周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

己斐文書7

   七 前能登守親冬寄進状

 

   (三)

 安藝国⬜︎田新庄下村内成佛寺々領等事、親候物良阿依⬜︎進申、田畠林以下親冬

  (申處)    (違)

 寄進⬜︎⬜︎也、若於⬜︎乱友族者、親冬之嫡子宮内少輔親房可其沙汰、坊主

        (持)

 御死去之後者、住地可御計候也、能々以此旨御披露候、恐惶

 謹言、仍爲後日之状如件、

     (1381)

     康暦三年辛酉二月七日    前能登守親冬(花押)

 

 「書き下し文」

 安芸国三田新庄下村内成仏寺寺領等事、親に候ふ物良阿⬜︎進申すに依り、田畠林以下親冬寄進申す処なり、若し違乱の輩に於いては、親冬の嫡子宮内少輔親房其の沙汰致すべし、坊主御死去の後は、住持御計らひたるべく候ふなり、能く能く此の旨を以て御披露有るべく候ふ、恐惶謹言、仍て後日のための状件のごとし、

 

 「解釈」

 安芸国三田新庄下村内成仏寺領等のこと。親でございます良阿が寄進申したことにより、田畠林等を私親冬も寄進申すところである。もし妨害するものがいれば、私の嫡子宮内少輔親房が裁許するはずである。坊主がお亡くなりになった後には、住持が寺領を経営なさるべきであります。よくよくこの内容を寺中に御披露ください。以上、謹んで申し上げます。よって後日のため、書状の内容は以上のとおりです。

 

 「解釈」

「成仏寺」─未詳。三田新庄の寺院か。

「良阿」─差出親冬の父親で、八号文書の「親家」のことか。

「坊主」─「真如庵そううん僧」のことか(四号文書)。

「住持」─未詳。真如庵の住職か。

 

*この文書は書状形式なので、寄進状の副状と考えられます。また、寄進された成仏寺

 領は、親冬の親である良阿からすでに寄進されていたことになります。四号文書によ

 ると、良親という人物が、成仏寺領と奉請田畠・栗林を真如庵の「そううん」に寄進

 していることがわかります。四号文書と七号文書の成仏寺領が同じものであるなら

 ば、七号文書の「良阿」は四号文書の「良親」と同一人物であり、七号文書の「坊

 主」は四号文書の「そううん」と同一人物であると考えられます。