周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自殺の中世史 21 ─分析視角・課題・展望 その5─ (Analytical standpoint, Issues and future prospects in my suicide research 5)

【その5】

 

 ここまで、だらだらと個人的な悩みを書いてきましたが、悩みは独白するだけでもある程度スッキリするものです。当たり前のことかもしれませんが、私は今後、自殺を「行為」とみなし、①自殺の原因・理由動機、②自殺の目的動機、③目的遂行のために自殺を選択した理由、といった3つの視角を大切にしながら、史料を紹介していこうと思います。自殺未遂・既遂者は、何らかの原因・理由を引き金に、ある目的意識が生じ、その目的遂行のために自殺を選択し、遂行する。こうした動態的なモデルを、私は典型的なパターンと考えています。なお、原因・理由と目的を合わせて表現したいときには、「動機」という言葉を使おうと思います(11)

 

 ただし、前近代の史料を利用してこうした問題を明らかにしていくには、次の2点が足枷となります。1つ目は、現代の警察機構や官公庁が公表するような公式統計が、前近代には存在しないということです(12)。前近代の自殺を分析するためには、古文書・古記録・古典籍などを利用するしかありません。そして、これまで紹介してきた史料の多くは、何らかの事件の一環として自殺を記録したものにすぎず、自殺の記述を主な目的とした史料はほとんどありませんでした。したがって、定量分析の効果はそれほど期待できず、定性分析に頼らざるをえないということになります。

 

 2つ目は、自殺既遂・未遂者の遺書や、彼らに対する調査記録などが残されていないということです(探せてないだけかもしれませんが)。残念ながら、前近代の史料を分析するかぎり、自殺既遂・未遂者が直接語った動機を聞き出すことはできません。また、かりに自殺を見聞きした第三者の推定する動機が妥当だったとしても、それを検証することもできません。したがって明らかにできるのは、第三者が見聞し推定した自殺の動機ということになります。この第三者の推定した動機はその人自身のなかで留まることはなく、その関係者にも情報として伝わっていくことになります。これが一定の社会集団で共有され、自殺の常識的知識(社会的意味)が形成されると考えられます。新たな動機が認識されれば、それが新たな知識として共有される。これが繰り返されて、自殺動機の類型が増えていくのではないでしょうか。そして、この類型が個人の意識に還元され、自殺の個人的な動機(主体的意味)に影響を与えると考えられます(13)

 

 最後に、この史料紹介の目的を、明確化しておきます。中世の自殺史料を提示することで、まずは、自殺を見聞し書き残した、第三者の推定する動機を浮き彫りにしたいと思います。そして、それらが当該期の社会常識になっていることを、なるべく証明していこうと思います。さらに、目的遂行のために自殺を選択した理由をできるだけ推測し、人間を自殺へと誘う「しがらみ」を明らかにしたいと思います。

 

 ひとまず、このような視角と方法で史料紹介を続けてみようと思いますが、またいろいろな本や論文を読みながら、少しずつ考えを改善していこうと思います。

 

   おわり

 

【注】

(11)

 「原因」と「理由」の違いについては、論争があるようです(「原因/理由」『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998。一ノ瀬正樹「序章 不確実性の認識論」5頁『原因と理由の迷宮』勁草書房、2006)。どのような場合にどちらの表現を使うべきか、いまのところ明確に判断できていないので、しばらくは区別を曖昧にしたまま使っていきます。明確に区分できるようになれば、書き直したいと思います。

(12)

 実は、公式統計にまったく問題がないわけでもありません。ダグラスは、公式統計に含まれるエラーが系統的である可能性を強く示唆しています。以下、前掲注(4)杉尾論文(156頁、http://rci.nanzan-u.ac.jp/jinruiken/publication/ronshu.html)をそのまま引用します。「例えば、公式統計作成者が、個別の自殺認定の際に、自殺についての常識的知識を参照している可能性である。その場合、自殺の公式統計作成プロセスは、客観的基準に従った自殺認定プロセスではなく、そのプロセスに関与する人々が共有する自殺についての常識的知識に大きく影響され方向付けられた(つまり系統的に偏った)人為的基準に支配されている記録化のプロセスとなる。また、これとは別のバイアスの系統性の源泉は、公式統計作成者による自殺認定作業が自殺者の属する(対人関係から文化まで様々な)集団からの自殺を隠蔽する力にさらされている可能性である」。

 つまり、本当は他殺や事故であるのに、自殺とみなしてしまうことがありえるのです。また、自殺の認定に当たって、関係者の証言を聞くことになるのでしょうが、その関係者は自殺の本当の原因が暴かれることを嫌い、隠蔽する可能性もあるのです。したがって、自殺であるかどうかの認定(自殺数値への影響)だけではなく、その原因の認定にも、常識的知識や隠蔽というバイアスがかかっていることを考慮に入れておかなければならないのです。これは、現代の日本の公式統計にも言えることかもしれませんし、同じことは前近代の史料分析にも言えます。前近代には自殺の原因を認定する公的・客観的基準が存在しない以上、史料の記主や情報の伝達主体が推定した原因を、そのままバイアスがかかったものとして抽出し、そのバイアスがなぜ生じているのかを明らかにすることも、前近代の自殺分析には必要だと考えられます。

(13)

 前掲注(4)杉尾論文、158頁参照。

 

 

 From now on, I regard suicide as "action", and I think that I will introduce historical materials, with cherishing the three viewpoints such as ① cause(reason)motive of suicide, ② purpose motive of suicide, ③ Reason for choosing suicide to realize the purpose. Each person who commits suicide has its own purpose depending on each cause and selects and carries out suicide in order to realize its purpose. I think such a dynamic model as a typical pattern. If you want to express the cause and purpose together, I will use the word "motive".(11)

 

 However, the following two points are obstacles to clarify these problems by using historical materials of the previous modern era. First, there is no official statistic such as publicly announced by modern police force or government agency in pre-modern times (12). In order to analyze the suicide in pre-modern times, it is necessary to use old documents, old diaries, old literary works, old history books and so on. And most of the historical materials I have introduced so far are only records of suicide as a part of some kind of incident, and there were few historical documents whose main purpose was to describe suicide. Therefore, the effect of quantitative analysis can not be expected so much, we will have to rely on qualitative analysis.

 

 The second is that the suicide note of the suicide people and survey records for them are not left (although it may only be that I can not find them for now). Unfortunately, as long as we analyze historical materials in pre-modern times, we can not hear the motive that the suicide people directly said. Also, even if the motivation estimated by a third party who saw and heard suicide is reasonable, we can not verify it. Therefore, what we can clarify is motivation that third parties have seen, heard and estimated. The motivation estimated by this third party will not stay in the person himself, and will be transmitted as information to those concerned. I think commonsense knowledge (social meaning) of suicide is formed by a social group sharing its motive. If a new motive is recognized, it will be shared as new knowledge. I will think that the type of suicidal motives will increase as this is repeated. And I think that this type is returned to individual consciousness and affects personal motive (subjective meaning) of suicide.

 

 Finally, I will clarify the purpose of introducing this historical material. In first, by presenting the historical materials of suicide in the Middle Ages of Japan, I would like to clarify the motivation extrapolated by third parties who saw or heard suicide directly or indirectly. And I will prove that they are social common sense of those days. Furthermore, I would like to infer the reason for choosing suicide to accomplish the purpose, and reveal the social idea that leads humans to suicide.

 

 For the time being, I'd like to continue introducing historical materials with such viewing angle and method, but I will improve my thoughts little by little while reading various books and papers.

 The end.

 (I used Google Translate.)