三八 毛利輝元書状
先度者洞春寺御越之由候、對二我等一快然之至候、向後常令二来臨一給候者、尤可レ
爲二本望一候、恐々謹言、
三月十日 輝元(花押)
洞雲寺床下
「書き下し文」
先度は洞春寺に御越しの由候ふ、我等に對して快然の至りに候ふ、向後常に来臨せし
め給ひ候はば、尤も本望たるべく候ふ、恐々謹言、
「解釈」
先日は洞春寺へお越しになりました。我らの要求に応じてくれ、このうえなく満足しています。今後いつもお出でになりますならば、我々としても当然望みが叶い満足するはずです。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「洞春寺」─現在の吉田町吉田。郡山の西麓、城の搦手にあたる所にある。元亀二年
(一五七一)に没した毛利元就の三回忌にあたる天正元年(一五七三)に
菩提寺として孫の輝元が創建した臨済宗の寺院で、本尊は十一面観音、脇
立の勝軍不動明王・勝敵毘沙門天は元就の護持仏と伝える(『広島県の地
名』)。