五 中務少輔親冬寄進状
畏申入候、
下栗原之内田一反進上仕候、親冬⬜︎⬜︎子孫者彼田異儀申候者、可レ有二不孝友
(族) (競望)
から一候、就レ其眞如庵奉二請之一、於二御寺領一愚身之子孫親類けいはう成申物
候者、可レ有二不孝仁一候、爲レ後如レ此申入候、以二此旨一可レ有二御披露一候、
恐惶謹言、
(暦)
康歴二年庚申八月五日 中務少輔親冬(花押)
眞如庵侍者御中
「書き下し文」
畏み申し入れ候ふ、
下栗原の内田一反進上仕り候ふ、親冬⬜︎⬜︎子孫は彼の田に異儀申し候はば、不孝の輩に有るべく候ふ、其れに就き真如庵に之を奉請す、御寺領に於いて愚身の子孫親類競望を成し申す物候はば、不孝の仁に有るべく候ふ、後のため此くのごとく申し入れ候ふ、此の旨を以て御披露有るべく候ふ、恐惶謹言、
(1380)
康暦二年庚申八月五日 中務少輔親冬(花押)
眞如庵侍者御中
「解釈」
畏れながら申し入れます。
下栗原のうち、田一反を進上し申し上げます。親冬の親類?・子孫は、この田の領有に対して異論を申し上げますなら、不孝の輩とみなすべきです。それについて、真如庵にこの田を寄進し申し上げる。御寺領において、私の子孫・親類で競望し申すものがおりますなら、不孝の輩とみなすべきです。後のためこのように申し入れます。この内容をもって住持にご披露ください。謹んで申し上げます。
「注釈」
「親冬」─未詳。厳島神主家藤原氏の一族か(「三田新庄」『講座日本荘園史9 中国
地方の荘園』参照)。
*この文書は書状形式なので、寄進状というよりはその副状と考えられます。