周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

井上文書 その3

   一 五行祭文 その3

 

  (便品)   (界)          (法)

 方へんほんに十かい十如ゑしやう三せんのほう門とき、けしやうゆうほんに十二いん

    (説)             (示)

 ゑんおといて、ほうしよさいこんのむねおしめし給ふ、十かい十如といんハ、一ノに

      地獄道         (餓鬼道)        畜生道

 よせさうハちこくとう、二の如せせうハかきとう、三の如せたいハちくしやうとう、

        修羅道         (道)        (天道)

 四の如せりきハしゆらとう、五の如せさハ人とう、六の如せいんハてんとう、七の如

      (聲聞道)          (縁覚道)        (菩薩道)

 せゑんハせうもんとう、八の如せくわハゑんかくとう、九の如せほうほさつとう、十

         (究竟道)         (佛界)

 の如せほんまつくきやうとう、これハすなわちふつかいなり、

   つづく

 

 「書き下し文」(必要に応じて、ひらがなを漢字に改めています)

 方便品に十界十如依正三千の法門説き、化城喩品に十二因縁を説いて、ほうしよさい

 こんの旨を示し給ふ、十界十如といんは、一の如是相は地獄道、二の如是性は餓鬼

 道、三の如是体は畜生道、四の如是力は修羅道、五の如是作は人道、六の如是因は天

 道、七の如是縁は声聞道、八の如是果は縁覚道、九の如是報菩薩道、十の如是本末究

 竟道、これはすなわち仏界なり、

   つづく

 

 「解釈」

 方便品には十界十如是依正三千の教えを説き、化城喩品には十二因縁を説いて、「ほうしょさいこん」をお示しになった。十界十如是というのは、一の如是相は地獄道、二の如是性は餓鬼道、三の如是体は畜生道、四の如是力は修羅道、五の如是作は人道、六の如是因は天道、七の如是縁は声聞道、八の如是果は縁覚道、九の如是報は菩薩道、十の如是本末究竟道はつまり仏界である。

   つづく

 

 「注釈」

「方便品」

 ─法華経二十八品中の第二品。迹門中の中心をなす品で、三乗(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)が方便、一乗(世のすべてのものを救って、悟りにと運んでいく教え。主として法華経を指す)が真実であるとして、三乗を一乗に融合させることを説いたもの(『日本国語大辞典』)。

 

「十界」

 ─仏語。迷いと悟りの両界を一〇に分けたもの。迷界での地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界と、悟界における声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の称(『日本国語大辞典』)。

 

「十如」

 ─十如是。仏語。「法華経─方便品」の「仏所成就、第一希有、難解之法。唯仏与仏、乃能究尽。所謂諸法、如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等」の文により、これをもって、一切の事物の実相には一〇種の如是があるとするもの。天台宗では、一念三千の基本とし、十如是はそのまま一つであると解する。十如是のうち、相は相状、性は内的本性、体は相・性の本体・主体、力は潜在的能力、作はその力の顕現、因は直接原因、縁は間接原因、果は結果、報は構成の報果、本末究竟等は以上の九つが一つに帰結し、そのまま実相に外ならないことをいう(『日本国語大辞典』)。

 

「依正」

 ─依正二報のこと。仏語。依報と正報。生をうけたものが、まさしく過去の業の報いとして得た身体そのものを正報といい、その身のより所である一切の環境を依報という(『日本国語大辞典』)。

 

「法門」─仏語。諸仏の教法。仏の教え。仏法(『日本国語大辞典』)。

 

「化城喩品」

 ─法華七喩の一。「法華経化城喩品」による。旅行者が最終の目的地があまりに遠いので途中で旅を放棄しないように、中間に神通力による城を造り、そこでいったん休んだうえで旅を続けさせるという話。小乗仏教の悟りが、大乗の真の悟りに至るための方便にすぎないことをたとえる(『大辞林』)。

 

「ほうしよさいこん」─未詳。

 

「十二因縁」

 ─仏語。有情の生存を構成する要素である、無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死の一二が「これがあるとき、かれがあり、これがないとき、かれがない。これが生ずるとき、かれが生じ、これが滅するとき、かれが滅する」という相依相関の関係にあることを説くもの。これには種々の解釈があるが、前世から現世に生まれ、死んでまた来世に生まれ死んでいくという三世にわたって因果の関係が示されるとするものは、その代表的なもの。十二縁。十二縁生。十二懸連(『日本国語大辞典』)。