二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その4
*本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。
昔ハ麓及ヒ寺ノ左右–前–後寺有リ二凡テ四–十八–宇一、然レトモ境屬二邊僻一近智ハ
不レ來、所三以及フ二頽廢ニ一也、旣至下歴二數–百ノ之歳–華ヲ一而聞–尓トシテ
絶スルニ中人–迹ヲ上、然トモ尚ヲ希–夷未レ亡ヒ尊–像猶ヲ存ス、時ニ有二一–樵–夫一、
不レ知二此像ヲ一而為二朽木ト一以レ斧觸ルレ像ニ、像忽ニ𥁃–血迸–流シ山–谷震–動
岩–樹如シレ裂クカ、觸ル丶者轉–仆シ目–心昏–沈ス、同–樵ノ者驚見テ而恐–悔𥡴首シテ
對シテレ像請レ救ヲ、夫レ罰ハ者、自–業之所レ受ル、救フハレ物者聖–者之常–事之
故ニ、旣得レ免ル丶コトノレ罰ヲ身全而去ル、邑–人相聞テ無シレ不レ欽シマ焉、
ミ (未)
聞夫ク佛不二自佛一必感ルレ物ニ者ノ蓋シ此ノ謂カ乎、然尚ヲ此時末タレ聞下有二
一宇一而奉スル二禮誦一之人ヲ上、
つづく
「書き下し文」
昔は麓及び寺の左右前後に寺凡て四十八宇有り、然れども境辺僻に属し近智は来たらず、頽廃に及ぶ所以なり、既に数百の歳華を歴て聞尓として人迹を絶するに至る、然れども尚ほ希夷未だ滅びず尊像猶ほ存ず、時に一樵夫有り、此の像を知らずして朽木と為し斧を以て像に触る、像忽ちに𥁃血迸流し山谷震動すること岩樹を裂くがごとし、触るる者転仆し目心昏沈す、同樵の者驚き見て恐悔稽首して像に対して救ひを請ふ、夫れ罰は自業の受くる所、物を救ふは聖者の常事の故に、既に罰を免るることを得身全て去る、邑人相聞きて欽しまざる無し、
聞く仏自ら仏ならず必ず物に感ずる者の蓋し此の謂か、然して尚ほ此の時未だ一宇有りて礼誦を奉ずるの人を聞かず、
つづく
「解釈」
昔は、山麓や福王寺の左右前後に寺が全部で四十八宇あった。しかし、その場所は辺鄙なところにあり、近隣の僧侶たちはやって来なかった。これが衰退した理由である。すでに数百年の歳月を経て、人が訪れなくなったと聞いている。しかし、依然として仏道の道理はまだ滅びておらず、尊像も依然として現存している。ある時、一人の木こりがいた。この立ち木に刻まれた不動明王像の存在を知らず、朽木と思い斧で仏像に触れた。像からはたちまち血が溢れ流れ出し、山や谷が震動することは、岩や樹木が裂けるようであった。仏像に触ったものは転倒し、目はくらみ心は沈んでしまった。同じ木こりはその様子を驚き見て恐れ後悔し、頭を地につけて礼をし、仏像に対して救いを請うた。そもそも罸は自らの行いによって受けるもので、衆生を救うのは聖者の行ういつものことであるがゆえに、早くも罰を免れることができ、その身からすべて取り去られた。村人は互いに聞いて敬わないものはいなかった。
聞くところによると、仏は自ら仏であることを示すものではなく、必ず物に感応する者に示すというのは、こういうわけかと思う。だから、依然としてこの時に一宇の寺院があって、礼拝し読誦し奉る人をまだ聞いたことはない。
つづく
「注釈」
「聞尓」─未詳。
「𥁃」─「孟」に同じ。
「聞夫」─未詳。
*最後の一段落がまったくわかりません。