周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

ドラマチックな地蔵譚!?

  応永二十三年(1416)七月十六日条 (『看聞日記』1─45頁)

 

 十六日、晴、伝聞、山城国桂里辻堂之石地蔵、去四日有奇得不思儀事、其子細

  者、阿波国有賤男、或時小法師一人来云様、我住所草庵破壊雨露もたまらす、

  仍可造作之由思也、来て仕るへし、可憑之由申、此男云様、身貧して渡世

  難治也、妻子を捨て他所罷事不可叶之由申、小法師重申様、可致扶持也、只可

  来之由申、則同道して行、阿波国より山城ヘハ三日路也、然片時之間行着

  破損辻堂石地蔵アリ、造作スル人モナシ、小法師打失、近辺之人

  相尋ヌレハ、山城桂里答、此男思様、サテハ地蔵是マテ同道シテオハシ

  ケルト、貴覚ヘテ居タリケレトモ、智人モナシ、加様ニテハ如何カト思テ京ヘ

  上ラントシケルニ、アリツル小法師来云様、何方ヘモ不可行、只爰可居住之由

  申又失、サテ堂居タリケル程、西岡スル男、〈竹商人云々、〉日来此堂

  破壊シヌル事心中痛敷思ケリ、件堂休息之間、彼阿波男寄合雑談スル

  程、此事最初ヨリ次第、地蔵奇得不思儀語、サテ御堂造営諸共

  テチタヘモシ給ヘト云ケレハ、西岡男スチナキ事云イタカ也トテ散々云合

  程、イサカヒアカリテ刀阿波男突ントス、彼男逃ノキヌ、去程西岡男心

  狂乱シテ、彼石地蔵ヲ切突ケルホトニ、忽腰居テ物狂成ケリ、近辺物共集

  見之、地蔵之御罰ナル事ヲ貴ケリ、サテ狂気男、暫シテ心神を取直シテ地蔵

  オコタリ申、此御堂造営シテ宮仕申ヘキ由祈念シケルホトニ、則腰モ起、狂気モ

  醒ケリ、サテ入道セントシケルニ、地蔵夢見ヘテ法師成ルヘカラストノ給

  ケレハ、男ニテ浄衣ヲ着テ宮仕ケリ、地蔵奉斬突腰刀散々ニユカミチ丶ミタリ

  ケリ、御堂懸テ参詣人拝セケリ、サテ阿波男ヲハ、法師ナルヘキ由、地蔵被

  示ケレハ、入道シテ彼男ト二人御堂造営奉行シケリ、此事世披露アリテ、貴賤

  参詣群集シケル程、銭以下種々物共奉加如山積、造営無程功成ケリ、祈精

  成就、殊病者盲目ナト忽眼開ケレハ、利生掲焉ナル事、都鄙聞ヘテ、貴賤

  参詣幾千万云事ナシ、種々風流之拍物シテ参ス、都鄙経営近日只此事也、

  伝説雖難信用、多聞之説記之、且比興也、

 

 「書き下し文」

 十六日、晴る、伝へ聞く、山城国桂の里に辻堂の石地蔵、去んぬる四日奇得不思儀の事有り、其の子細は、阿波国に賤男有り、或る時小法師一人来たり云ふ様、我が住所の草庵破れ壊たれ、雨露もたまらず、仍て造作すべきの由思ふなり、来て仕るべし、憑むべきの由申す、此の男云ふ様、身貧にして渡世難治なり、妻子を捨て他所へ罷る事叶ふべからざるの由申す、小法師重ねて申す様、扶持致すべきなり、只来るべきの由申す、則ち同道して行く、阿波国より山城へは三日の路なり、然るに片時の間行き着きぬ、破損の辻堂に石地蔵あり、造作する人もなし、小法師も打ち失せぬ、近辺の人に相尋ぬれば、山城桂の里と答ふ、此の男思ふ様、さては地蔵是れまで同道しておはしけると、貴く覚へて居たりけれども、智人もなし、加様にては如何がと思ひて京へ上らんとしけるに、ありつる小法師来たりて云ふ様、何方へも行くべからず、只爰に居住すべきの由申し又失せぬ、さて堂に居たりける程に、西岡に住する男、〈竹商人云々、〉日来此の堂破壊しぬる事を心中に痛ましく思ひけり、件の堂に休息の間、彼の阿波男と寄り合ひて雑談する程に、此の事最初より次第を語りて、地蔵の奇得不思儀を語る、さて御堂造営諸共にてちたへもし給へと云ひければ、西岡男すちなき事云いたか也とて、散々に云ひ合ふ程にいさかひあかりて刀を抜きて阿波男突かんとす、彼男逃げのきぬ、去んぬる程に西岡男心狂乱して、彼の石地蔵を切り突けるほどに、忽ち腰居きて物狂に成りけり、近辺の物共集まりて之を見る、地蔵の御罰なる事を貴みけり、さて狂気の男、暫くして心神取り直して地蔵におこたりを申す、此の御堂造営して宮仕へ申すべき由祈念しけるほどに、則ち腰も起き、狂気も醒めけり、さて入道せんとしけるに、地蔵夢に見へて法師に成るべからずとの給ひければ、男にて浄衣を着て宮仕へけり、地蔵斬り突き奉る腰刀散々にゆがみちぢみたりけり、御堂に懸けて参詣人に拝せけり、さて阿波男をば、法師になるべき由、地蔵に示されければ、入道して彼の男と二人御堂造営奉行しけり、此の事世に披露ありて、貴賤参詣群集しける程に、銭以下種々の物共奉加すること山のごとく積みて、造営程無く功成りけり、祈精も則ち成就し、殊に病者盲目など忽ち眼も開ければ、利生掲焉なる事、都鄙に聞こへて、貴賤参詣幾千万と云ふ事なし、種々の風流の拍物をして参ず、都鄙経営近日只此の事なり、伝説信用し難しと雖も、多聞の説之を記す、且つがつ比興なり、

 

 「解釈」

 十六日、晴。伝え聞くところによると、山城国桂里にある辻堂の石地蔵で、去る四日、とても珍しく不思議なことがあったという。その詳細は、次の通りだ。阿波国に身分の賤しい男がいた。ある時、小柄な法師が一人来て、「私が住んでいる草庵は壊れて、雨露にも耐えられません。それで建て替えようと思っています。あなたが来て建てて下さい。頼みます」と言った。男は「私は貧しくて、食べていくことさえもままなりません。ましてや妻や子を捨てて、他所へ出かけることなど、できるわけがありません」と断った。小柄な法師は重ねて「そのことはお助けしましょう。ただ来て下さい」と言った。それですぐに男はその法師と出かけた。阿波国から山城国へ行くのに三日はかかる。ところが、ほんのわずかな時間で、山城国へ到着した。

 壊れた辻堂には石地蔵が安置してあった。辻堂を建て直そうとする人もいない。小柄な法師も姿を消してしまった。近くにいた人にここはどこかと男が尋ねると、山城国桂里だと答えた。それでこの男は、「さてはこのお地蔵様がここまで俺を連れてきて下さったのだな」とありがたく思った。しかし、桂里には知り合いもいないし、このままではどうしようもない。そう思ってとりあえず京へ上ろうとしていたところ、さきほどの小さな法師が現れて、「どこへも行ってはいけません。ただここに住んでいて下さい」と言って、また姿を消した。それでしかたなく辻堂に佇んでいた。

 一方、西岡に住んでいる竹商人の男がいて、日頃、この辻堂が壊れていることに心を痛めていた。その竹商人がこの辻堂に来て休んでいると、あの阿波国の男と出会い、二人で雑談をした。阿波国の男が、今回のことを最初から話して、地蔵の優れた法力は不思議であると語った。そして「辻堂の再建を一緒に手伝ってください」と言ったら、西岡の男は、筋違いの事を言う傲慢な奴だと散々に悪口を言い合った。そのいさかいが白熱して、とうとう西岡の男は刀を抜いて阿波の男を突き刺そうとした。それで阿波の男は逃げ出した。さらに西岡の男は頭に血が上って、その石地蔵を切りつけた。そうしたら、男の腰が抜けて気が狂ってしまった。

 近所の者たちが集まり、この騒動を見ていて、お地蔵様の罰はやはりてきめんだと言って、皆で石地蔵を拝んだ。さて気が違った男はしばらくすると正気に戻り、お地蔵様にお詫びした。そして「この御堂を建て直してお地蔵様にお仕えします」とお祈りしたところ、すぐに腰も立ち、頭もスッキリした。それで出家しようとしたら、夢に地蔵が出てきて、「法師になってはいけません」と仰るので、男は白い狩衣姿で、地蔵に奉仕した。地蔵を突き刺した腰刀は散々にゆがんでいた。その腰刀を御堂に懸けて、参詣者に拝ませた。一方、阿波の男は法師になるように地蔵が命じていたので出家して、西岡の男と二人で御堂再建の準備をした。やがてこの事件が世に知れ渡り、大勢の者たちが参拝に来たので、銭などいろいろなお供え物が山のように貯まり、御堂の再建はすぐに竣工した。

 この石地蔵への願い事はすぐに叶った。特に病気の者にてきめんで、盲目の者がお祈りするとすぐに目が見えるようになった。その霊験あらたかなことは全国に知れ渡り、参詣者は何千万人ともなった。人々はこの地蔵堂へいろいろと風流な拍物でパレードしながら、お参りした。このところ、京都でも地方でも、この桂里の石地蔵のうわさでもちきりだ。伝え聞いた話で信用しがたいが、いろいろな人から耳に入ったので、記しておく。それにしても、道理に合わない話である。

 

*解釈は、薗部寿樹「史料紹介『看聞日記』現代語訳(二)」(『山形県立米沢女子短期

 大学紀要』50、2014・12、https://yone.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=203&item_no=1&page_id=13&block_id=21)を引用しました。

 

 

*これには後日談があります。

  応永二十三年(一四一六)十月十四日条 (『看聞日記』1─69頁)

 

 十四日、晴、聞、桂地蔵奉仕阿波法師并与党七人、自公方被召捕被禁獄云々、彼法

  師非阿波国住人近郷者也、与党同心之者共数十人、種々回謀計、地蔵菩薩

  奉付顕奇得云々、或相語病人愈衆病、或非盲目者、令開眼目、種々事、彼法師等

  所行之由露顕之間、被召捕被糺問之間、令白状云々、西岡男非同心者云々、仍

  不相替奉仕云々、倩案之、不信輩如此申成歟、設雖相語病人、於万人利生、争

  可為謀略哉、地蔵霊験不可及人力者哉、尤不審事也、然而貴賤参詣不相替云々、

   (後略)

 

 「書き下し文」

 十四日、晴る、聞く、桂地蔵に奉仕する阿波法師并に与党七人、公方より召し捕らへられ禁獄せらると云々、彼の法師阿波国の住人に非ずして近郷の者なり、与党同心の者共数十人、種々謀計を回し、地蔵菩薩に狐を付け奉り奇得を顕すと云々、或うは病人を相語らひ衆病を愈し、或うは盲目に非ざる者に、眼目を開かしむ、種々の事、彼の法師らの所行の由露顕の間、召し捕らへられ糾問せらるるの間、白状せしむと云々、西岡男は同心する者に非ずと云々、仍て相替はらず奉仕すと云々、倩(つらつら)之を案ずるに、不信の輩此くのごとく申し成すか、設ひ病人を相語らふと雖も、万人の利生に於いては、争でか謀略たるべけんや、地蔵の霊験人力に及ぶべからざらんや、尤も不審の事なり、然れども貴賤の参詣は相替はらずと云々、

 

 「解釈」

 十四日、晴。聞くところによると、桂地蔵に奉仕していた阿波国の法師とその一味の者ども七人が室町幕府によって逮捕され収監されたそうだ。その法師は阿波国の住人ではなく、桂近郷の者だった。一味の者ども数十人は、いろいろと謀略をたくらみ、地蔵菩薩像にキツネを付けて、不思議なことをやらせたらしい。また病人と共謀して、多くの病が治ったように見せかけたり、あるいはもともと盲目ではない者に盲人の真似をさせ、治って目が見えるようになったと演じさせたらしい。以上のようなことがあの法師らの仕業だという情報が流れたので、逮捕して尋問したところ、自白したという。西岡の男は共謀者ではないそうだ。それで彼はこれまで通り、桂地蔵に奉仕しているという。

 いろいろと考えてみるに、地蔵を信仰しない一部の者がこのように言いなしたのではなかろうか。たとえ一部の病人と共謀したことがあったとしても、多くの人が地蔵菩薩の恵みを受けたことを、どうして謀略と言えようか。地蔵の霊験は人の力の及ぶところではないはずだ。それにしても、不可解な事件である。その一方で、多くの人が参詣していることは、以前と変わりがないそうだ。

 

*解釈は、薗部寿樹「史料紹介『看聞日記』現代語訳(二)」(『山形県立米沢女子短期

 大学紀要』50、2014・12、https://yone.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=203&item_no=1&page_id=13&block_id=21)を引用しました。

 

 「注釈」

 「地蔵堂

 ─西京区春日町桂離宮の西南、山陰道沿いにある。俗に桂地蔵といい、浄土宗。洛陽六地蔵第五番札所。本尊は地蔵菩薩立像(江戸期)(『京都市の地名』)。

 

 

*なんとドラマチックな展開でしょうか。地蔵の化身である小坊主に導かれ、阿波出身の男が荒れ果てたお堂を再建する。その話が大ウソだった! これほど信仰心をないがしろにしたエピソードが、中世にあったとは思いもよりませんでした。現代人とは異なり、中世人はもう少し神仏を純粋に信仰しているものだと思っていました。悪い奴というのは、いつの時代にもいるものです。おそらく、お地蔵さんの評判を高めて、お供物や賽銭を掠め取ろうと考えたのでしょうが、この作為がバレて逮捕されてしまいます。

 ところで、この阿波出身と自称したウソつき男は、いったいどのような罪を犯したと見なされたのでしょうか。幕府の役人に捕らえられたということは、検断沙汰(刑事事件)ということになるのでしょうが、どこに問題があったのか、何を根拠に断罪したのか、いまいちよくわかりません。詐欺罪といえば詐欺罪に当たるような気もしますが、誰にとって、どのような被害があったというのでしょうか。たしかに、人々を欺いたことに違いはないのですが、騙されたとはいえ、人々はお供えや賽銭を自主的に寄付しているので、詐取されたといえるのか疑問です。

 また、中世に詐欺罪があったのかどうかもよくわかりません。法制史には詳しくないので何ともいえませんが、鎌倉幕府法や室町幕府法を眺めても、このようなケースに該当する法令を見つけることはできませんでした。当然のことかもしれませんが、こんな事件が頻発するとは思えませんので、成文化されるには至らなかったのかもしれません。そうすると、残る根拠は律令ということになりそうですが、古代の律には詐偽律があります。文書を偽作したり、偽りの契約を結んだりしたわけでもないので、詐偽律も決め手に欠けるのですが、いまのところ、これを援用したと考えておきます。これも「中世に生きる律令」ということになるのでしょうか。ひょっとすると、寺社法や在地法に、詐欺に関する規定が残っているのかもしれません。また、調べてみようと思います。

 神仏の霊験譚をウリにした寺社は、現在でもたくさんあります。役行者行基空海や円仁開創と称する寺社が、全国各地にあります。本当か…!? 史実は歴史の闇の中。バレなきゃ、罪にはならない。そんな罰当たりなことが頭をかすめながら、私は今日も、喜んでお賽銭を納めています。