一九 武田信繁安堵状寫
安藝国安北郡可部庄内福王寺領(割書)「後山綾谷」名之事、於二而諸役等一者不レ
可レ有二違乱煩一候、若致下背二此旨一輩上者、不レ可レ爲二子孫一者也、仍爲二後證一
状如レ件、
(1436)
永享八年十月十五日 前伊豆守信繁
判
福王寺
○以上、一九通ヲ一巻ニ収ム
「書き下し文」
安芸国安北郡可部庄内福王寺領(割書)「後山・綾谷」名の事、諸役等に於いては違乱・煩ひ有るべからず候ふ、若し此の旨に背く輩に至りては、子孫たるべからざる者なり、仍て後証の為状件のごとし、
「解釈」
安芸国安北郡可部庄内福王寺領後山・綾谷名のこと。諸役等においては違乱・妨害があってはならない。もしこの内容に背く連中に至っては、子孫であるはずないものである。よって後の証拠のため、安堵状の内容は、以上のとおりである。
「注釈」
「致」─「至」か。
「後山」─未詳。可部庄内の名か。
「綾谷」─安佐北区可部町綾ヶ谷。勝木村の北東に位置する広域の村で、北に堂床山、
南に福王寺山がそびえる。西は堂床山南麓に水源を発する大畑谷川が南流し
て勝木村に入り、東は小南原川が南流して南原・九品寺両村の境で南原側に
注ぐ。綾ヶ党という地名や綾織屋敷と伝えるところがあり、往古綾を織って