周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

厠の尼子さんとその眷属 ─足のない幽霊の初見について─ (The Yokai that appeared in the court)

【史料1】

  応永二十五年(一四一八)十月二日条    (『看聞日記』1─234頁)

 

 二日、晴、

  (中略)

                        称光天皇

  去比禁中はけ物あり、女房腰より下は不見半人也、主上大便所ニて被御覧云々、

      〔違〕       (白川)

  其以後御遣例、此化人主上、資雅朝臣有御物語云々、非虚説事也、

 

 「書き下し文」

  去んぬる比、禁中にばけ物あり、女房腰より下は半ば見えざる人なり、主上大便所にて御覧ぜらると云々、其れ以後御違例、此の化人のこと主上、資雅朝臣に御物語有りと云々、虚説に非ざる事なり、

 

 「解釈」

 さきごろ、内裏に化け物が出たという。腰から下の身体は消えていて目に見えない。女房姿の化け物だそうだ。称光天皇陛下が大便所で目撃なさった。その時からご病気になったという。この化け物のことを、帝は白川資雅朝臣にお話ししたそうだ。だから単なるうわさ話ではない。

 

 The other day a monster appeared in the royal court. The lower body disappears and can not be seen. It is a monster that looks like a court lady. Emperor Shoukou witnessed in the toilet. From that time he became ill. This is not just a rumor.

 

*解釈は、薗部寿樹「資料紹介『看聞日記』現代語訳(九)」『山形県立米沢女子短期

 大学附属生活文化研究所報告』44、2017・3、https://yone.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=283&item_no=1&page_id=13&block_id=21)を引用しました。

 

 「注釈」

トイレの花子さんではないのでしょうが、宮中の大便所には女房姿の化け物が出現したようです。しかも下半身が消えている。足のない幽霊?化け物?の描写は、室町時代まで遡れることがわかります。幽霊には足がないなんて、いったい、いつ誰が言い始めたのでしょうか。これが、足のない幽霊について記載された最古の文献史料であれば、かなり興味深いのですが…。

 それにしても、便所で用を足しているときに化け物が現れるというのは、簡単には逃げ出せない状況だけに、相当に怖いです。

 さて、この室町時代の「トイレの花子さん」ですが、姿を変えてまた出現します。しかも、恐ろしい部下を引き連れて…。

 

 

【史料2】

  応永三十二年(一四二五)七月二十七日条

                   (『図書寮叢刊 看聞日記』3─147頁)

 

 廿七日、晴、

  (中略)

 称光天皇

  御悩之様風聞之説、廿五日夕方大便所御座之時、変化尼一人参則失、其後亀一

  出来、主上奉食付之間、亀甲乗御云々、亀もて返して食付、御腹之内入と

  思食て御絶入あり云々、良久無還御之間、女房参て奉見、絶入して御座あり、

  面々仰天、舁出し奉て御蘇生あり、此次第有御物語云々、御前水紫野寺之名石

  被召寄被立之、彼霊石祟申之由陰陽師占申之間、昨日彼石共雨中紫野寺

  返遣云々、(後略)

 

 「書き下し文」

  御悩みの様風聞の説、廿五日夕方大便所に御座するの時、変化の尼一人参り則ち失す、其の後亀一つ出で来り、主上に食い付き奉るの間、亀の甲に乗り御ふと云々、亀も返して食い付き、御腹の内に入ると思し食して御絶入ありと云々、良久しくして還御無きの間、女房参りて見奉るに、絶入して御座あり、面々仰天し、舁き出だし奉りて御蘇生あり、此の次第御物語ありと云々、御前水に紫野寺の名石召し寄せられ之を立てらる、彼の霊石祟り申すの由陰陽師占ひ申すの間、昨日彼の石ども雨中に紫野寺へ返し遣はすと云々、

 

 「解釈」

 称光天皇がご病気であるという噂があった。二十五日夕方、帝が大便所にいらっしゃったとき、尼姿の化け物が一人現れて、すぐに消えた。その後、亀が一匹現れて、帝に食い付き申し上げたので、帝は(身をかわそうと)亀の甲羅にお乗りになったという。亀もひっくり返ってさらに食い付き、帝は亀がご自分のお腹に食い入るとお思いになって気絶なさったという。しばらくしても帝がお戻りにならなかったので、女房がやってきて拝見すると、気絶してお座りになっていた。女房たちはおのおの驚き、帝を担ぎ出し申し上げたところ、意識を取り戻しなさった。帝はこの事情をお話しになったという。宮中の庭先の流水に、大徳寺のすぐれた石をお取り寄せになり、それをお立てになっていた。この霊石が祟り申し上げている、と陰陽師が占い申し上げたので、昨日その石を雨の中、大徳寺へお返しになったという。

 

 Emperor Shoukou got sick. When the emperor came to the toilet on the evening of July 25th, a monster that looked like a nun appeared and soon disappeared. After that, a turtle appeared and bit to the emperor, so he got on the turtle shell. The turtle turned over and bites further, and the emperor fainted as the turtle bit into his abdomen. After a while, the emperor did not return, so when court ladies came to the toilet, he was faintly seated. They were all surprised and carried the emperor. Then he regained consciousness. The emperor told them about the situation. The emperor brought the excellent stone of Daitokuji temple to the garden of the palace. As the yin-yang master fortune-told that this stone cast an evil spell on him, the emperor returned the stone to Daitokuji temple in the rain yesterday.

 (I used Google Translate.)

 

 「注釈」

「御前水」─未詳。庭の流水か。

 

「紫野寺」

 ─大徳寺のことか。京都市北区紫野大徳寺町。船岡山の北にある臨済宗大徳寺派大本山。竜宝山と号し、本尊釈迦如来。正和四年(一三一五)、宗峰妙超(大燈国師)が、赤松則村の帰依をうけ、雲林院の故地に一宇を建立したのが始まりと伝える(『京都市の地名』平凡社)。

 

*今回の化け物も同じく女性なのですが、尼の姿で便所に現れました。前回同様、女性の化け物自身は、姿を現してすぐに消えるのですが、今回の「厠の尼子さん」には、強力な助っ人がいました。なんと、新たに亀が出現して、称光天皇に襲いかかったのです。

 しかもこの亀、結構しつこいんです。帝は亀の攻撃を避けようと、甲羅の上に乗るのですが、亀は身を翻してまたお腹に食い付こうとする。当時の宮中の大便所がどれほどの広さかわかりませんが、狭い場所で大立ち回りが繰り広げられていたわけです。そりゃ、気絶の一つもするはずです。

 さて、この怪異の原因ですが、大徳寺から持ってきた霊石の祟りだということになりました。幼い頃のことですが、旅行先できれいな石を見つけて持って帰ろうとした私に、母親が「悪いものが付いてくるから、持って帰ってはだめだ」と言ったことがありました。パワーストーン然り、古代の磐座然り。石には不思議な力が宿っているのかもしれません。

 

 

*2019.7.17追記

 宮田登『神の民俗誌』(岩波新書、1979、42頁)には、「厠・便所は、この世とあの世の霊魂の出入り口という捉え方があったのではないか」という指摘があります。いったい、いつから厠や便所が此岸と彼岸の境界と捉えられるようになったのかよくわかりませんが、今回の記事を見ると、こうした考え方は室町時代にまで遡れるかもしれません。トイレは昔から、この世ならぬものが出現しやすい場所だったようです。

 

 

*2019.10.16追記

 足のない幽霊の描写については、加治屋健司氏の論文で、これまでの研究成果が整理されていました(「日本の中世及び近世における夢と幽霊の視覚表象」『広島市立大学芸術学部芸術学研究科紀要』16、2011・3、39頁、http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hiroshima-cu/metadata/10367)。それにによると、最も古い描写は、諏訪春雄氏(『日本の幽霊』169頁)が紹介した、近松門左衛門作と伝えられる『花山院きさきあらそひ』(1673 年刊)の挿画だそうです。これは生霊となった藤壺を描写したもので、腰から下が描かれていません。ところが、『花山院きさきあらそひ』の本文中には、 藤壺の生霊に足がないという記述が一切ないのです。また、山本春正の『絵入源氏物語』(1654年刊)における物の怪の描写も同様で、挿画には下半身が描かれてないにもかかわらず、本文に足がないという記述はないそうです。

 こうした事実から、加治屋氏は「足なし幽霊というのは、文学ではなく絵画において初めて登場したことになる」と考えられています。そして、「最初は幽霊が現れたり消えたりする過程を描いていたのだが、印刷文化が発達して版本の挿画の図像が普及するうちに、当初の時間表現は忘れられて、足のない幽霊という様式が定着したという仮説を提出して」います。

 さて、今回提示した「厠の尼子さん」は、「幽霊」なのか「妖怪」なのか明確に定義づけることはできませんが、それでも足がない「物の怪」の描写は、室町時代まで遡れることがわかります。そして、その描写は、絵画よりも文字の方が先だったと判断できそうです。ひょっとすると伝来していないだけで、足の描かれてない絵画資料は中世にもあったのかもしれませんが、こればかりは素人の私にはよくわかりません。おそらく、ぼんやりと、うっすらと見えた幽霊や妖怪の姿を、「姿が消えかかっていた」などと言語で表現したのが最初なのでしょう。そのうち、「足下が見えなかった」などと表現するようになり、それが社会通念として定着して、江戸時代に図化されるようになったと考えられます。

 

 トイレ(厠)に幽霊が出やすい理由ですが、諏訪春雄「幽霊の衣装と住みか」(『別冊太陽 日本のこころ98 幽霊の正体』平凡社、1997、55頁)によると、これは日本人の他界観から説明できるそうです。日本人の他界観は、地下・海上(中)・天上・山中(上)の4つまとめることができるのですが、そのなかでも地下は、死者を埋葬する場所であったため、幽霊と結びつきやすかったと考えられています。厠(かわや)という呼び方からも明らかなように、古くは流水のうえに建てられたので、本来は地下他界というよりも海上(中)他界(流れゆく先)や山中(上)他界(流れの始まり)と結びついていたのでしょうが、「井戸」と同様に、次第に地下をイメージするようになったと考えられています。

 今回の史料によって、「厠・トイレ」と「幽霊・物の怪」の結びつきも、室町時代まで遡れることがはっきりしました。