周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

芸藩通志所収田所文書6

    六 平兼資解并外題

 

     (外題)

      「下 田所

        [        ]

                   勧農使散位(花押)」

 散位平兼資解 申請公廨給出入事

  合壹町

   除

   賀茂郡

    西条一丁 本免

   請

    武清村一丁

  右、依例出入請文、以解、

      (1183)

      壽永二年七月 日

                     (散位平)

                     [   ]兼資

 

 「書き下し文」

     (外題)

      「下す 田所

        [        ]

                   勧農使散位(花押)」

 散位平兼資解し申し請ふ公廨給出入の事

  合わせて一丁

   除く

    西条一丁 本免

   請ふ

    武清村一丁

  右、例に依り出入りを請ふ文、以て解す、

 

 「解釈」

 散位平兼資が願い申し出る、公廨給田の相博のこと。

  都合一丁。

   西条の本免田一丁を公廨田から除く。

   武清村一丁を公廨田に入れることを願う。

  右の件は、先例のとおりに公廨田の交換を願う。以上、お願い申し上げます。

 

 

 「注釈」

「勧農使」─中世、勧農のために、領主から現地に遣わされた使者。また平氏政権下で

      寿永二年(一一八三)安芸国において国衙の勧農使が現地に派遣されてお

      り、元暦元年(一一八四)にも北陸道に勧農使を派遣しており、のちの守

      護の源流と考えられている(『古文書古記録語辞典』)。

「本免」─本免田とも。荘園成立時の免田部分。以後に課役免除となった部分は新免田

     である(『古文書古記録語辞典』)。

「武清村」─未詳。

「公廨田」─くげでん・くがいでん。①太宰府官人および国司に支給された職田、不輸

      租田。②天平宝字元年(七五七)以後、諸司公廨田が設置され、これが各

      官衙の独自の財源となり官衙領化した(『古文書古記録語辞典』)。