周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自殺の中世史 27 ─中世の説話5(往生目的自殺の失敗談)─

 「蓮花城、入水の事」『発心集』第三─八

       (三木紀人『現代語訳 方丈記 発心集 歎異抄學燈社、2006)

 

 近きころ、蓮花城といひて、人に知られたる聖ありき。登蓮法師相知りて、ことにふれ、情けをかけつつ、過ぎけるほどに、年ごろありて、この聖の言ひけるやうは、「今は年に添へつつ弱くなりまかれば、死期の近づくこと、疑ふべからず。終はり正念にてまかり隠れむこと、極まれる望みにて侍るを、心の澄む時、入水をして、終はり取らむと侍る。」と言ふ。登蓮聞きおどろきて、「あるべきことにもあらず。いま一日なりとも、念仏の功を積まむとこそ願はるべけれ。さやうの行は、愚痴なる人のする業なり。」と言ひていさめけれど、さらにゆるぎなく思ひ堅めたることと見えければ、「かく、これほど思ひ取られたらむに至りては、とどむるに及ばず。さるべきにこそあらめ。」とて、そのほどの用意なんど、力を分けてもろともに沙汰しけり。

 つひに、桂川の深き所に至りて、念仏高く申し、時経て水の底に沈みぬ。その時、聞き及ぶ人、市のごとく集まりて、しばらくは貴み悲しぶこと限りなし。登蓮は、年ごろ見慣れたりつるものを、とあはれにおぼえて、涙を押さへつつ帰りにけり。

 かくて、日ごろ経るままに、登蓮、物の怪めかしき病をす。あたりの人あやしく思ひて、事としけるほどに、霊現れて、「ありし蓮花城。」と名のりければ、「このこと、げにとおぼえず。年ごろ相知りて、終はりまでさらに恨みらるべきことなし。いはむや、発心のさま、なほざりならず、貴くて終はり給ひしにあらずや。かたがた、何のゆゑにや、思はぬさまにて来たるらむ。」と言ふ。物の怪の言ふやう、「そのことなり。よく制し給ひしものを、わが心のほどを知らで、いひがひなき死にをして侍り。さばかり、ひとのためのことにもあらねば、その際にて思ひ返すべしともおぼえざりしかど、いかなる天魔の仕業にてありけむ、まさしく水に入らむとせし時、たちまちに悔しくなむなりて侍りし。されども、さばかりの人中に、いかにしてわが心と思ひ返さむ。あはれ、ただ今制し給へかし、と思ひて目を見合はせたりしかど、知らぬ顔にて、『今は疾く疾く。』ともよほして沈みてむ恨めしさに、何の往生のこともおぼえず。すずろなる道に入りて侍るなり。このこと、わがおろかなる咎なれば、人を恨み申すべきならねど、最期に口惜しと思ひし一念によりて、かくまうで来たるなり。」と云ひける。

 これこそ、げに宿業と覚えてはべれ。かつはまた、末の世の人の誡となりぬべし。人の心はかりがたき物なれば、必ずしも清浄・質直の心よりもおこらず。或いは勝他名聞にも住し、或いは憍慢・嫉妬をもととして、愚かに、身燈・入海するは浄土に生るるぞとばかり知りて、心のはやるままに、かやうの行を思ひ立つ事しはべりなん。すなはち、外道の苦行に同じ。大きなる邪見と云ふべし。其の故に、火水に入る苦しみなのめならず。其のこころざし深からずは、いかが耐え忍ばん。苦患あれば、また、心安からず。仏の助けより外には、正念ならん事、極めてかたし。中にも、愚かなるひとのことくさまで、「身燈はえせじ。水にはやすくしてん」と申しはべるめり。すなはち、よそ目なだらかにて、其の心知らぬゆゑなるべし。

 或る聖の語りしは、「彼の水に溺れて、既に死なんと仕りしを、人に助けられて、からうして生きたる事侍りき。その時、鼻・口より水入りて責めし程の苦しみは、たとひ地獄の苦しみなりとも、さばかりこそはと覚えはべりしか。然るを、人の水をやすき事と思へるは、いまだ、水の人殺す様を知らぬなり」と申しはべりし。

 或る人の云はく、「諸々の行ひは、皆我が心にあり。みづから勤めて、みづから知るべし。よそにははからひがたき事なり。すべて過去の業因も、未来の果報も、仏天加護もうち傾きて、我が心の程を安くせば、おのづからおしはかられぬべし。かつかつ、一事顕はす。もし、人、仏道を行はん為に山林にもまじはり、ひとり壙野の中にもをらん時、なほ身を恐れ、寿を惜しむ心あらば、必ずしも、仏擁護したまふらんとは憑むべからず。垣・壁をもかこひ、遁るべきかまへをして、みづから身を守り、病ひを助けて、やうやうすすまん事を願ひつべし。もし、ひたすら仏に奉りつる身ぞと思ひて、虎・狼来たりて犯すとも、あながちに恐るる心なく、食ひ物たえて、飢ゑ死ぬとも、うれはしからず覚ゆる程になりなば、仏も必ず擁護したまひ、菩薩も聖衆も来たりて、守りたまふべし。法の悪鬼も毒獣も、便りを得べからず。盗人は年を起こして去り、病ひは仏力によりて癒えなん。これを思ひ分かず、心は心として浅く、仏天の護持を憑むは、危ふき事なり」と語りはべりし。此の事、さもと聞こゆ。

 

 「解釈」

 近年、蓮花城という名の有名な聖がいた。登蓮法師が親しくして、何かにつけて面倒を見ていたところ、何年かたって、この聖は登蓮に対し、「今は、年とともに身体が弱くなってまいりましたから、死期が近づいているのはまちがいありません。臨終に冷静な意識を持って死ぬことが、このうえない望みでございますので、心が澄みきった時に入水して死のうと存じます」と言った。登蓮はこれを聞いてびっくりし、「とんでもありません。もう一日なりとも余分に生きて、念仏の功徳を積みたいと祈願なさるべきですのに。おっしゃるような行いは、愚かな人のすることです」と言って忠告したが、蓮花城の決意は少しも変わらないように見えたので、「おっしゃるように、それほど深く決心なさったからには、私もとめることはできません。そうなさるのが、前世からの約束事なのでしょう」と言って、入水の時の用意などについて力を借して、本人とともに手配した。

 当日、ついに蓮花城は、桂河の深い所に行って、高らかに念仏を唱え、しばらくして水の底に沈んだ。その時、彼の入水を聞きつけた人々が市のごとく集まって、しばらくは、心から貴み悲しんだ。登蓮は、「長い間親しくした人だったのに」と、あわれに思い、涙をおさえつつ帰って行った。

 そして、何日かたって、登蓮は物の怪がついたらしく、病気になった。身近な人が不思議がり、異常なことだと言っていると、蓮花城の霊が現れて、「今は亡き蓮花城です」と名のるので、登蓮は、「これは、信じがたいことです。長年親しくして、最後まで、恨まれることは一つもありません。まして、あなたの発心のさまは一通りでなく、貴くお亡くなりになったのではありませんか。それにつけて、なぜそんな意外な姿できたのですか」と言った。物の怪は、「よく聞いてくださった。適切にも入水を制止してくださったのに、自分の心のほども知らず、取り返しのつかない死に方をしてしまいました。格別、人のためにしたことではないから、死の間際に決心が変わるとは思っておりませんでしたが、いかなる天魔のしわざか、まさに水にはいろうとしたその時、たちまちに、後悔の念がわいてまいりました。しかし、あれほど多くの人がいる中で、どのようにして自分から思い返すことができましょう。『ああ、たった今、私をとめていただきたい』と思ってあなたの目をじっと見たのに、知らぬ顔をして、『さあ、早く早く』とあなたがせきたてて沈めた恨めしさで、往生のことなど念頭から去りました。それで、思いがけない道にはいってしまいました。このことは、自分の愚かさが招いた罪だから、お恨み申すべきではありませんが、死に際に未練を持ったその一瞬の迷いによって、このように、まいったのです」と言った。

 この話は、前世からの因縁だと痛感する。一方、これは、末世を生きる人の教訓となろう。人の心ははかりがたいものだから、このような行為は、必ずしも清浄ですなおな心から起きるとは限らない。ある場合は名誉欲にとらわれ、ある場合は優越感や嫉妬心をもととし、愚かにも、焼身自殺や入海すれば往生できるとばかり思いこみ、心のはやるままにこんな行を思いたつことがあるだろう。それはつまり外道の苦行と同じだ。たいへんな思い違いというべきである。苦行なのだから、火や水にはいる苦しみは一通りではない。その決意が深くなければ、どうして耐えられようか。苦痛があると、また、心は安らかではあり得ない。仏の助けによらなければ、正しい信仰心を持つことは、きわめてむずかしい。しかしとりわけ愚かな人のいいぐさに至るまで、「焼身はできまい。入水なら容易であろう」と申すようだ。それは、水は、見た目には何でもないようなので、入水の時の感じを知らないからだろう。

 ある聖が、「あの水におぼれて、すんでのところで死にそうになりましたが、人に助けられて、かろうじて命をとりとめたことがあります。その時、鼻や口から水がはいって私を責めつけた時の苦しみは、たとえ、地獄の苦しみであっても、これ以上ではなかろうと思ったものです。それなのに、人が水を見くびるのは、まだ、水が人を殺すさまを知らないのです」と申していた。

 ある人が、「もろもろの行いは、皆、自分の心によるものだ。自ら勤行し、自ら悟らねばならない。他人にはうかがい知れぬことだ。すべて、過去に積んだ善悪も、その結果たる未来の幸不幸も、御仏の加護が衰え、心の持ち方を容易にするなら、自然と、他人にもわかるものだ。せいぜい、一事を実現するのが関の山だ。もし、人が仏道修行のために山林にはいったり、ひとりで広野の中にいるような時にも、なお身の不安を恐れ、命を惜しむ心があるなら、必ずしも、仏がご加護くださるとは期待できない。垣や壁で囲い、遁世の用意をして、自分の身体を守り、病いをいやして、そのうえで、徐々に信仰が深まるのを願うべきである。もしも、すべて仏に差し上げた身だと思って、虎や狼がやって来て害を加えることがあっても、とりたててそれを恐れることもなく、食い物がなくなり、飢え死んでも、それが悲しくないようになれば、仏も必ず、その身を保護してくださるし、菩薩も聖衆も現れて、守ってくださるだろう。すべての悪鬼も毒獣も修行を妨げるきっかけが得られない。盗人は良心を起こして立ち去り、病は仏の力によっていえるだろう。これを理解せず、心はあさはかなまま、仏の加護に頼るのは危ういことだ」と語った。この意見は、そのとおりだと私も思う。

 

 「注釈」(三木紀人『現代語訳 方丈記 発心集 歎異抄』の注釈を引用)

「蓮花城」

 ─『日本紀略』安元二年(一一七六)八月十五日条に、「上人十一人入水す。其の中に蓮花浄上人と称する者、発起を為す」とある。その他には所伝未詳。ちなみに、焼身往生のほとんどが、月の15日に行われていたそうです。蓮花浄上人は入水でしたが、『日本紀略』によれば8月15日に実行しているので、異相往生は15日に実行するという慣習があったのかもしれません。月の15日は、戒律を守り、各々が罪を告白し、懺悔する布薩の日に当たるとともに、阿弥陀の縁日でもあります。このような日であれば、必ず往生できるという強い信仰が普及していたものと考えられます(根井浄「平安時代焼身往生について」『印度學佛教學研究』27─2、1979、https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/27/2/27_2_634/_article/-char/ja/)。

 

「登蓮」

 ─底本の「卜蓮」を神宮文庫本により改める。中古六歌仙の一人、歌林苑会衆として知られる遁世者。

 

 

*今回は『発心集』からの引用です。前回の事例は入水往生未遂でした。ですが、今回は入水自殺を遂行したのに、極楽に行けず死霊となった事例です。

 主人公の蓮花城は、老化と死期が近づいたことを原因に、正念を維持したまま臨終を迎えるという目的を実現するために、入水自殺という手段を選択しました。

 これに対し、親しく交遊してきた登蓮法師は、入水など、愚か者の行為であり、少しでも長生きして、念仏の功徳を積むようにと諌めています。同じ仏教者でありながら、二人の考えは対極にありますが、結局登蓮法師は蓮花城を止めることができず、入水の準備を手伝うことにしたのです。

 蓮花城の入水は、滞りなく遂行されたように見えました。ところが、そうではなかったのです。後日、死霊となった蓮花城は登蓮法師にとり憑き、入水時の状況を語ります。蓮花城は死の間際に入水を決意したことを後悔してしまい、その思いのまま急き立てられて入水してしまったため、死霊の姿で現れた、と言うのです。

 この後、蓮花城はどうなったのか。死後の世界で救われたのか、救われなかったのかはわかりません。ただこの文章では、安易に入水を遂げることを、強く戒めていることだけはわかります。次回でも紹介することになりますが、名誉欲・優越感・嫉妬心によって、焼身自殺や入水をすることは愚かであり、往生は叶わないと考えられていたようです。つまり、異相往生(入水・焼身・断食・埋身等の方法によって往生を遂げること)のすべてが高く評価されていたわけではなく、正念を失った異相往生は戒められていたのです。