就・常栄寺殿毛利隆元、特に毛利輝元の安堵状の内容のとおりに、これまでと相違なくご支配になるべきである。御寺家の御建立や勤行などを、怠けることなくお勤めになるべきことが大切です。細かいことは輝元様の証文一通を差し上げるはずですので、私が申すまでもありません。我らは、今後とりわけあなた様のお考えを伺いたいです。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「先住宗用」─洞雲寺住持、九世全室宗用。
「輝元様御一通」─未詳。
「衣鉢閣下」─未詳。端裏書がいつ書かれたものかわかりませんが、同時期のものであ
れば、衣鉢閣下と住持は同一人物の可能性があります。
「当住賢逹書記」─洞雲寺住持、十世梅菴賢達。