二〇 武田光誠氏信宛行状寫
(安北郡)
侍従阿闍梨良海申安藝国可部庄内福王寺別當職事、右就二良海由緒一令レ申之間所二
宛行一也、任二先例一可レ致二沙汰一之状如レ件、
(1375)
永和元年八月 日 判
侍従阿闍梨御房
「書き下し文」
侍従阿闍梨良海申す安芸国可部庄内福王寺別当職の事、右良海の由緒に就き申さしむ
るの間充て行ふ所なり、先例に任せ沙汰致すべきの状件のごとし、
「解釈」
侍従阿闍梨良海が申す安芸国可部庄内福王寺別当職のこと。右、良海が別当職を知行する根拠を申し上げたので、給与するところである。先例のとおりに領知すべきである。内容は以上のとおりである。
「注釈」
「可部庄」─太田川の流域にあり、現在の広島市安佐北区可部町の西半分の地域を占め
る。大治二年(一一二七)鳥羽院が可部庄百八石を高野山に寄進したこと
により高野山領(西塔領)となった。明徳三年(一三九二)の高野山の寺
領注文には「不知行」とあり、事実上の収納は行われなくなっている
(『日本荘園史大辞典』)。
「良海」─福王寺住持。