周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自殺の中世史 29 ─中世の説話7(往生目的自殺の失敗談)─

 「臨終に執心を畏るべき事」『沙石集』巻第四ノ五

              (『新編日本古典文学全集』52、小学館、2001)

 

 近比、小原に上人ありけり。無智なりけれども、道心の僧にて、かかる浮世に、長らへてもよしなく思ひければ、三七日、無言して、結願の日、頸をくくりて、臨終せんと用意して、同法の僧両三人、相語らひ、道場に籠りゐぬ。また、かかる聞こえ有りければ、哀れに貴しとて、小原の僧正も、結縁せんとて、徃生講行ひ給ひけり。云ふべき事あれば、書きつけけるに、「徃生の志をすも勧めん為に、念仏の聴聞の志あり」とて、都の名僧ども請じて、七日の別時念仏始めけり。さるほどに、京中の道俗男女、聞き及ぶに随ひて、結縁せんとて集まりて、「拝まん」と云へば、出て拝まれなんどしけり。相語らはれたる上人どもは、「この事然るべからず。ことごとしき作法かな」と、請けぬ事にぞ思ひける。

 さて、日数已に満じて、行水など用意しけり。かかるほどに、同法の中に申しけるは「今はこれ程に成りては、別義有るべからず候へども、人の心は定まり無き事なれば、若し妄執もとどまり、また思し食す事も有らば、仰せられ、御心に残る所なくして、御臨終もあらんは、然るべしと覚え侍り。今は、無言もよしなく候ふ」と云ふ時に、実にとや思秘剣、申しけるは、「始め思い立ちたりし時は、心は勇猛成り。一日比、湯屋の房焼けて、かの房主、焼け死なんどせしを聞きし時は、今一日も疾く臨終して、かかる憂き事も聞かじ、はやく死なむと思ひしか、この程は、心もゆるくして、急ぎ死なばやとも覚えぬぞ」と云ふ時、年来の弟子の中に、大人しき在家法師、京に住まひけるが、このことによりて來るありけり。道場にも入れられずして、少しそねましげなる気色にて、障子の際に居寄りて、上人の加様に云ふを聞きて、高声に申しけるは、「物の義などと云ふは、定まらぬ時の事成り。これ程にののしり、披露して、日も時も定まりたる事を、なまこざかしき異儀の出来こそ、返す返す有るべからざる事なれ。魔の所為にこそ。疾く疾く御行水参らせて、急ぎ給へ。時延びなんとす」とののしりければ、上人も物言ひさして、にがりて、心ならぬ行水し、房の前の榎の木に縄をかけて、頸をくびりて死す。人々拝み貴び、面々に、その道具をぞ形見に取りける。

 さて、その後、半年ばかりあつて、座主の僧正悩み給ふ事ありけるが、例ならぬ気色に見え給ひければ、護身し、陀羅尼なんどを唱へけるに、口ばしりて様々の事ども宣ひけり。かの頸くくり上人が憑き奉りたりける。「あはれ制し給へかし、とどまらんと思ひしに、さる御事なかりし口惜しさよ」と云ひける。実に妄念執心、忘れ難く、捨て難し。ただ思ひとどまるべかりけるに、よしなく名聞に耽りて、なまじひに頸くくりて、魔道に入りけること、詮無く覚ゆる。能く能く執心妄念をば、畏れ弁ふべきなり。このことは、知りたる小原の上人の、親り語りて、「よく見たる」とて、語りたりしかば、慥の事成り。

 

 「解釈」

 近ごろ、大原に上人がいた。無知だが道心のある僧で、このような浮世に長らえても無駄だと思い、二十一日間無言の修行をして、結願の日に頸を括って臨終しようと考えた。そして同法の僧二、三人と相談し、道場に籠もった。この噂が立つと、感動的で尊いことだと、大原の僧正も結縁しようと往生講を執り行いなさった。無言行中なので、何か言うべきことがあると、ものに書き付けたのだが、その中に、「往生の志を励ますために、念仏の聴聞を希望する」とあったので、京の名僧たちを招いて、七日間の別時念仏を始めた。そのうちに京中の道俗男女が、この噂を聞き及ぶにつれて、結縁しようと集まって来て、「拝ませて下さい」と言うと、この僧は道場から出てきて拝まれなどしていた。相談を受けた僧たちは、「これは適切でない。仰々しい作法よ」と、納得できない事に思った。

 さて日数もすでに満ちて、行水などを用意した。同法の僧の一人が、「今はもう格別の事情もないとは思いますが、人の心は定まりないことですので、もし妄執が残ったり、あるいはお考えになっておられる事でもありましたら、おっしゃって下さい。御心に何も残さず、ご臨終なさるのが適当だと思われます。今は無言行を続けられても仕方がありません」と申した。本当にそうだと思ったのか、無言の僧が、「始めに思い立った時は、心も勇ましかった。先日、湯屋の房が焼けて、その房の主が焼け死んだ事を聞いた時は、一日も早く臨終して、このような悲しい事も聞くまい、早く死んでしまおうと思った。しかしこのごろは、心もたるんできて、急いで死のうとも思えないのだよ」と言った時、この僧の年来の弟子で、主だった弟子である在家法師が、京に住んでいたのが、この事によって当地に来ていた。道場にも入れてもらえずに、少し嫉ましげな様子で、障子の際に近寄って座っていたが、上人がこのように弱音を吐くのを聞いて、大声で、「物の道理などというものは、何もまだ決定してない時に言うものだ。これ程大仰に披露して、日程も時間も決まっているのに、小利口ぶった異議が今さら出てくるのは、返す返すあってはならないことであるよ。天魔の仕業に違いない。一刻も早く行水をなさり、お急ぎなさいませ。時間が遅くなってしまいます」と叫んだので、上人も物を言いかけて、顔をしかめて、心ならずも行水をすませ、房の前の榎に縄をかけて、頸を括って死んだ。人々は拝み尊び、めいめいその道具を形見として取っていった。

 さて、その後、半年程経って、天台座主の僧正が病気で苦しみなさることがあった。尋常ではない様子にお見受けしたので、護身の加持をして、陀羅尼などを唱えたところ、様々なことを口走っておっしゃった。あの頸括りの上人が、取り憑き申したのである。「ああ、制止なさって下さいよ。やめようと思ったのに、そうして下さらなかったことが口惜しいことよ」と言った。本当に妄念執心は、忘れがたく捨てがたいものである。ただもう思いとどまるべきだったのに、つまらない名聞にこだわって、無理やり頸を括って魔道に入ってしまったのは、無益に思われる。よくよく執心妄念を、恐れ心得るべきである。この事は、知人である大原の上人が、「よくよく見たことだ」と直接私に語ったので、確かな事である。

 

 「注釈」

*今回は『沙石集』の事例を紹介してみよう。主人公である大原の上人は、俗世で生きながらえることを無駄と考え、二十一日間の無言行に入った。そして、極楽往生を目指したのだろう、結願の日に首を括って死ぬという計画を立てたのである。厭世観の生起が原因となり、極楽往生という目的のために、縊死という手段を選択した。これが今回の自殺の説明になる。

 さて、大原の上人は結願の当日になると、急いで死のうという気持ちが失せてしまった。しかし、京からやってきた弟子が自殺を催促するので、心ならずも首を括って死んでしまったのである。こうして、妄念を残したまま縊死を遂げてしまったために、上人は死霊となり、天台座主に取り憑いた。往生を目的に縊死を遂行したにもかかわらず、妄念を残したために魔道に落ちてしまったのである。この事例からも明らかにように、執心妄念をもったままの自殺は、極楽往生の実現にとって何の役にも立たないどころか、むしろ戒められるべき行為と理解されていたことになる。中世前期の社会では、ただ単に異相往生を遂げればよいと考えられていたわけではなく、正念を保った異相往生だけが高く評価されていたのである。